16. 道場破りに行ってきた
2015年2月未明。
ミッションが決まった第二回のミーティングからさかのぼること数か月。
とても場違いなところに来てしまった、とぼくは後悔ひとしおだった。
ぼくは立ち上げメンバーのO氏とともにとある宇宙団体のミーティングに来ていた。
それは同じく立ち上げメンバーのH氏が副理事を務める団体で、リーマンサット設立のきっかけとなったMAKRE FAIRE TOKYO 2014では(H氏が勝手に出展を決めたとはいえ)ブースの一部を借りてお世話になったところだ(ちなみに、立ち上げメンバーO氏とM氏が出会ったのもここの集まりだったらしい)。
幸いにも数十人の参加者に恵まれたKICK OFFのミーティングもつつがなく終了し、立ち上げの報告も併せて一度ご挨拶を、と思っていたところ、その某団体の定例報告会でプレゼンをしないかと打診があり、二つ返事で承諾した(してしまった)。
ここに来た目的は二つあって、一つはMAKER FAIREでお世話になったご挨拶、そしてもう一つは、これまでの専門家と宇宙オタクだけで構成されていたと言われていた既存の民間宇宙開発分野に、ド素人が集まって方向性もやり方もこれまでとは一味違うリーマンサットの立ち上げを高々と宣言し、新しい風をぶっこんでやろうという目論見があった。
とはいえ、扉を開けてぼくはものすごく後悔した。何も知らないということがいかに罪であるか、まざまざと感じた。なぜならば会場には元JAXAの方や大学の先生など、正真正銘宇宙開発の専門家がそこかしこに鎮座しているのだ。
何の知識も経験もなくノリだけで立ち上げ、おふざけ満載でちゃらちゃらやっているリーマンサットとは雰囲気からして違う。全然違う。
こんなところで「リーマンサットでーす」などとプレゼンをしたらどうなるのか。
「知識も経験もないなど、舐めているのか」
「おふざけでできるほど宇宙は甘くない」
「素人はひっこんでいろ」
など、針の筵にされるに違いない。それも正真正銘宇宙の専門家から。これは非常にまずい。
リーマンサットのKICK OFFでは同世代くらいの「宇宙に憧れている人たち」であったからまだいいものの、宇宙の専門家が放つ言葉は重みが違う。怒られたら立ち直れない。
というわけで、ぼくはプレゼンターをO氏に押し付けて末席から身を小さくして見守る役を請け負うことにした。だってぼく宇宙好きじゃないし、巻き込まれただけだし、みたいな顔をして。
だいたい、ぼくは来たくなかったんだ。O氏が(この重苦しい)雰囲気を一度でいいから味わえと無理やり連れてこられたんだ。逃亡寸前だろうがなんだろうがとどまっている時点でぼくは十分偉い。O氏に重荷を押し付けてしまったことになるけれど気に病むことはないのだ。そうに違いない。
などと自分に言い聞かせていたら、リーマンサット・プロジェクト(仮)のプレゼン番が回ってきてしまった。
緊張の面持ちで前に出るO氏。
さしあたりぼくは、学会のごとき厳しい質問にさらされまくったりうまく答えられなくて冷たい視線に刺されまくったりしても残念ながら助けることはできないでもせめて骨は拾ってやるからどうにか成仏はしてくれ! 南無!と天に祈った。
結果から言うと反応はぼくらのKICK OFFと同様、結構好意的だった。定例会に参加してみたいとか、HPいつも見てるよ、とか。
(このときは本当にまだまだ始まったばかりで、ド素人の小僧どもがなんか始めたな、うまくいったら誉めてやろう、さしあたって今は害にはならなさそうだ、くらいに思っていたのかもしれないが)
ぼくは詳しくはないのだけれど、当時の民間宇宙団体界隈はなんだかんだと行き詰まりがあるようで、若い人たちが集まって宇宙開発を盛り上げて新しい風を吹き込んでくれる、大いに結構、と思ってくれたようだ。
当初は他の団体に出向くと何を言われるのかドキドキしていたものだが、リーマンサットの活動とか理念と話すとおおむね好意的な反応が返ってきて、厳しいフィードバックはそれほど受けたことがない。
そもそもぼくら立ち上げメンバーが何も知らなさ過ぎて常に「力を貸してください」的な姿勢で入っていったこともあるだろうけれど、「楽しくやろう」をモットーにしていたのも関係があったのかもしれない。
零号機打ち上げまであと約3年半。
リーマンサットに興味を持ってしまった方はこちらへ
https://www.rymansat.com/
PHOTO BY NASA
皆さまのご厚意が宇宙開発の促進につながることはたぶんないでしょうが、私の記事作成意欲促進に一助をいただけますと幸いでございます。