7年ぶりの訪韓ドタバタ劇【9】市が立つ日
遅々として進まない訪韓記ですが、前稿の第8章にしてまだ2日目の午前中という…
前章で「水から水へ」と言いながらも実物の水とは触れ合えずの炎天下、道を間違え郊外バイパスの歩道をひたすら歩く午前の終わり…
韓国の大きな交差点、特にソウル市内はあちこちの交差点に設置されているパラソル、ソウル市瑞草区が2015年に独自施策の「交差点信号待ちの日除け傘」として設置、高幅員道路で信号待ちが長いうえに二段横断が必要だったりする現地事情から大人気となりあっという間にソウル市内各区や他市も採用、もはや韓国の交差点といえばパラソル、な状況に…(確かにコレがないと厳しい…)
そんなこんなでマウルの名に温泉を残す小さな集落跡(今は団地エリア)の脇を抜け、いよいよソウル東郊、河南市の中心市街へと向かいます。
ほむ、街の端の住宅地から隙間を進んでゆくと、見えてきました中心市街が、市場の通りが…
河南市の中心市街・徳豊の「伝統市場」にやってきました。伝統とは言うもののこの語は「在来」くらいの感覚で使われていて要は個人商店が多数並んだ商店街/公設市場的な場所。ここは商店街スタイルで道の両脇にズラリと店が並びます。そしてこの日は、4と9の付く日、장날(ジャンナル)、韓国伝統の「5日市」の開催日!
朝鮮半島の昔の市場のスタイルは、手工業品や乾物などの行商人が各地を定期巡回するもので、それらの集約地が主要地ごとにあり日を決めて集まり「臨時市」が開催される形態で、そこに近隣農家なども産品を持ち寄り賑やかな一大イベントになるというもので、これが5日おきに開催されるので「5日市(5일장/オイルジャン)」と呼ばれていて常設市場が当然となった今も「盛り上がる地域イベント」的な形で各地で開催が続いていて、ここ徳豊はソウル近隣で開催される5日市としてはかなり大規模(恐らく全国的に見てもかなり賑やか)なもの、なのですね。
ということで、その5日市を歩いてみた様子など…
いやぁ思っていた以上に賑わっていましたが、ここは道幅が狭いので臨時露店と固定店舗の店先陳列との差がイマイチ分からない感じでした。5日市の姿は、韓国各地で様々に…(普段は駐車場な広場が市場に化けたりやたら広い商店街に露店が出たり公設市場的な施設内に露店が出たり…)
それにしても徳豊の5日市、勢いが強すぎる…市場の通りだけでは狭すぎるのか通りを出た市街地貫通の「バス通り」にまで露店が出てる()
都市のにぎわいをしっかりと楽しめたので、つづきのマチへ…
今の河南市中心市街は、昔は大きな市街地はなく元々のこの地の中心地は南方の春宮里が古朝鮮時代の首都的な場所で校山里の辺りが朝鮮王朝時代の行政拠点であったのが近代化による街路整備(朝鮮国道1号線の設置)で沿道が市街化していった流れで、丘陵の上が徳豊市街地・坂を下りた川辺が新長市街地となりこの2つが連坦市街地となり今の姿になるようなので、いまの新長のマチも見てみたく…
坂を下った新長のまち、字の如く「下町」っぽい雰囲気で丘の上の住宅街+市場の徳豊より雑多な「市街地」という感じで、노래*(カラオケ店)に交じって여관(旅館・日本で言うところの簡易旅館的な安宿)の看板も見えます。そしてここにも、市場が……
こちらは徳豊伝統市場と違ってアーケード型で、ぱっと見は日本の商店街と変わらない様子。各店の統一看板が買い物カゴなのがカワイイですね。
この市場で面白いな、と思ったのが、ココ。
パッと見は「空き店舗区画を広場/休憩スペースにしたのかな」と思ったのですが…
実は再開発で高層マンションが建った際に、商店街との接点として整備されたスペースでした。マンション住民と既存商店街を結びつけるだけでなく商店街側の雰囲気も壊さず「おたがい共有しあう広場」として有効に使われていて、これはナカナカいいな、と。
アーケードを抜けると、いよいよ街の「はしっこ」感が…
しばらく歩くと徳豊川、いよいよマチの端っこ。
徳豊川は、校山・春宮のエリアから流れてくる川。この上流には、古代王朝の首都そして中近世王朝時代の行政拠点があったのですね…と、そんなことを想いながら眺めると近郊の整備河川も趣が漂うような。この水の流れは、古代から変わらないのか…
さて、ちょっと休憩して、次の「みず」へ!
(つづく)
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