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7年ぶりの訪韓ドタバタ劇【15】京畿道大探検-まずは東豆川

 長々とやっている6月の訪韓記ですが、第14章でようやく旅の半分という…

 本格的な韓国滞在の実質初日となった2日目はソウルを早々に出て京畿道の南東の果てまで行くことになりましたが、3日目は逆向きで北部を放浪する予定を組んでいて、前章はその前段階でのソウル市内探索でした。さあ、北へ向けて本格的に出発!

地下鉄4号線の高架ホームから
地上ホームへ急げ!列車に間に合わない…あれ?

 急いで降りてきたのは地下鉄1号線北部区間では僅かしかない急行(급행)電車に乗るため。10時12分発の急行は…あれ?先発が18分発の漣川ゆきになってるぞ?급행はどこいった?あれれ?と思っていたら始発駅出発からいきなり大いに遅延していたようで15分になったら突然湧いて出てきました동두천급행が。

よかった運転取りやめではなかった

 故障が頻発している新型車でやってきたのでこの日もまた出庫早々もしくはその前から故障で遅延していたようで6分遅れでやってきて、1日数本しかない急行なので乗り間違い多発で「タウmチョンチャヨグン(次の停車駅は)トボンサンヨギムニダ(道峰山駅です)、トボンヨグン(道峰駅は)チョンチャアンスミダ(停車しません)」の放送を聞いてドアから外を覗いて案内掲示を探したりする人たちでドアが閉まらず結局は9分近くの遅れとなって発車。いつもは割とのんびり走るイメージの東豆川急行、遅れ挽回のため結構飛ばしていました。

 動画の区間はまだマイルドな走りですが途中駅で補助電源の一時停止があり更に遅延が伸び、その先はソウル近郊電車の最高速度となる110km/h近くで延々とかっ飛ばしていました。こんな急行はじめて…()

 ということで、やって来たのは首都圏の「近郊エリア」の事実上北端の東豆川市。

 동두천중앙역/東豆川中央駅、中央の名を冠してはいるのですが歴史的に「中央」な訳ではなく、今と日本統治時代の地形図とを見比べてみると「中央」を名乗っている場所は氾濫原と思しき荒れ地、なのですよね昔は…

そして現代は「新川」を名乗る川は本来は莘(辛に草冠)川だったと…

 東豆川は朝鮮戦争の際の軍事拠点として連合軍の施設が置かれ、その後も米軍が多数の拠点を置き続けていた場所で、それにかかる購買・サービス対応で「あたらしく生まれた」のが東豆川中央~保山エリアの市街地ということのうようですね(紙杏の辺りはそれより後に生まれた高層団地街)

中央駅を名乗るには広い空が見える駅前…
駅前の横道もなんだか独特の空間感…

 やはり普通の地方都市とは、様相が異なる気がします。碁盤の目状の町割りや道もどこか人工的な雰囲気があり…

 とはいえやっぱり隙間的な路地は韓国の「匂い」があります。

建物は古くはないけど韓国の「すきま」の匂いはしっかりと

 そんなこんなをチラチラ見ながら歩くと、大通りに。市街地の中心軸となる通りのようで名前もズバリ「中央路」。この日は5日市の開催日で、本来の開催地から200m以上離れているにも関わらず歩道にはズラリと出店が…

出店は交差点を越え400mほど続いている様子
うむ、正しき5日市の雰囲気…
むむ、この雰囲気は…
やっぱり!

 今どきまだ、あるのですねぇ…いわゆるポンチャックマシーンが東豆川には…。そしてメディアはSDカードからUSBメモリに進化していますが、この圧巻の物量よ…(それぞれに70~120曲程度が入っている模様)

最大7080曲を収録!

 このまま5日市の様子を辿っていきたいと思うも、あまり滞在時間もないので一旦離脱、近辺の常設市場の様子を先に見に行きます。ヤンキー市場とか、やっぱり気になる…

5日市の中心はクン市場の辺り
クン市場の逆方向へと適当に隙間に分け入り…

 やってきましたヤンキー市場!

 ヤンキー市場、名前の通り駐留米軍の払下げ品等を扱う店が多い場所だったようで今もその名残はあり、そして市場を北上すると軍需が盛んな時代にはいわゆる置屋街があったそうで、ある意味で東豆川の現代史が詰まった通りなのですね…

左に見えるゲートと目隠しのれんの向こうが、そうと…

 実際に歩いたときは詳細を調べず(本来はバスへの乗り換えついでに5日市を覗く程度で考えていた)たまたま予定より早い電車で来れたから、歩いた場所。あとで写真を見返して、現地との照査をし、新たな発見をしていくというのは色々と興味深い楽しいものではありますが、時には生々しい苦労の歴史が見えてきて、なんとも複雑な心持になることもあります…

 さて当日の足取りは、こちらではなくアーケード街に。第一市場ですね。

 さっきの5日市の賑わいと対照的に、ひっそりと枯れた市場…

 東豆川のマチは、駐留米軍の存在で都市化した場所なので近年の米軍施設移転・大幅な規模縮小(最盛期の1/10とか)で産業基盤そのものが縮んでしまい、これだけの商業地を必要としない環境になってしまったのでしょうか…

 …単に年代の変遷で「マチが変わった」だけでした。クルマが当たり前になったので車道沿いの方がヒトを集めやすくなり、賑わいが移っただけでした。生淵路、午後から夕方にかけては賑わいそうな雰囲気でした。

生淵洞から中央洞を望む

 さて時間の制約もあるので、中央洞は諦め川沿いを歩きながら5日市の会場方面に戻ることにします。

こんな「マチの隙間」の奥に
今の時代に残る簡易宿泊所「여인숙/旅人宿」が
川辺の道。新(莘)川は北へ流れて臨津江に合流します。

 開けた川辺、水を渡る風が…吹かない。ただただ陽に焼かれるだけの場所…こりゃたまらんと早々にマチに降ります()

太極旗がはためいてるけど普通の平日よ?

 歩いているときは「まちおこしで太極旗(テグッキ)をテーマにしてるんだろうな」と思っていましたが実際にそうで、韓国各地にある「壁画マウル(経済的に弱い集落に少しでも華をと壁画を描く運動)」の一環として2014年に近隣の学生が壁画を描いたそうですが、その際に他との差別化で立体造形物も設置し、そして太極旗をいつも掲げるマウル(村・集落)としてこの姿になったそう。駐留米軍によって栄枯盛衰いろいろ影響される中、韓国のプライドとしての「テグッキマウル」なのでしょうか…

 そこからも路地を適宜抜けていっていたら、こんなのに出逢いました。

자유상가、自由商店街。

 これを見た瞬間「あ~日本でも1990年代にあった『開発未着手地の一時利用』での仮設商店街だ」と思っていましたが、まさにその通りで2016年から生淵洞の市街の再生テコ入れために改造をはじめ、更地にして公園空間にする予定の場所に一時的な仮設店舗商店街をつくり店舗の一時移転や若い世代のチャレンジショップの受け入れをしていたような雰囲気。自由市場自体は家具寝具関係の商店街だったようですね…

ここの再開発は、さて進むのか…

 そんなこんなで歩いていたら、見えてきました「クンシジャン」が…

 東豆川クン(큰/大きい)市場、アーケード街としては短いのですが実態は下図のオレンジ色に塗った道沿いが商店街になっていて、元々は米軍駐留の関係で都市化し人口が急増したことを反映し1960年代に近隣農民などが物品を持ち寄り自然発生的に生まれた5日市が発祥という「現代に古典的な商売が生まれた」場所なのだそうで、なるほどそれが、あのパワフルな5日市の原点なのか、と…

 いや~東豆川クン市場の5日市、これはすごいわ…

 いやぁさすがに1960年代に自然発生した「現代版5日市」は、勢いが違います。ナカナカすごいです本来の市場エリアからのはみだしっぷりも河南の徳豊市場どころじゃないし…
(河南の様子は下記の章に)

 いやぁスゴイ!楽しいけどそろそろ刻限、バスが来る…ってバス停が出店で埋まってるんですけど…

 まあ埋まっててもバス停だしバス待ちアジュンマもいるし…と思いながら交通カード(この日はWOWPASS)を探すも、あれ?ない…って、え?もしかして東豆川中央駅の券売機でT moneyのチャージをした時に置き忘れた?マジ?またやらかし事件…と想い慌てて小走りで駅へ…

 チャージした券売機を見るもカードは無く、しょうがないから駅業務室に入ってスマホ翻訳で「交通カードの忘れ物はありませんか?」と聞くも「アニエヨ(ありませんね)」との返事。アイゴ…どうしようとグルグル頭を回転させたら一片のイメージが…

「センサー感度をあげとく方がいいよな~」

 そんなことをふと思いつき、普段はICOCAが常駐しているところの後ろにWOWPASSを挿しこんで「これで財布から出さずにタッチ乗車できるかな~」なんてやってたことを想い出し、そこにカードがあることを発見し「腰が砕ける」ってこういうことか…というようなヘナヘナ具合で崩れ落ちる東豆川中央駅の構内…

もう「セルフコンビニ」なんかも意識が向かない…

 勘違い+2時間毎のバスに乗れないという二重の精神的ダメージに打ちひしがれながら歩く駅前…なのですが、あれ?乗るはずの3-1番マウルバス、もう出発しててもおかしくないのに運行情報がないぞ?と…

 結果的には「乗るべきバスには乗れた」のですが、その経緯とその後が、なんとも色々ありまして…

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