最後は自分で自分を救うしかない
今日パートナーに言われた一言
確かにその通りだ
これまで仕事のことについてたくさんの人に相談したり 調べ物をしてきたけどもうこれ以上 外からのヒントは出してもらえないような気がしている。
つまりここからは自分で切り開くしかないのである。
僕は大学院にも行ったし 2度 すでに 教員を退職しているので 教職の道がもったいないと思っていないつもりだったけど、冷静に考えてみると この世界から出ようとしていない 自分に気がついた 。
ここまで頑張ったのにもったいない
やはり どこかでそう思う自分がいたのである。
ここまで来たら もう最後は自分で決断するしかない やっとそのことに気がついた。
今は行動して自分の感性にピタッとくるものを探す フェーズに入っている。 本もその一つであるが 一番は外出すること それからヒントをもらうのではなく仕事をしていることについて 人に話を聞くこと。 何か探そう探そうとすると 見つからないものであるから、
そういう気持ちを捨てて純粋に美味しいものを美味しいと感じたり楽しいものを楽しいと感じたり美しいと思うものを美しいと感じ見たいと思うものを見に行くようにしている。
ちょっとずつであるが そうしていると別の世界で頑張ろうとする 自分も イメージできるようになってくるのである。 教員だけではなくサービス業をしている自分 それから アパレル関係の仕事をしている自分。 それも おかしいことではなく 現実としてあり得ることなのだという感覚が芽生えるようになってきた。
できることとかやれることとか特技とか仕事を考える上で ロジックに当てはめると確かに分かりやすいんだが これは割と服のコーディネートに似ていて みんながやっているからと言って同じものをやったところで自分に似合わなかったり 面白くないなと感じてしまうものがある それと一緒であまりロジックに当てはめすぎず オレンジ色が好きだからオレンジ色の服を着ちゃう という感覚と同じように もっと自分の心に ただ素直に従うそんなことも今は必要だ。
そういった意味では 好きな服を着るというのは自己表現を抑制してしまうようなタイプの人間にとってはとっても良いリハビリになる。 好きなものを好きなように着る 誰が何て言うとかいちいち考えない服 ぐらい そういったことをやっていけば 自分の感性は取り戻されるような気がしてきた。 それを言い訳に服を買いまくっているけど 僕はそういう自分でいたいと思っている。
それからたくさん 相談してきて思ったけど、同じ教職員の人にキャリアの相談をしても改めて子供たちは素晴らしいものだからもったいないよとか必要とされる場所があるんだから いちいち変えなくていいんじゃないかとか何にも決まっていないのに何かを進めようとするのはもうちょい 後でいいんじゃないかとか一見 冷静なアドバイスをもらえるんだが
ロケットを飛ばした 植松さんが言っていたように経験したことない人たちに相談してもやろうとしていることを止められるだけなのだ。 もちろん みんな意地悪を言っているつもりはないのは分かっている。 でも わくわくする アドバイスがないのも事実なのだ。 だからそういう意味でも結局最後は自分で自分を救うしかない。
ここまで来たら、やぶれかぶれで自分を信じよう。
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