管理ではなく、ナビゲーション
2020/1/15 水 6:47
タスク管理ではなく、タスクナビゲーションという感覚になると、システムが使いやすくなった。
管理となると、きっちりとそれ通りにしないといけない、、とか、自分自身を縛るような感覚になりがちだし、自分も多分にもれず、そうだったんですね。「だった」と過去形にしてるけど、いまもそういう部分はあるのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ただ、その「縛られてる」という感覚の割合は、間違いなく少しずつ減ってきている。
で、管理という意識ではなく、ナビゲーションツール、という意識が良いかと。
ほら、車のカーナビですね。カーナビあると便利じゃないですか。ある程度の予測時間が分かるし、道順も分かる。
でも、ちょっとトイレにいきたいとか、サービスエリアで軽食を、なんてやってたら、カーナビの予測時間通りにはいかないけど、でも、別にそれはそれで良いわけですよね。あくまでナビであって、その時間通りに運転しなきゃならないわけじゃない。あくまで運転のサポートツールですよね。
あとは、あれですかね、電車の乗り換え案内。あれも、おおよその時間と、乗り換え手順を教えてくれて、とっても便利ですね、外出する時は、かなりの頻度で使います。
でも、やっぱりそれ通りにする必要はないわけですよね、少し時間がズレたり、遅刻したり、早かったりとか、別に良いわけですよね。
あとは、初めて使う道順は、なるべくそのナビゲーション通りにするけど、ある程度慣れてる道順だったら、応用というか、別パターンというかね、そういうアレンジも加えちゃっても良いわけですよね、途中下車して、何かして、とかですね。
タスクに関するツールも、管理というよりもむしろ、ナビゲーションツールだという感覚ですね、その引き出しも持っておくと。
タスク管理をすると、自由がきかないとか、どうせ守れない、という感覚の人は、ナビという意識を持つと良いのでは?ということです。
ここからは余談ですが、さらに私は、ナビゲーションであり、かつ自分とのコミュニケーションだ、といつからか思うようになりました。管理→ナビゲーション→コミュニケーションですね。
自分自身とのコミュニケーションだ、と感じたときから、さらにタスクに関して壁が低くなったような気がします。この説明は、うまくは出来ないんですけど、要は、自分自身との対話とか、客観視とかですね、そういうことをしていくと、タスクとの付き合い方も、変わってきたってことですね。
この対話をする具体的なワークとして、自分は3つあるわけですね、対立統合ワーク、客観視ワーク、具体化ワークですね。
これらはまた、別に解説しますね。