08. 一羽目のペンギンたち
みなさんは「一羽目のペンギン」という言葉をご存じだろうか。
海に面した崖の上に無数のペンギンがいる。海には餌があるが同時に天敵もいる。リスクとリターンがある海を前に、ペンギンの群れはまごついて崖の上に留まっているがある時、一羽のペンギンが海へと飛び込む。すると、他のペンギンも一羽目に倣ってみな一斉に海に飛び込む。
リスクのある海へ一番初めに飛び込んだペンギンがいて、そいつがいたからこそ他のペンギンもそれに続く。危険かもしれない海に一番初めに飛び込んだペンギンは偉い。リスクにおびえてばかりで海に飛び込もうとしない二羽目以降ではなく、リターンのためにリスクを積極的に取りに行く一羽目のペンギンになるようにしたい。
これが「一羽目のペンギン」である。
しかし本当に一羽目のペンギンは偉いのだろうか。
うん、いくら餌があるとはいえ危険かもしれない海に一番初めに飛び込むその勇気と行動は確かに尊い。だが、一番初めに飛び込む、ということは、一番初めに危険にさらされる、ということでもある。飛び込んだ途端にオットセイやトド、シャチに食われてしまうかもしれない。二羽目以降のまごついたペンギンたちは「前例がなくてはリスクを取れない臆病者」と捉えられるようだが、それは違う。
一羽目が海に飛び込んだとする。その後仮に二羽目以降が飛び込まなかったらどうなるだろう。もし海の中にたまたま天敵がいなかったとしたらその一羽目は海中の餌を独占できるかもしれない。しかし、昨今の気候変動やらなんやらで天敵のいない海に入れる確率はごくごくわずかだ。海と陸の境目に住む生き物はなんであれ非常に厳しい環境に生きている。もし「いち早く海に飛び込めば餌を独占できる」などという考えから一羽だけ海に飛び込んだとしたら腹をすかした海中のハンターに寄ってたかって食われるのがオチだ。欲に目がくらんだ無謀な行動は英断でもなんでもなくただの愚かな行いである。
ではどうして一羽目のペンギンは海に飛び込むのか。それは自分が飛び込めばほかの連中も同じように飛び込むからだ。たくさんの仲間が飛び込めば天敵からの狙いを分散することができる。だからこそペンギンたちはリスクを分散しつつ餌を獲ることができるのだ。
一羽目のペンギンは勇気があるから海に飛び込むのではない。他の連中も一緒に飛び込んでくれると知っているからこそ最初に飛び込めるのだ。
リーマンサット創設者5人の中では誰が一羽目のペンギンなのか。時折そんな話題になる。
誰か、と言われればO氏をあげる。ほかの4人を集めて「この5人で宇宙開発をやろう」と言い出したのは彼だ。
では、彼はこの5人の中で一羽目のペンギンとしてイメージされる「先導者」なのか? そうは言えない。彼はチームを集めて、「趣味でできる」をコンセプトに宇宙をやろう、とは言ったが、具体的に何をするのかを決めて進めたのは彼ではない。
じゃあ誰がその先導者か。H氏がMAKER FAIREに出す、と言い出さなければ「素人で集まって人工衛星を作ろう、プロジェクト名はリーマンサット」とはならなかっただろう。けれど人工衛星を作ることを決定したのは5人の総意だったし、その後どうプロジェクトを進めたのは、5人が各々考えを持って時に議論し、行動していったことにある。
そもそも「一羽目のペンギン」がそんなに重要だろうか。
鳥類はほかの個体の動きが刺激となって次の行動に移る性質を持っている。雁の群れが編隊飛行するのは別にリーダーがいてほかの個体に指示を出しているわけではなく、個々が集団の中で航空力学的に効率がいい動きをしているだけである。
一番初めに海に飛び込むペンギンは、勇気があるのではなくたまたま崖っぷちにいてほかの個体の動きを刺激のような形で受け取りたまたま一番初めに海に飛び込んだだけではないだろうか。
たまに「一羽目のペンギンは一番初めに海に飛び込むからこそ、多くの餌にありつけ、仲間に安全を示して集団を導く存在だ」という人があるがそれはおかしい。なぜならペンギンは一羽目が飛び込んだら、ほかの個体も続けてすぐに同じ行動をとるので一羽目と二羽目以降が海に飛び込む時間は一秒も違わない。餌を多くとれるのは一番にならずとも早めに飛び込んだ狩りのうまいやつだし、海の中が安全かどうか認識するのは海中でほかの個体がどう動いているかを見てからであり、一番初めに飛び込むこと自体は海が安全なのかどうかとは関係がない。もしシャチがうようよいたとしたら早く飛び込んだほうが単純に食われる確率が高くなるので、一羽目のペンギンは明らかに飛び損である。一番初めに飛び込むよりもちょっと時間がかかっても事前に海の中が安全かどうか確かめることのほうがよっぽど重要だ。
というわけで、一羽目のペンギンをそれほど重視しなくてもよいのではないか、とぼくは思っている。ぼくらがリーマンサットを立ち上げた際にも、民間や非営利で人工衛星を作っている団体は他にもあった。まあ確かに十番目とかになったら別だけれど、先発がいようがいまいが、うまくいく算段や計画があるかどうかが大切だと思う。
それから、やるかやらないかを決める際には、誰がチームなのか、というのが非常に重要だ。
頭数があればいいというわけではない。スキルや能力があればいいという問題でもない。結果論になってしまうが、リーマンサットが壊滅的なトラブルなく進んでこられたのは5人がそれぞれ別のスキルや視点を持ちつつ、「誰でもできる宇宙開発を実現したい」という方向性が合致していたからだ。まあ、確かにメンバー間での喧嘩みたいなものは結構な頻度であったけれど、同じ志を持つ仲間がいる、というのは、推進力に重要なファクターになる。かのシャチも氷上のアザラシを食うために仲間と連携して狩りをする。意思統一のない集団はいくら頭数が多かろうが大した脅威にはならない。もしぼくがペンギンで、周りが得体のしれないやつらばかりだとしたら、先頭付近に位置はとるがあえて一羽目を飛び込ませて海が安全かどうか確かめてから飛び込む。一羽でできることなどたかが知れているので、安全を確認してからでも決して遅くはない。早いに越したことはないが一番にこだわる理由はないのである。
ぼくは「リーマンサットに参加しなければ宇宙に関わることはなかった」と思っているが、O氏は「このチームがなかったら宇宙開発をやることはなかった」と言う。
形として彼が一羽目のペンギンみたいな形を担ったのは、一緒に飛び込んでくれるチームがあってこそだったのだろうし、ぼくがプロジェクトに参画したのも彼がいたからだ。民間の宇宙開発団体はほかにあったけれど、「趣味で宇宙開発」をしてしまっている団体がなかったからぼくらは走り出した。
というわけで、誰が一羽目のペンギンなのか、という問いに関して言えばぼくの答えは「そんなやつはいない」である。もしくは5人がまとまって一羽目になった、である。
「誰が一番だったか、ぼくらが一番だったか」はぼくらにとって重要でもなんでもなかった。ほかのことはどうでもよくて、ただ自分たちがやりたいからやり始めただけだ。海に向かってみんなで歩いていたら、たまたま一番前を歩いていた人がそのまま一番目に海に落ちて、ほかの人も同じようにつられて落ちた、そんな感じなのだ。
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PHOTO BY NASA