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麻雀でのオカルトについて語る。

今日も雀魂段位戦やってたんだけどあまりにも下手で酷いラスをひいたので気分転換でサンマをしていた。

そんな時にこんな事があった。

ダブリーのチートイで9ピンで待つか2ピンで待つか問題。

こんなの普通に9で待つのが当たり前でこれを2でまつ人は相当なオカルト信者か土田浩翔さん、牌賊オカルティの刈人くらいなものだ。


ごめん。2ピン待ちブームじゃないんだわ(笑)

ダブリーだから河の情報は0。そうすると単純に牌の使いづらさで選ぶしかなくなる。なら9で待つのが優位になるのは当たり前。

しかし河には無情にも2ピンが並んだ


麻雀とは本当に面白いゲームである。

過程で正解を選んだとしても結果は簡単にひっくり返ってしまう。だから人はその結果で一喜一憂するし時には本来確率的にありえない様な選択をしてしまう事もある。

自分は麻雀において一切オカルトは必要ないと思っている。どんな難しい選択を迫られても必ず優位な方があると信じているからだ。

そしてそれを見つけるのが麻雀の楽しさだと思うし自身の成長に繋がると思っている。

わからなかったらひたすら検証して優位を見つけ次から正着打を選べばいい。その選択を気分や運にまかせてはいけないと思う。

麻雀は勝たないと面白く無いゲームだ。

勝つ確率を少しでも上げる為の選択の繰り返し。裏目になろうともブれずに結果が収束するまで正着を繰り返し、長期的目線で勝っている打ち手になりたい。


麻雀で勝つためだけなら

オカルトは麻雀において絶対に必要の無い物。これは言いきれる。



ただ、麻雀をゲームとして
楽しむ人からしたらそれはまた違う。

オカルトはうまくハマると楽しい中毒的な要素もあると思う。人とは全く違う予想もつかないような選択をしてそれを上がりまでもっていったら?

絶対に気持ちよくなるし楽しいよね。誰にもできないだろ?
ドヤッてなる(笑)

麻雀は勝ってこそ楽しいと思う自分とはまた違う楽しみ方があるのだ。


勝ち負け以前にそうゆう楽しみ方をしている人も多数いるのは知ってるしもちろん否定する気もない。

なのでどっちが正しいとかないし。麻雀は自由。自分の好きなように打てばいい。

人に強要したり押し付けたらダメってだけで、もちろん自分の麻雀も人に押し付けるつもりもない。

結論!

自分が満足して勝ったり楽しんでいるのならオカルトでもオカルト完全否定でもどっちでもいいよね!

麻雀は自己満足ゲームだ!!


俺はオカルトを捨てて強さを追及する道をいくのみ。

そして

オカルト肯定派もオカルト否定派もお互いを認め合い楽しく麻雀したいよね!


自分の意思を貫くのは大事!!でも人に押し付けちゃダメ。


おわり









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