自分の「好き」に向き合うこと。/noteリスタート宣言
文章を書くことは、昔から好きだったと思う。
小中学生の頃、夏休みの宿題でいちばん力を入れて取り組んでいたのは読書感想文だったし、多くのクラスメイトが適当に書いていたであろう毎日の5行日記も、テーマや構成を真剣に考えて丁寧に書かなければ気が済まなかった。感想や意見を書く課題は、いつも妥協しなかった。
だけど、大人になるにつれて、自分が好きに書いた文章を人に見せることは少なくなっていった。
興味のあるテーマでWebメディアに単発で記事を書いたり、ライティング講座に参加してみたりはしたけれど、今この時点においてライフワークにするまでには至っていない。
最近では、Facebookに近況を報告することすら滅多になくなっていた。
noteのアカウントも、作ってからすでに2年以上が経過している。
その間、あんなことを書こう、こんなテーマを取り上げようなどとアイデアがふっと浮かんだことは幾度もあるけれど、どれもひとつのまとまった形にはなっていない。
いまだ日の目を見ないことばの端くれたちが、頭の中の奥深いところに追いやられたり、下書きフォルダに眠っていたりする。
書くことは確かに好きなんだけれど、いろいろな思いが邪魔をして、真正面から向き合うことを避けていた。
そんなとき、いま住んでいる大型シェアハウスの住人からこんな呼びかけがあった。
「キナリ杯に応募してみない?」
応募の過程で、みんなで文章を見せ合ったり、わいわいとアイデアを出し合ったりできたらおもしろいよね、と。
そのお誘いを聞いて、「楽しそう!」と思うのと同時に、「本当にできる?」と、一瞬だけ参加を躊躇する自分がいた。
みんなが読んでおもしろい話なんて、書けないかも。
文章書くの好きって言うくせに、大したことないなって思われたらどうしよう。
言葉にすることで、自分のきれいじゃない内面を知られるのがこわい。
一瞬のうちに、そんな思いが渦巻いた。
また、書くことから目を背けようとする自分がいる。
だけど同時に、書きかけの文章の断片が眠っている下書きフォルダの存在が頭をよぎった。
なんとなく、いまが一歩前に進むチャンスかもしれない、と感じ、迷いを振り切ってそのお誘いに手を挙げた。
「好き」なことへの向き合い方
文章を書くにあたって、好きなはずのその行為に今まで全力投球できなかった理由を、改めて自分に問うてみた。
おそらく、「文章を書く」ことだけにとどまらない、あらゆる「好き」なことに対する向き合い方に、その原因がある気がする。
なぜ、私は物事に対する「好き」という感情に素直に向き合ってこなかったのか。
たぶんそれは、苦手なことに取り組んでいるほうが楽だったから。
振り返ってみると、「あのときは頑張った」と胸はって言えるのは、その多くがもともと苦手だったことに立ち向かった経験だった。
音楽が苦手だったのに、県内でそこそこ強豪の吹奏楽部に入ったり。人とはきはき明るく接するタイプじゃなかったのに、接客業のアルバイトを選んだり。運動が大嫌いだったのに、20km超の過酷な障害物レースに挑戦したこともある。
一見、自分に厳しくしているように思えるし、そういった姿勢をすごいねと言ってもらったこともある。
もちろんそれはとても嬉しかった。けれどその度に、周りを欺いているような感覚がうっすらとあったことを認めなければならない。
なんでわたしは「苦手」に対峙する道を選ぶのか。
それは、取り組んだ結果として誰が見ても"スゴイ"成果が出せなくても、向き合った事実そのものによって満足感を得られるからだ。
「苦手」に挑戦することは、それ自体が価値になると思っていた。
その態度は、ストイックでもなんでもなく、ただの怠慢だ。
同時に、「何かに取り組むからには、価値あるものにしなければならない」という、強迫観念のようなものに駆られていることに気づいた。
人からどう思われるかを、必要以上に気にしすぎていた。
無意識のうちに、「好きなこと」へのハードルを自ら上げてしまっていたのだ。
好きなら、ただ楽しんでやればいいだけの話なのに。
自分を含めた誰にも、そうして生み出したものをけなす権利なんかないのに。
こうした観念のもと長らく生きてきたわたしにとって、「好き」に素直になることは、「苦手」に立ち向かうことの100倍むずかしい。
でも幸いなことに、キナリ杯に一緒に応募する仲間たちをはじめ、自分の周りにいる多くの人は、どんな挑戦に対してもおもしろがってくれる。
「こんなこと興味あるんだよね」「これ好きなんだよね」と口にすると、「じゃあ一緒に〇〇やってみない?」と返ってくるような人たちだ。
自分が勝手に反応をこわがっていただけで。
今回はちゃんと向き合えそうな気がする。
とはいえ、継続的に書くことをしてこなかったせいか、自分の思考を言語化するのにはかなりのエネルギーを要する。
リハビリと思って、根気よく続けるしかない。
自分にとっての「文章を書くこと」と、それをはじめとする「好き」なこととの向き合い方の見直しをもって、noteリスタート宣言としようと思う。