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不快な自撮りとそうでないもの
かれこれ10年以上SNSを利用している。
中学時代に始めたGREEからmixi、Twitter、Instagram、mixi2など。常にTwitterに張り付き、フォロワーに「ツイ廃すぎw」と言われることに悦を感じていた時期もあった。
人生の多くの時間を、SNSに費やしてきてしまった。その長い付き合いの中で、どうにも解せないものが"自撮り"だ。
僕がSNSを始めたころから既に自撮りという文化を存在した。時代が変わり、サービスが変わっても、僕のタイムラインに自撮りは流れ続け、今iPhoneに入っているどのSNSを開いても、自撮りを見つけるのは簡単だ。
自撮りに対してネガティブな感情を抱いている人も多いし、僕もたまに不快感を覚える。僕が解せないのは、不快感を覚える自撮りと、そうでないものがあることだ。これは何の違いによるものなのか。
そもそも、SNSの隆盛以前は、「自撮り」という言葉は一般的ではなかったと思われる。おそらくSNSが存在しない時代にも自撮りはあった。だが、それは家族やカップルの思い出の保存が主であったはずだ。
SNSもスマホもない時代に、わざわざガラケーで撮った自撮りを他人に見せるような行為が、広く行われていたとは考えにくい。
つまり、自撮りはSNSの登場により広く認知されるようになった概念であり、「自撮り」はただ撮る行為ではなく、SNSに投稿する一連の行動がセットになっている。これを考えると、自撮りという行為の動機は「写真に写した自分の姿を、誰かに見て欲しい」と言える。
ほぼすべての自撮りは、これが根本的な動機と断定してもよいだろう。ただし、アイドルやアーティストなど、自撮りによってファンの獲得や認知度向上といった実益が伴う場合は異なる。
そのため、まずは一般人の自撮りについて焦点を当てたい。
一般人の自撮りについて語られる際に登場することの多い言葉が「承認欲求」だ。おもに自撮りに対してネガティブな意見を持つ人が使う。
「○○自撮りばかり投稿して、承認欲求が強い」といった具合だ。
不快な自撮りとそうでない自撮りの差異は、この承認欲求が肝となる。
端的に言って、不快な自撮りは承認欲求が漏れている。漏れ過ぎている。画面越しでも「認めて欲しい」という願望、欲望がひしひしと伝わってくる。
例えるなら、レストランで美味しい料理を食べている最中に、厨房からシェフが出てきて「どう、美味しいでしょ?」と言われるようなものだ、わこれくらいなら「はい!美味しいです」と笑顔で返せるが、食べている間ずーっと隣に立って、料理を口に運ぶたびに「美味しいでしょ?」と聞かれたら、流石に辟易する。そんな感じだ。
そして、料理との違いは、相手が求めているかどうかだ。レストランへ行く人は料理が目当てで自らそこへ向かうが、自撮りの場合は異なる。みんなの自撮りを眺めたくてSNSを利用している人は少ないだろう。なので、基本的に一般人の自撮りは、見る人にとって「意図せず目に入る」ことになる。
先ほどレストランのシェフの例を挙げたが、もっと正確にいうなら、道を歩いていたらいきなり料理を食べさせられて「どう、美味しいでしょ?」と言われるようなものだ。
もちろん、想像を絶するほど美味しかったら話は別だが、基本的には不快だろう。
そもそも、自撮りをSNSに載せて褒めてもらいたいという欲求は、自分の承認欲求をリアルでの生活で満たせていないこと、つまり、現実での評価と欲求の差分から発する。なので、一般人の自撮りは見る人にとって、美味しくもない料理をお腹減ってない時に不本意に食べさせられるような気分になる。
これが不快な自撮りだ。
これと異なり、ネガティブな感情を抱きづらいのが、アイドルや有名人の自撮りだ。
アイドルの自撮りが不快でないのは、一般人の自撮りとは順序が逆だからだ。彼、彼女らは、認めて欲しいから自撮りを載せるのではなく、ファンに求められ、それに応えているに過ぎない。
ファンという側面から見ると、一般人とアイドルでは、フォロワーの質も異なる。アイドルをフォローしている人は、少なからず興味を抱いている人だ。
そして一般人はそうではない。知人の自撮りを楽しみにSNSを開く人は少ないだろうし、もしそうなのだとしたら、それはファンとアイドルの関係になる。
特にまとまりのない話になってしまったが、自撮りとはそういうものだ。