「人霊淵源伝」和歌と時代考証 解説

*これは刀使ノ巫女の二次創作「人霊淵源伝」のネタバレを盛大に含みます。https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=11992596

この度は私の処女作でもある人霊淵源伝をお読みいただき誠にありがとうございます。今回、読んで頂いた方から解説もあるとありがたいとのお言葉をいただきましたのでしつこ過ぎない程度に軽く、和歌と時代考証について解説させて頂こうと思います。

 ではまず和歌の解説から。

つれづれと 空ぞ見らるる 思ふ人 天降り来ん ものならなくに

 一番最初に置いた歌です。かの有名な和泉式部の歌ですね。意味は「ぼんやり自然と空をみてしまう。愛しいあの人が空から帰ってくることは無いのに」といったところでしょうか。読んで頂いた方ならわかるでしょう。そうです。禍神との戦いの後の萌黄っぽいやつです。この歌そのものについてはググればたくさん良い解説が出てくるのでそっち見てください(丸投げ)


 次です。以下は引用ではなく私がめっちゃ考えたやつですね。

空蝉の 花はいつか日 仰げども 具しける花は 草葉の影か

 エピローグで萌黄が詠った歌です。「この世の花はいつか咲くのに、私に付き従った花はこの世にいない」という意味を込めました。

まず空蝉と言う言葉についてです。これはこの世と言う意味ですが、同時にこの歌では枕詞にもなっています。

日を仰ぐとは太陽の方を向く→咲くという意味なのですが、花の名前としての葵は「仰ぐ日」から来ているとも言われております。ここに葵をかけました。

「具しける」とは「従った・付き従った」と言う意味です。そこに葵の意味で花を入れ、「具しける花」で「私に付き従った葵」と言う意味になっております。

最後に「草葉の影」ですがこれは古語で「あの世」と言う意味です。最初の空蝉と対比となっています。

自分で作った歌を自分で解説するってめっちゃ恥ずかしいですね。

三つ目最後の歌です。

身朽つれど 魂込めし 安綱朽ちぬ 後の世も また後の世も

見た通り崩しています。本来5・7・5・7・7のところを5・7・7・5・7にしました。どう頑張っても本来の形にならなかった…「身は朽ちても魂を込めた安綱は後世まで朽ちません」と言う意味です。これに関しては「だれ」が(いやバレバレだろ)「どのような思い」で歌ったのかを考えて欲しいやつなので特に解説はしません。あ、でも下二句は義経の辞世の句から拝借しました。いわゆる本歌取りというやつです。


 次に時代考証についてです。まず登場人物について軽く紹介しようかと。今回出てきた登場人物で私が一から作ったのは葵と萌黄の二名だけで、それ以外は皆実在した人物なので(鬼一はちょっと特殊だけど)

 ではまず鬼一から。「鬼一法眼」は源義経の生涯を書いた「義経記」に出てくる一条堀川に住む陰陽師です。なお彼はこの義経記にしか出てこずこれと言って実在したと言った証拠もないため、伝説上の人物とされています。義経の剣の師匠とされており、また剣術の源流とされている京八流を鞍馬山にて八人の僧侶に教えた天狗と言う伝説でも有名です。京都鞍馬寺に鬼一を祀る社もあるからよかったら行ってみてね。

次です。源為義と義賢について。為義は先ほども出てきた義経や鎌倉幕府を開いた頼朝の祖父にあたります。なので義賢は頼朝や義経の叔父ですね。ちなみに為義は長男であり頼朝や義経の父である義朝に殺されたりしてます。このへんは追々。

次に崇徳天皇と関白藤原忠通です。崇徳天皇は言うまでもない日本三大怨霊のうちの一人。崇徳院のことです。忠通は崇徳天皇がわずか三歳で即位したころから摂政として働いていました。

この崇徳天皇が怨霊となったきっかけが「保元の乱」です。西暦1156年、このお話本編より18年後ですね。先ほどの為義が義朝に殺されたのもこの乱でのことです。上皇となった崇徳院と後白河天皇が敵同士となり、為義は崇徳院側に忠通と義朝は後白河天皇側につき、結果崇徳院側が負けました。まあこんな感じに今回のお話の登場人物は割と保元の乱に関係している人が多いです。

 余談ですがエピローグで珠が貴船神社から鞍馬寺まで走っていく描写の道、実際にあります。木の根っこを階段にしたようなクッソキツイ山道を1.5キロくらい進むとたどり着けるような道です。体力づくりにはちょうどいいですね(昔雪の積もってるこの道を制服で行ってめっちゃ後悔した)

 長々となりましたが以上で解説は終わりになります。まだまだ拙い小説を読んで頂いた上にこんなクソ長文な解説まで読んで頂き恐縮です。機会があれば次回作も是非読んでやってください。

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