自分が全然わかりましぇん。

僕は子どもが好きというよりも、たぶん「人間のコミュニケーション」が好きなのだ。

そういう先生だった。

教師のくせに、あんまり子どもたちと関わりたくないというのがベースにあった。だから努力しないと、すぐ子どもたちとの関係が崩壊しそうになるので、そこは自分なりにかなり強い意識をして子どもたちに関わっていたかな。

そんなわけで「あんたら自分たちでやりなさい」タイプの人間だったから、割と教室の自治には自然と取り組むことができた。そういう自分の性格で、どうしたら良いかをすごく考えたから「いかに関わらずして育てるか」をいつも具現化してきた。

ついてきてくれた子どもたちには感謝しかない。






僕は子どもに深くかかわるよりも、子どもたち同士が深くかかわることを見ているのが好きだった。

それは子どもだけではない。

大人のそういう姿を見るのが好きだった。

話し合っていたり、一致団結したり、深い問いにみんなで向き合ったりする姿を見ると「みんな大好き!!」って思う。謎の愛が生まれる。

そんな中で、普段しゃべれない人がしゃべったり、いつもいばっている人が誰かに気遣いする姿なんかをみrと、もっと激しい愛の気持ちが生まれる。

だから、僕はそういう場所で仕事がしたいし、いうなれば、生きていきたいのだ。




残念ながら、僕の所属した教育現場では「職員会議」というのは名ばかりで、ほとんどみんなで意見を交わすこともなく、物事は決まっていく。


自分のクラスの子ども達には、話し合いを中心に学級経営をするけど、それがなかなか広がらない。


しまいには「けすうよ先生だからできるんですよね」で、終わりになってしまう。


実力を発揮して出世することもできたけど、ずっと体育やら特別活動やら外国語やらICTやらの役職を「若いから」「勢いあるから」とあてられ、結局13年ほどであきらめてしまった。




最近、また教育関係の世界や、児童支援などの世界から、ありがたいことに声をかけてもらっている。


でも、なぜかこの世界に僕のトリガーがひっかからない。
そういう世界からの連絡が来るだけで、なぜかとってもモヤモヤする。

同じ分野の方がいいとか、実力を発揮できる世界に、というのは転職のテッパンではあると思うけども、今の僕はそこから離れたいきもちでいっぱいだ。

でも、大学教員にはひかれるけど。


ああ。


自分が、全然わかりましぇん。


なぜか、すごく寂しい。

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