見出し画像

夢ってどこにあるのかなぁ?

モテたい!
美味しいものをいっぱいたべたい!
早く帰っていっぱい寝たい!

三大欲求である性欲、食欲、睡眠欲が原動力の、こういった願望は世間一般的には「夢」とカテゴライズされていないようにおもいます。

下手したら、人は欲望を満たすために犯罪だって起こしてしまうパワーになるかもというのに、その強烈なパワーを夢と語れないのは何故かと、ふと考えてみました。


それらの願望は、人間なら誰しもが持つ欲望(とされているもの)であり、もっと「夢らしき夢」を掲げる他の人への敬意や、「夢とはこういうもんでしょ?」と各自がもつ固定観念が影響しているとおもうんですね。

つまり、私たちは夢についてろくに習いもしてないのに、知らず知らずのうちに「これは夢とは言わんやろ!」というセルフツッコミをかましているだけなのではないかと思うわけです。

夢は、いつ、どこに生まれたのか?


人類の進化の歴史を追うと、
「死」を回避するために脳が発達してきたことが伺えます。

食料資源が限られた場所で、より効率よく食料を運ぶため四足歩行から二足歩行になり、
前脚を手として機能させ、後脚とバラバラに動かす必要に応じ、脳が発達。

火を起こし、火を制することができ、
食料を調理(加熱)することで、口にできるものの量が増え、食中毒など死の危険性から少しずつ回避。


そこから今現在に至るまで、
死なないために→生きるために→より生きるために→より楽しく生きるために、と進化する中で、
恐らく、「死なない→生きる」の間に前途した三大欲求が配置され、「より生きる→より楽しく生きる」の間に夢を置くようになったんじゃないかとおもいます。

「より、良く。」のハードル

毎日、与えられた環境をこなすだけで精一杯になるとより楽しく生きるという視点では行動しづらくなります。

会社、学校、家族とそれぞれのコミュニティで担う役割を100%こなせてもいないのに、何が夢だ。そんなのは経済的にも時間的にも精神的にも余裕のある人が持つものだ。

なんて、「夢」のハードルを高く感じている人の気持ちを想像してみたけど、社会的な役割について100%の基準は個々で設定するとして、とりあえず、個人としてやんなきゃいけないことはやってから、先に進みたいと思っている人が多いような気がしています。


でも、「先」ってなんだっけ?

目的←目標←夢←理想←恐れ

夢をどこに配置するかを考えたとき、
前後関係はこうじゃないかと仮説を立ててみました。

もしかしたら、夢を目的や目標とする人もいるかもしれないし、そんなに深く考えず、夢は夢!と認識している方もいるでしょうし、まぁそれはそれでいいと思います。

わたしの考えとしては、夢に敗れて打ちひしがれたとき、自分の目的が別の場所にあると立ち直りやすいのかもしれないという予防線的なことと、これまで多々、環境によってやりたいことがコロコロ変わる気まぐれな「自分に自分が」振り回されてきたので、できるだけゴールを曖昧にして広い意味で目的のある方向だけを見ておくようにしてきました。


また、子どもたちに接する仕事をしていて日々感じるのが、何のために、勉強させられているのかわからないという子が多いことなんですが、
子どもに代わって親御さん達に私がその質問を投げたとき、大体「将来のために」とか「就職のために」みたいなことが返ってくるんですね。


目的=将来のために、就職のために
目標=テストでいい点をとる


何故かここだけ親や環境(社会)に仮設定されているのに、夢について教えて(語って)もらえてないように思うんですけど、私は夢が目標のために必要な原動力になると考えています。

そして多くの文献が語るように脳の学習機能を高めるにはそのモチベーションが必要であることを信じているのですが、個人的にはそもそも勉強が好きだったので好きがモチベーションになっていました。

ちなみに私が「やんなきゃいけない」と思っていることは自身の「恐れるもの」を処理しておくことです。

人様に迷惑かけない程度に自分の生活は自分で支えていきたいなぁという「自立」がここに入ります。


整理すると、

目的:楽しく生きる
目標:優しい世界にする
夢:
理想:必要なときに必要な力を分け合える環境をつくる
恐れ:自分で自分を支えられなくなること

そう、これだけ夢がなんちゃら語っておきながら、私にはまだ夢がないんです(笑)

ただ、そのとき、そのときでやりたいことはあって、その衝動には素直に動いています。

やり始めて、こりゃ優しくないな、こりゃ楽しくないなと感じたら、引き返すというかあっさり捨てます。

結局のところ、私が夢を持ってないのは自分が楽しく生きるために生きてるのでそこに向かって辻褄が合わないことを「立て直す気力」が欠乏している上に、具体的に何をしている時が楽しくて、何をしているときが楽しくないのかをまだよくわかってないからなんだろうなぁと思います。

だけど、「私は」それでいいような気もしています。


自分が思うやらなきゃいけないことに向き合って、楽しく生きるという理念に削ぐわないことを捨てていって、今それなりに楽しく生きてるから。結果万々歳。←


人生の目的

通過点としての目標
そこに至るまでのモチベーション維持に夢
夢を形にするための理想
理想と反対のことを潰すために恐れを設定する

自分が持ってなくても、
誰かが補ってくれるかもしれないし、
したいか、したくないか、
やるか、やらないかの二択で考えてたって全然いいと思います。

でも、もし、何かひとつでもコレというものを見つけたら、夢とか目的とかって人によってその位置付けが変わるものだと思うので、考えるのが好きな方は自分なりにその前後に位置するもの(こと)がなんなのかを考察してみてもいいかもしれません。

結局のところ、何なのかはわたしにもよくわかってなくて、人によって設定が違うよねーという当たり障りないことを言って本日の巻物を〆たいと思います(笑)

でもこうして書くとスッキリする。
自分のために文章を書くのがわたしの「好き」で、全てのモチベーションなのかもしれません。

いいなと思ったら応援しよう!