分かり合えない、分かってもらえない悲しさ
先日投稿した記事は、有難いことに沢山の方に読んで頂けた。noteというものを始めたばかりだったので、こんなにもスキボタンやフォローがあるとは思っておらず、自分の感情を共有できた気がして、とても嬉しかったです。ありがとうございます。
さて、今日は「感情を共有できないこと」について書いていこうと思う。先日の記事で私は、サークルには知り合い(友人?)がいるとは書いた。つい先日、私はサークルの同期の友人の誕生日を祝うべく、サークルの友人数名と誕生日会を開いた。(誕生日会と言ってもレストランでの食事であるが。)
その友人たちと会うのは3,4か月ぶりであった。私は彼女らと最後に会ったとき、大学生活のつまらなさや辛さ、そして大学での友人関係の悩みなど軽く嘆いていた。
そのことをその友人らの一人は覚えており、彼女は大学生活は楽しいか、と私に聞いてきた。
私は素直に「つまらないよ」と言った。続けて「一緒に授業を受ける友達もいないし、いつも誰とも会話することなくただ大学に通って一人で授業を受けて帰るだけだよ(笑)」と言った。
すると、彼女は彼女自身もあえて一人を選んで一人で授業を受けているし、その方が気楽だ、と言ってきた。
まあ、確かに分からなくもない。一人でいれば気を使うことなくリラックスできるというメリットはある。
だが、彼女は彼氏はもちろん、高校時代の女友達、そして大学での男友達もたくさんいるのだ。そんな風に沢山の拠り所があるような人は、もうすでに満たされているので授業くらい一人で受ける方がいいと思うのかもしれない。一方で私は、大学で挨拶さえも交わすことない。
人によって辛いと思うことは違う。ある人が辛いと思うことをある別の人は楽しいと思うかもしれない。だけど、人がある状況を辛いと言っているとき、それを共感されないとき、その人の感情は和らがない。
共感する”フリ”でも、辛い気持ちは和らぐと思う。
そして、辛いと思うか思わないかはその人の状況や環境にもよると思う。
たとえ人の辛さを理解できなくても、相手の状況や環境のことを考慮しないで「自分ならへっちゃらさ」のような反応をするのはどうかと思う。
まあそんな風にして私はサークルのメンバー(友人)とは何か相容れなくて一緒にいても陰鬱な気持ちになるだけなのだ。
分かり合える、分かってもらえる、とは本当に幸せなことだと思った。
そして分かってくれない、あるいは私の感情に相槌を打ってくれない人とはあまり深く付き合うべきではないのだろう。
以上で今日の記事を終える。
編集後記
またしてもマイナスな感情を吐き出すような記事になってしまいました。申し訳ないです。ですが、今私が毎日頑張って大学に通うにはnoteという場所で共有するしかないと思っています。自分なりに色々考え、自分が楽しく生きられるような方法を模索していきたいと思います。
このような状況では大丈夫とウソをつくべきなのかもしれないが、正直