言葉のない世界を生ている1歳児と言葉を失っていく認知症の父との間で
もうすぐ1歳4ヶ月になる双子の孫と、おもちゃを通じて向かい合う毎日だ。ママに、「この子たちとあなたは(ママ)うちのおもちゃ研究員です」と冗談ながらよく言うんだけど、とにかく1歳児はおもしろい。
赤ちゃん期の「快」「不快」の表現から、少しずつ微妙な感情が伝わり始める。それも言葉以外の方法で。私は、彼らが遊んでいる様子を横でじっと見つめる。まだ上手に動かせない指先を使ってつかもうとする。ひっかける。入れる、そして取り出す。
ずっとずっと繰り返す、声も出さず。
聞こえてくるは鼻息。
言葉のない凝縮された時間をともに過ごしながら、彼らの行動の理由を考える。そううち、なんだか彼らの脳の中にいるような気持ちになったりする。何かが思い通りになった時、微かに発する「っは」という声は、そばにいると私もその嬉しい気持ちが伝染する。
そして父。
父は少しずつ言葉を無くしている。
父はレビー小体型認知症と診断されて2年経つ。遠方にいて、今年はこういう状況なので帰れずにいるのだけれど、毎日、電話で話をする。
話すことは決まっている。
「こんばんは」
「お父さんですか?」
「体の調子はどうですか?」
「お腹の調子はどう?」
「晩ご飯は食べた?」
「今日は散歩に行った?」
「今日は雨だった?」
言葉を変えると、わからなくなる。そして父は自分の不甲斐なさに「頭がくるうちょるんよ」と悲しそうにいう。だから、お決まりの言葉に戻すと、安心して答える。
言葉をこれから獲得していくだろう孫、少しづつ言葉を失っていく父、その相対する世界は、いずれ逆転する。もしかしたら、今、シンクロしているときかもしれない。
老いていくいのち、新しく生まれたいのち、その世界を同時進行で経験できる貴重な時間を、今私は過ごしている。
*写真のおもちゃは、研究員たちと開発してた「ひっかけちゃん」です。命名はママです。また作り方は載せます。