ショートショート ある昼下がりの会話
その日はいい天気だった。休日のランチタイムも過ぎた、予定をうっかり入れ忘れようものなら手持ち無沙汰になってしまう(だがそれがまたいい)時間帯。大通りから一本入った裏道、日光の届かないオープンテラス席で、トクはアイスコーヒーをちびちびと飲んでいた。手にした端末で新聞を読む。「鎖国政策で身体ガジェット価格高騰」「性別撤廃法改正へ 身体的特徴記入廃止」「『俺は男だ』全裸でスクランブル交差点」最後の見出しのカギ括弧の中は声に出してよみかけて、やめた。あたりを見渡すと、狭くて湿気のある路地には誰一人いない。と、道の端に、こちらへ歩いてくる陰が見えた。
「やあ、トク」。ひらりと左手を挙げて高い声をかけてきたのはリャマーだった。「リャマー、久しぶりだな。元気してた」「うん。君も相変わらず健康そうだ」。トクの向かいに腰掛けてリャマー「すみません、アイスコーヒーひとつ」。さっきと同じように挙げた左手は、よく見るとプラスチック製の義手だった。
「それ、どうしたんだ」「ちょっとね」「事故?」「ああ、そういうことにしてるんだけど、まあ」「え、もしかしてお前・・・」「うん、利き手だったからけっこういい手当が付くんだよね」「・・・不便じゃないのか」「格ゲーは弱くなったよ」ははは、と困ったような笑顔を見せた。近頃、裏で流行っているとは聞いていたが、まさか自分の友人まで・・・トクは表情を崩さないように気をつけながらも、そういえば今コーヒーを持ってきた若い店員も、右足首の動きが不自然だ。なるほど、楽に金が稼げるし義肢の性能も上がっているからハードルが下がっているのだな。このアルバイトは義肢の購入費をまかなうためかもしれないが、それも7割は税金でまかなわれるからそこまでの負担ではないだろう・・・
「それで、今日はどうしたの」。リャマーが話しかけてきていた。「ああ、いや、久しぶりにこの辺まで出てきたから、なんとなく連絡してみたんだ」「そうだったの。ありがとう。私もちょうど会いたかったところ」「え?」「いや、深い意味はないから」
トクが首都圏に出てきたのはおよそ3年ぶりだった。電力会社に勤め、ここ数年は大規模な再開発で道路の位置がずれるのに合わせて、地下に埋まった電線をつなぎ直すのにてんてこ舞いだった。
「それで、お金も貯まったし旅行でもしようと思って。都会の美術館とかギャラリー巡りをしていたんだよ」とトク。「へえ、アート好きだったんだ」「まあな。田舎だと本物を見られる機会も少ないし」「私にはああいうのわかんないな」「好き好きだよ」
なんとなく、気まずい空気になってしまった。トクは路地の方に目を向けた。太陽が雲に隠れ、薄暗い路地の闇が濃くなる。壁と地面の境目が曖昧になる部分に目をこらすと、何かがうごめいているような気がしてしまう。こういうことはよくある。ほら、目を閉じると、まぶたの裏の暗黒にうねりが起こる。砂漠を横断する竜巻のような風景が見えたかと思うと、時にデス・スターの間を高速で飛び交う宇宙船に乗っているような錯覚に陥る。大きな爆発が起きることもあれば、小さな粒子がリズムに合わせてダンスする・・・目を開けると、リャマーが眉間にしわを寄せてこちらを見ていた。「寝てた?」「いや、ちょっとぼーっとしていた」「トクは昔からそういうことあるよね」「そうだっけ」「うん、よくあるよ」「ごめん」「いや、いいんだけどさ。疲れ溜まってるんじゃない」「そうかも。本当に働きづめだったから」
「トクもさ、これやった方がいいって」とリャマーは左手の義手を見せる。「手当だけじゃなくて整備で休暇取れたりするし、障害者認定で美術館もタダで入れるんじゃない?」。トクは、ううむ、と曖昧にうなって返事に代えた。「たしかに、モラル的にどうなのとは私も最初は思ったけどさ」リャマーは続けた。「でも違法ってわけじゃないし、最近テレビでも義肢を堂々と見せてる芸能人も増えてきたしさ。いいんじゃない」。そうだねえ、とトクは声に出したつもりだったが、言えていなかった。「やったもん勝ちだって。あと性別とかもさ、法律で撤廃されて子供だって試験管の中で好きなように遺伝しを選べるんだしさ、先天性の障害はないんだし、事故だって実際ほとんどないでしょ。あんなに義手とか義足の人がいるわけないんだよ」。よどみなく続く熱弁に、もうトクは何も言う気にはなれなかった。
結局リャマーは「まあ、個人の自由だよね」と元も子もない言葉で締めた。トクは「でも見てると技術の進歩はすごいと思う」とフォローし、「必要になったら考えてみるよ」「いや別にトクに着けてもらいたいわけじゃなんだけど」と笑いながらリャマーは、トクに名刺を差し出した。「実はこういう仕事をしていまして」。名刺には「義肢デザイナー」の文字。「そうだったのか。色々と思うとこあるわけね」とトクは笑った。「ごめん、自分の思想と仕事は分けないといけないからさ。つい」とリャマーも笑う。しばらく仕事の愚痴や昔話に花を咲かせ、「じゃあ、また」「お互い頑張りましょう」と言って路地を違いに反対方向に別れた。トクは次のギャラリーを目指す道中、サイレンの音を聞いた。ふと見上げると、建物と建物の間の空が、真っ赤に焼けて、まぶしかった。
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