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Z世代 エクスプロージョン💥

 ゆとり世代、ミレニアム世代、デジタルネイティブ世代...。各世代の特徴を表出する名称は数多く存在する。近頃はもう死語と化した日本のゆとり世代やさとり世代、U.Sで生まれたミレニアム世代やY世代。定義や各世代の特質は、消費者行動やデジタル浸透度合、風俗、文化など、どれをとってもユニークだ。

 この2020年、コロナ禍で一際脚光を浴び始めているのが、ご存知『Z世代』。1996 ('97 という見解も) 年以降に生まれ、ネオデジタルネイティブな特質を備えた新世代が、昨年2019年から次々と社会へ飛び出し始めている。
 初代Z世代が1996年ならば、2019年の時点で4年制大学卒業を卒業し、就職という形で被扶養から抜け出し独立し始めている。そしてZ世代の社会人二代目(1997年生)の門出は、幸か不幸かコロナ禍に見舞われての門出となった。

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 ネオデジタルネイティブとパンデミックがもたらした、Z世代の盛んな消費行動、豊かなクリエイティビティ、個々人のデジタルな繋がり、不完全性嗜好...(詳しくは『ソーシャルリバースメンタリング』をご覧になっていただきたい)。このような性質が起因してか、Z世代を取り巻くプラットフォームやムーブメントはコロナ禍以後で数多く取り上げられており、特に7~8月の間では凄まじい関心が集まっていることが確認できる。[上図参照]

 だがここで私が結論付けたいのは、決して『TikTokの存在があってこそだ』とか『SNSの扱いに長けているからだ』とか、そんな即物的なところではない。もちろん、そうしたSNSプラットフォームがなくては、このような結果は生じなかったであろう、いやむしろ、なくてはならないほどの要因であることに疑いはない。ただ、そうした外部的要因から離れ、もっともっと心情に寄った理解の仕方をしたいのだ。
 そうでなければ、例えばもし1997年に『よし今日からSNSを利用できるのは満70歳以上とする!』とか法が出来上がり、パンデミックが訪れた2020年、当エルダリー70世代はデジタルネイティブになっているになっているだろうか? 果たして彼らに me me や ポップカルチャー 、 高度なクリエイティビティが生まれているだろうか? 『なってみないと分からんだろう』と思うだろうが、下地のでき上がったエルダリー70世代に、SNSがもたらす新鮮なデジタルな繋がり、日々リバイスされるUI/UXに添いアップデートし続けられるとは思えない。

 私は、Z世代だったからこそなしえたことだと、一人のZ世代として主張したい。
 さて、虚構の事例をあげるのもいいが、以下で実際に、Z世代を取り巻く記事をピックアップし目を通していきたいと思う。



▽デジタルソーシャルが動かす政治関心動向

 スウェーデンの少女から始まった環境保全運動U.S ケノーシャの銃撃事件人種差別問題。それらを取り巻くストライキやデモ、SNS上でのなどの抗議活動。近年で言えば、香港の国家安全法施行安倍政権の撤退U.S 大統領選など、コロナ禍前後に起きたセンセーショナルな出来事には、列挙にいとまがない。

 環境保全への関心増大やレイシズムへのヘイト、新たな指導者の台頭など、こうした革命的推進を支えていたプラットフォームは、紛れもなくSNSである。そして、そうしたネットワークを駆使しているのが誰かといえば、ソーシャルネイティブ / ネオデジタルネイティブ と呼ばれるZ世代の若者だ。
 事実、抗議運動への参加呼びかけや啓蒙などはSNSプラットフォームを介して伝播しており、Black Lives Matter などといった、SNS起点で世界的な広がりを見せた活動は記憶に新しいだろう。

 しかし、『若者が慣れ親しんだSNS、そこが起点であったからと言って、必ずしもZ世代が媒体してるとは限らない』という声もあることだろう。これについて考える前に、Z世代の一つ前の世代、ミレニアム世代について考えてみたい。
 ミレニアム世代もデジタルネイティブ世代と呼ばれており、デジタル環境下に生まれながら親しんできた。しかし、この時点では現在爆発的な広がりを見せているInstagram や LINE、Twitter、TikTokはその飛躍ぶりの片鱗ほどしか現していないし、Twitterの誕生は2006年、InstagramやLINEに至ってはその登場は2010年だ。
 諸説はあるが、ミレニアム世代は1981~1995年の間に生まれた、2020年で25~40歳周辺の世代を示し、この世代の中央値は32~33歳となる。彼らが成人し社会進出を果たしたのは2007~2008年となる。

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 この頃のSNS普及具合を示したものだが、先述したような類のSNSはまだまだ開発途上にあり、この頃はデスクトップで操作されることが基本だったため、人々が常時オンライン状態であることがなかったのだ。
 この点こそが、ミレニアム世代はデジタルネイティブと言われ、Z世代にはデジタル・ソーシャルネイティブという呼び方がふさわしい、と考えられる由縁である。

 メールやブログを介したポスティングがメインで、相手の閲覧状況や素早いリプライがない状況下では、デジタル界下での人との密な繋がりは、現在と比べれば感じにくいものだっただろう。しかし、Z世代はスマートフォンを持ち歩いている限り常にオンライン環境下にあり、情報伝播スピードと個々人の接続は超高速化している。
 何かと何かがぶつかり合う時に音が生まれ、それが耳に届くまで時間を有するが、音はあまりにも速すぎるがゆえに人はそれを忘れてしまう。このように、プロセスの忘却がモノとモノとの直接的な繋がりを擬似体験させるように、超高速でデジタル上で繋がる私たちは、2007~2008年よりもずっと、デジタルな人との繋がりを自然に感じている。

 こうしたような違いから、Black Lives Matter のようなSNS起点のアクションは、単にSNSと私たちの共存が生んだのではなく、Z世代というデジタル環境をナチュラルに感じとる世代があってこそ起こり得たと考える。



▽ベッドルームポップというカオスに鎮座するZ世代

 コナン・グレイやビリー・アイリッシュにみる、どこか鬱屈としたチルアウトな感覚、どこの音楽ジャンルにも属さないオルタナティブなリリックは、近年台頭し人気を博しているアーティストに多くみられる特徴だ。
 ストリーミングサービスの普及により、Z世代の音楽の楽しみ方はジャンル・時代横断的に始まった。それゆえ、Z世代の約97%の女性たちが「最低5つの音楽ジャンルを日常的に聴いている」との調査結果も出ている。また、話は逸れるが、同性愛についてZ世代を含む18~29歳(2019年時の日本)が9.1という最も高い寛容度を示しており、[下図 右上] ジェンダーにせよ音楽ジャンルにせよ、旧態依然の分類を拒否、解体したポスト・ジャンル性の思考が見受けられる。

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 事実、i-D の記事でのZ世代を代表するアーティスト ビリー・アイリッシュ インタビュー記事を抜粋するが、彼女の場合はポスト・ジャンル性を名言しており、ありとあらゆるジャンルを聴き続けてきたがゆえに、自然発生的に、様々なジャンルを融和させたオルタナティブなリリックが生まれたのだと考えられる。

ジャンル分けをベースとした音楽チャートを発表しているビルボードとのインタビューで、ビリーはこう語っていた。「私はジャンルっていう考えかたは嫌い。曲を何らかのカテゴリーにはめるべきじゃないと思う」

 寛容性、とは異質を受け入れ理解を示すことだ。私は、その先にあるものこそがインクルーシブ性だと考えている。つまりは、多様であることが大前提、ということだ。
 『マイノリティのLGBTQは受け入れてあげなきゃダメだよね』ではない。『LGBT+であろうがそれ以外の何であろうが、またそこに属さないあなた固有なものであろうが、そもそもみんな違うのが当たり前だから』という理解レベルにまで落とし込まれている。

これこそが、「旧態依然の分類を拒否」している状態であり、『LGBT+であろうがそれ以外の何であろうが....そもそもみんな違うのが当たり前だから』という状態に完全に落ち着いているのだ。
 動的に、受け入れなくては、と虚勢の寛容さを顕にするのではなく、静的にカオスの中に鎮座している状態なのだ。



▽メンタルヘルスに喘ぐZ世代

 強烈な記事だったが、メンタルヘルスに悩むZ世代の一種の排気口としてワークしているのであれば、こうしたエンパシーに意識が集中するのも当然だと思えた。

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 政治的関心の項で述べたように、コロナ前後で、Z世代は将来への寂寞な不安を駆り立てられている。ディズニーソングにみるような、恋愛至上主義的・ロマン主義的な世界観に対し、悲観的なリアリスト、 Z世代のシニカルな意思表示が見受けられる。

 調査によると、Z世代は、ミレニアル世代(15%)やX世代世代(13%)を含む他の世代と比較して、自分の精神的健康状態を「まあまあ」または「悪い」と報告する割合が圧倒的に高い(27%)。また、メンタルヘルスの専門家から治療やセラピーを受けたことがあると報告する割合(37%)も、ミレニアル世代(35%)と並び、X世代の26%、団塊の世代の22%、高齢者の15%と比較して非常に高くなっている。

 アメリカ心理学会(American Psychological Association、アメリカ合衆国における心理学分野の職能団体として代表的な学会)の見解を載せた記事では、明らかなZ世代のメンタル・サスティナビリティへの問題が確認できる。

『プロセスの忘却がモノとモノとの直接的な繋がりを擬似体験させるように、超高速でデジタル上で繋がる私たちは、2007~2008年よりもずっと、デジタルな人との繋がりを自然に感じている。』

 先述したようなこうした要因が、<繋がり> の意味を問われたこのコロナ禍で発露し、どこまで行っても社会と個人を切り離せず、個 と 他 のはざまに喘ぐことは避けられないことだろう。



▽Z世代間での趨勢

 ベッドルームポップもある種Z世代起点のカルチャーと言えるだろうが、ポップカルチャーに近しいファッション界からも、まだミレニアム・ピンクが耳に新しい間に、Gen Z-yellowGen Z-green などの新たなファッションカラーが台頭してきている。

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 新鋭スタジオA24が手掛け、Z世代的映画と言われる『EUPHORIA』。それに象徴される、耽美的ながら退廃的なネオン調ヴァイオレットも、一種のZ世代カラーと言えるだろう。(余談だが、コンテンツジャンルとしては相反する『ブックスマート』も、Z世代的で「旧態依然の分類を否定」する価値観に対して静的な立ち位置にある。)

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 さて、そうしたファッション / ミュージックの他に、興味深かったカルチャーが、ファーリー・コミュニティファーリー・ファンダム)である。左記リンク先のHEAPSの記事を参考にすると、以下のように説明されている。

一般的には、擬人化された動物のキャラクターになりきり、着ぐるみに身を包むサブカルチャーのこと

 日本でいうところの ケモナー だが、個人的なイメージとして二次色が強く、イコール ではない。
 かれらの活動舞台は主にTikTokで、ファーソナ(ファーリーの人格)が覆うのは、多くがZ世代なのだ。下記のGrinsomeも、22歳の現役大学生ファーリー・インフルエンサーでリンク先でインタビューを受けている。

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 一種、オブジェクタムセクシュアル(またはアセクシャル)に包括されるフィクトセクシャルのようなものを感じたが、精神疾患を抱えた若者や、人前が苦手な人など、ファソナ(ファーリーの人格)を獲得することでそれを克服することがあるという。
 前項で、メンタルヘルスに問題を抱えるZ世代に言及したが、ファソナの性別もジェンダーも性的指向も関係ないフルフラットなコミュニティ性と、動物という可愛らしさ(Twitterでネコが出回っていることから理解は容易いだろう)も合間って、ストレスを解消し合っているのだろ。



▽マーケ界から注目を受けるZ世代

 Z世代起点のユニークで特有な価値観・消費生産行動が起因してか、Z世代を主題にした番組企画やラジオ、メディアなどが多く立ち上がっている。以下で、個人的に興味深かったものを列挙しているが、この他にもZ世代にフォーカスしたシンクタンクやコミュニティ、組織は数多く存在していることだろう。

Z総研 
dot
めっちゃKawaii TV
超十代チャンネル
17.3 about a sex
ハニーアット 
YNGpot.™ (by 電通デジタル)

 中でも9月17日から ABEMA より放映された『17.3 about a sex』では、性のリアルに迫る女子高校生3人を中心としたドラマであり、まさに、「いままでは恥ずかしいコソコソとしか言われていなかったが非常に重要なこと」つまりは勝手に御法度と思われていたようなことが、当たり前に必要だと皆が気付き始めているのだ。

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 先述した『ブックスマート』の記事で紹介されていたが、バービー人形のような体つきを求めているのではなく、彼女が静的にそうである状態に鎮座していたいのだ。この、変化に対して毅然とした「(これこそがわたしなんだ。これが)当然だろう?」という姿勢であることこそがインクルーシブ性であり、『17.3 about a sex』の登場は、(世論の声等々もあろうが)やはりこの「(こういった正しい情報がみんなに必要なのは)当然だろう?」という姿勢からきているように思える。

 マーケット界で取り沙汰にされているZ世代だが、その毅然とした姿勢はどこに身をおこうがインクルーシブ性を孕んだものであることが伺えよう。

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 そんなZ世代であるからであろうか、こうした記事を見ても「なるほどどんな企業理念と製品を持っているんだろう?」と至って冷静に考えてしまった。(もちろん、年齢に似合わずすごいことするなあ!と敬意の念は払っている)皆さんはいかがだろうか?


...


▽ まとめ

 さて、ここまで、Z世代起点で生じた様々な事象をフィーチャーした記事を紹介してきた。
 デジタル界に身を置き続ける私たちは、常に時代・ジャンル横断的に、どんなものであろうとアプローチできる。どこまでも遡り続け、どこまでも探求し続け、どこまでも、クリエイトし続けることができる。Z世代は、そんなポテンシャルに満ちた地球上で初の人類とさえ言える。

 夏目漱石の『こころ』には、こんな一節がある。(うろ覚えなので完璧な引用ではないが....)

妻は私以外の男を知らない。わたしも、妻以外の女の髪に巻かれたことはない。それでもなお、世界で一番優な男女の対に違いはないはずだ

 わたしは、村上春樹や東野圭吾をわずかにしか読んだことがないし、読もうとは思わない。(こう言えば、読まないことこそが優な聞こえがするが決してそうではない。)
 「しらない」「体験していない」という処女性を、非体験的に擬似的にデジタル上で体験することができる、そのことが処女性を ”非体験的に体験すること” を可能にする。性交体験のすばらしさ、またそのみずぼらしさは体験しその衝撃を会得してこそ、それがない生活・当たり前な生活の良し悪しなどを判断できる。”非体験的な体験”とは、その衝撃をデジタル上で会得し永劫的に処女性を保ち、静的な姿勢で現状を享受することだ。つまり、「世界で一番優な男女の対に違いはない」と判断できるのだ。(『こころ』に登場する先生はそれを会得しているが、ある種 "悟り" という風のに表現できる。)
 体験していないが故に見える、モノの永劫的な輝かしさは、往々にして若く失われるものだが、Z世代はそれを永久に獲得し得る(再三で恐縮だが)地球上に生まれた初の世代なのだと言える。

 処女性を失った時の盲目さを、非体験的状態で体験ができる、その状況こそが永劫の処女性をZ世代に付与している。

 夏目漱石の『こころ』、攻殻機動隊ARISEのエンディングテーマを歌った『Salyu x salyu』に出会えた。1951年に書かれ、美空ひばりがカバーした『上海帰りのリル』を知り、感動できた。

 やや飛躍的な論考だったが、あらゆるものがカオス状に入り乱れる現状を静観しその中に鎮座し自己を冷静に肯定できることが、このZ世代を決定づける特徴なのかもしれない。


▽ 書いた人

https://note.com/tammadebypeople/n/nbbc3c58db059

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