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川の日に想う
7月7日は、七夕…だけでなく「川の日」というのをSNSで見かけ、ほぉ…と。
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川、かぁ…。そう言えばついこないだ、色々と川を見てきたなぁ…と。
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6月に渡韓した際、ソウルの周辺地域を色々とまわり、その際にいろいろな「川」に出合い、その様子を見てきました。
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古代…ではなくそのあとの朝鮮王朝時代の「橋」も、渡ってみたり…
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朝鮮王朝時代の朝鮮半島では川に橋はあまり架けられず大抵が浅瀬に飛び石を置いて渡るか渡し船での対応だったのですが、王朝時代に王族の鷹狩り/野遊びの場だった纛島(今のソウル聖水洞)へ「王が乗る籠や馬が」が渡れるよう特別に石橋が架けられたのが箭串橋で、日本統治下で市民生活用に開放され活用された橋が保存され、今も渡ることができるのですね…(橋自体は改修を重ねているので原型とは異なるようですが)
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王朝絡みと言えばビール呑んだ渓谷も、そうで…
調べたら色々と見えてくるもんだなぁ…
— せき のりかず (@kotonoha_s) May 14, 2024
個人的妄想ネタで調べてた京畿広州市の庵尾里渓谷、この上流に結構有名なオリ(アヒル/鴨)料理の店があり他にも渓谷沿いに何軒もあって「なんでここでアヒル?」と思えば、南漢山城が現役だった当時は城内でアヒル/鴨鍋が流行ってたのを今に受け継いでるのか… pic.twitter.com/s5uj1BZV8L
日本統治下で交通の近代化が図られた朝鮮半島では、従来の徒歩ベースの街道/駅逓制度から自動車交通への対応で朝鮮王朝が重視した山城がベースの市街地を放棄し平地に降ろす施策が採られ、南漢山城も川沿いの平地(駅逓制度での京安駅があった場所付近)に都市機能を移転させられているのですが従来からの拠点はやはり根強く結構後年まで一定の拠点性を持っており、それが徐々に弱まっていく中で「山のうえで特別な体験」だったアヒル/鴨/鶏料理店がその風情を失わない範囲で「山麓へ降りた」場所が、庵尾里の渓谷だったようで…
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そんなこんなもありつつ、今回の訪韓ではこのあとも色々と「川」との巡り合わせが多い旅路でして…
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大河から沢に近い小川・渓谷まで、いろいろな川に出逢いました。佳羅非の遇古川はバスの乗り継ぎを忘れて乗り越したが故に出逢ったという…
マウルバスが楽しすぎて、乗り換えするのを忘れてた() https://t.co/5Apq1f6F23
— せき のりかず (@kotonoha_s) June 20, 2024
この疾走感(暴走)に浮かれて乗り換えないといけないのをすっかり忘れて…
1.マウルバス爆走!
— せき のりかず (@kotonoha_s) June 21, 2024
2.浮かれる
3.乗り継ぐはずだったのを思い出す
4.バス現在地とこの先の主要集落を調べる
5.主要集落から目的地までのバス乗継を検索
6.運行頻度等を勘案し最適解を瞬時に解析
7.そこから気を抜かずバス停を確認
8.ほぼ同時着・発になりそうな乗継バス停のバス接近情報を凝視 https://t.co/gnegMA9Y0a
まあそんなこんなで、いろんな川に出会いました。そして、この川にも…
今、わたしは、臨津江を見ている…イムジンの流れを… pic.twitter.com/RaDyyBaWgb
— せき のりかず (@kotonoha_s) June 20, 2024
臨津江、イムジンガン。日本でもフォークソングからのヒットで知名度のある、南北分断の象徴のような川。北から南へ水は流れ、鳥は自由に飛んでゆく。
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日本語版のイムジン河、歌詞が本来とは少し違っていて元々は北側から南へのプロパガンダソングで「北はこんなに繁栄しているのに南は荒れ地で困窮の底。この北の繁栄を南へ伝えて水の流れよ飛ぶ鳥よ」というような内容の歌詞で、これを南側で歌う際にアレンジしてキムヨンジャ版のような歌詞になったとか。そんなこんなで、一度じぶんの目で、見ておきたかったのです。
そしてこの写真の場所は、南北分断で「消えた都市」の跡、なのです。それを知ったのは、偶然ロードビューでこれを見かけたことから。
旅の途中の下級両班の気分でしみじみと臨津江を眺めてみたい https://t.co/Ni7id7b7b5
— せき のりかず (@kotonoha_s) April 23, 2024
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見つけたときは「鄙びた雰囲気が素敵だなぁ」と素朴に思い、実際に見てみたいなぁ…と調べていくうちに、知るのですこの場所のことを。
今この何も無い荒涼とした場所、朝鮮戦争までは市も立つガチの市街地があった岸辺だなんて…信じられないな… https://t.co/Ni7id7b7b5
— せき のりかず (@kotonoha_s) April 24, 2024
現在の京畿道漣川郡長南面高浪浦里、昔は長湍郡長南面で市場が2つもあり学校もあるうえに発電所まである主要市街地(しかも3連担市街)だったのが、日本敗戦後の処理と朝鮮戦争を経て旧長湍郡は一時期全域が民間人立入規制地区となり高浪浦の市街も消えた、ということですか…https://t.co/Cct4U4DXNc pic.twitter.com/PIWrjCcaOK
— せき のりかず (@kotonoha_s) April 24, 2024
この場所は、その昔は黄海から遡る舟運と上流からの舟運の積替え拠点として賑わい、黄海側からの舟運は外航船との連絡もある「内陸外港」としても栄え、一時は百貨店が免税店まで置くような「拠点都市」だった場所。この地に建てられた記念館に、当時の様子が再現されています。
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臨津江は仁川港を介して朝鮮半島各地との海運とつながる水運の幹線で、その中で仁川港からの(そこそこ)大きな帆船が遡れる限界が高浪浦でありここで小型船積替えや陸路連絡での「中継港」として繁栄、鉄道開通で勢いが衰えて尚「長湍郡最大の市街地」であり1910年代で2300人余の人口を誇った、と… pic.twitter.com/9NpqIO3h8z
— せき のりかず (@kotonoha_s) April 25, 2024
朝鮮戦争で「まちが消えた」というのは江原道の鉄原が有名ですが、ソウルから行きやすいこんな場所にも、あったとは…。そして民間人統制が解かれたのは、わりと最近と…
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統制が解かれたとはいえ、まだまだ軍事的な意味合いの強い場所。さっき見た臨津江の水に触れるどころか岸に近づくことすら、できないという…
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この日は工事で扉が開いていましたが、警告文が物々しくこれ以上近づくことすら憚られる雰囲気。そしてこの道は、高浪浦の船着き場につながる道だった場所…
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いろいろな思いが、交錯します。百貨店がショップを出すほどの市街地が、世界とつながっていた河川港が、本当に「なにもなくなる」という…
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戦争とは、統治とは、そして「暮らし」とは…
なんとも言えない感情を抱えつつ、改めてちいさなバスに乗るためこの場所を離れます。
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歩き出した先に、あの「亭」がありました。そして改めて、これを見たときの私を、思い返します。
旅の途中の下級両班の気分でしみじみと臨津江を眺めてみたい https://t.co/Ni7id7b7b5
— せき のりかず (@kotonoha_s) April 23, 2024
なんという軽いノリ、迂闊とも思えるセリフ。なんともいたたまれない気持ちを敢えて抱くため、この亭から発言通り、イムジンの流れを見る。噎せ返る熱気の中で。
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色々と思いを逡巡させながら川の流れを見て、改めて歩を進めます。
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…わるい大人は暑さに負けてここに吸い込まれ…
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人影のないシュポ、チョギヨーとアジョッシを呼び出しビール代を払う。そして軒先の縁台に座り、ぷしゅりとやりながらバスを待つ。同じ軒先でアジュモニがニンニクの皮を剥き、後片付けをする。とても穏やかな、韓国のローカル時間。
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しかしここでこんなことをフラリとできるようになったのは、民間人統制区域から外れたおかげ。最近までここで外国人がビールを呑むどころか立入さえそう簡単に出来なかった場所。内陸外港のまちだったはずの場所が…
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やってきたマウルバスに乗りながら、色々と思いを巡らせ…
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バスが着いたのは積城の、まち。ここは昔は積城郡の中心市街地であったけど日本統治下での行政区域変更や日本敗戦後の分割管理後のあれこれで拠点性を失った「まち」。
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いろいろな川に出合い、それぞれの歴史そして今に触れ、そして改めて「いろいろと」考える旅、でした。川の流れよ、絶ゆることなく……