コロナ禍を通じて感じたこと~その①~
コロナ禍になり、1年半強。もうすぐ2年。会社の業績としてはめちゃくちゃしんどかったです。うちの店舗は駅中、駅近、百貨店など人流が多い場所に、高い家賃を払って出店しているのですが、業種が基本テイクアウトなだけに協力金は対象外でした。政府が一方的に人流を抑えたことで、例え、月の店舗売上が半分になろうと、年間で全店で何億円と売り上げが下がろうと。
周りの外食店舗や接待を伴う飲食店など、特に個人経営のところはむしろ協力金バブルだと聞いています。お店を開けない方が楽して儲かる。この業種で1日6万円の純利を出すことの難しさは誰もが分かっていると思います。もちろん来年の税金で多少は返す形になるのでしょうが、何の条件もなしに、一律で協力金が入るという形は納得がいきませんでした。
そんな政府の対応には納得もできない、期待もできない状態の中で、僕らが出来ることは徹底的に社内に向き合い、自分たちの改善努力だけで、この難局を乗り切ること。でも、今思うと、その圧倒的に追い詰められた状態が良かったのかもしれません。
商品サービス、価格、販売形態、シフト、店長教育、スタッフ教育、コスト、そして企業理念まで、ありとあらゆるものを見直しました。もちろん、この4年間ここに向き合ってきたつもりでしたが、ここまで短期間で、そして高いクオリティで改善できていなかったです。
特に企業理念を刷新し、ミッション・ビジョン・バリューを再策定したことで、新しい形の店舗、ブランドを産み出すことが出来ました。このコロナ禍の中で、我々がお客様に提供する価値は何なのか?苦しい中でも従業員を守り、商売し続けていくことの理由は何なのか?結局、我々はどうありたいのか?ここから100年企業に向けて、進んでいく道を見つけることが出来ました。
この1年半強の改善努力は、店長を始めとした店舗スタッフにも大きな変化や成長を強要するものでした。が、誰も辞めることなく、ここまで付いてきてくれたこと、そして大きな結果を残してくれていること、本当に感謝しています。
この1年間で5店舗退店しました。が、残る店舗でしっかりと利益を出せるところまで改善できたこと、そして産み出した新ブランドが次の成長エンジンに成りえるところまできたこと。自分たちの力を過大評価するのは良くないかと思いますが、少しは誇ってもいいんじゃないかと思います。
我々はこのコロナ禍で自分たちを徹底的に見つめ直す機会をもらいました。そして、見つめ直した結果、大きな成長、少しの進化を手にすることが出来ました。まだ辛い状態が続くとは思いますが、この1年間半の取り組みで、ここから30、40年商売を続ける地力を付けられたと思います。
偉そうなことを言うようですが、日本全体もこれを機会に国を見つめ直すいい機会じゃないでしょうか?平成の30年間、何も経済成長できなかったこと、今後より一層の少子高齢化の中でいまだ次の成長エンジンを見つけられていないこと、短期的な支援策だけで国債は増え続ける一方なこと。このままだと優秀な国民はみな日本を離れます。坂本龍馬がこの時代に今一度、産まれることを期待しております。