勝利は一瞬、技術は一生
タイトルにもあるこの言葉は、中学〜高校にかけて体験した、越膳のサッカー観が変わった重要な経験だ。
今の僕の指導観も、この体験が軸となっているほど、大きな衝撃と気づきを与えてくれた。
なぜ僕が技術にこだわるのか、それは単にそういうチームをつくりたいから、静岡学園や母校の富士市立のスタイルに憧れたからという、表面的で薄っぺらいものではない。
よく勘違いされるが、そういう型にはめたいという欲はない。
なぜこういう指導観に至ったのか、背景と、その先に目指す世界も含めて述べていく。
01. スタートライン
中学校時代、華々しい成績を自分でも残したと思う。出身中学を言うだけで、まじかよ…と周りのリアクションがいつも決まって同じだった。
(感覚的には、盛らずに黒子のバスケのキセキの世代的な感じ)
高校は富士市にある公立高校、富士市立高校。今こそ強豪だが、僕が入ったころは僕が3期生と言うこともあり、歴史も浅く、藤枝東、藤枝明誠、清水東、清水桜ヶ丘、浜名、磐田東、東海大翔洋、浜松開誠館や静岡学園といった、いわゆる強豪と言われるチームではなかった。
そんな高校で、全国準優勝などという評価を聞いたり見たりしていた僕は、やっぱり俺たちは強い、最強の学校にいたなど、勘違いをしてしまっていた。
それに気づくのは遅くはなかった。1年生の試合で、スターティングメンバーに僕の名前はなかった。
スタメンに多く起用されていたのは、中学時代から交流のあるFC fujiのメンバーだった。
(FC fuji:http://www.fujisportsclub.jp/junioryouth.html)
中学1年生の頃の練習試合では、10-0で勝つほど実力差があったが、中3の練習試合では1-0や1-1など僅差な試合を繰り広げることが多かった。
ただ、強くなったのではなく、FC fujiは中学時代、勝つことを目的にしていない。
「いつ勝つんや」と言うのをスローガンに、高校やその先で活躍する選手を育てていた。
そのため、高校という新たなスタートラインに立った瞬間、これまでの成績は成績はまったく関係無く、何ができるか、上手いかどうかで見られる。
その時に選ばれたのは、これまで勝利よりも成長や育成に力を入れていたFC fujiのメンバーだった。
これが僕の中で大きな衝撃だった。伸びていた天狗の鼻が一気にへし折られた瞬間だった。
02. 中学生に混じって技術を磨いた2年間
富士市立はボールを大事にするサッカーを基盤としている。そのため僕の武器であるロングキック等は、このチームの加点にならない。というかなりづらい。(もちろん生かすことはできる)
そのため、まず僕が身につける必要があると思ったのはドリブルやボールコントロールだった。
とにかくドリブルやリフティングの練習をした。同じグランドで部活後に活動しているFC fujiの中学生と一緒に、教えてくださいと高校生ながら頭を下げてドリブルを教わっていた。
この時は恥ずかしさは一個もなく、上手くなりたい。その一心だった。
ボールを落ち着いて持てるようになったり、ボールを持つことが楽しいと感じた自覚があるのは高校3年生の時だった。判断や選択に余裕が持てるようになってきた。それでも中学から技術を積み重ねてきたメンバーには、最終的に勝てなかった。
Aチームに上がっても、技術の差に圧倒されるばかり。強度やプレッシャーの速さの違いを体感すると、一気にパフォーマンスが上がらなくなった。
悔しさと虚しさが心を覆い尽くそうとしつつも、一緒に自主練をしてくれる仲間と共に技術の向上に励んだ。
03. 価値観の変化
これまでの経験をもとに、僕は勝利とは一瞬の価値であって、技術は一生の価値があるということを学んだ。
確かに中学時代に学んだ経験は、他の人がなかなかできない貴重なものだ。それ以上にサッカーをする上では、成績よりも個人として何ができるか、上手いかどうかで見られるし、それが評価の全てである。
これは今の指導観に直接的に活きている重要な価値観である。
逆に言えば、中学までまったく成績を残していなくても、技術に優れていたら、高校で活躍する可能性が十分にあるということ。
特に監督が勝利にこだわり始めるのは高校から先である。そうなった時、試合で使うのはいい成績を残した選手以上に、上手い選手である。
それをしっかり理解したからこそ、小学年代はもちろん、この中学年代の大切さを十分にわかっているつもりだし、それを経験として子どもたちに伝えていきたい。
技術をある程度身につけてから見えた世界と価値観について、そして、技術の先に何を目指すか、次回は述べていく。
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