戦争 想像力を働かせ、考えることの大切さ

ロシア軍がウクライナへ侵攻している。21世紀になり、誰もがヨーロッパで戦争が起こるとは思っていなかったと思うが、現実的にはいつ戦争になってもおかしくない対立は、世界中にいくつもあるということ。それが、実際に戦争にならないことが多いとしても、今回のことでどうなことでも起こりうると言うことを、あらためて確認したことになる。

さて、いつでも戦争が起こると起きることのひとつが、今回も起きている。

それは、SNS等でのにわか評論家たちがこぞって解説したり、戦況を逐一報告したりすることで、今もネットには今回の戦争に関する書き込みが無数にアップされている状況だ。

わたしが何よりも強調したいのは、現実として多くの人たちが殺されていること。さらに多くの人たちが、昨日までの暮らしを失い、避難したりしているということだ。戦争の解説をしたり、自分こそが真実を知っている風を装って、ネットに書き込みなどしているのはデリカシーがないことの証でもあろうか。

また、何も知らないのに、プーチンは云々、バイデンは云々、等々述べているが、ロシアや米国、欧州などの指導者と個人的な知己でもあるまいし、何を知っているのかと思う。

現在の世界の政治や経済のシステムの中で、さまざまな思惑があり、それからさまざまなことが推測できたりはするだろう。しかし、わたしたちがやるべきこと、やらねばならないことは、なによりも想像力を働かせることではないか。

戦争を単なる投機ゲームのように捉えていると割り切っているのなら別だが(それはそれで困るが)、今ウクライナで起きていることは、人ごとではない。明日は我が身でもあり得る事態であるし、世界の誰にとっても人ごとではないはずなのだ。たとえばプーチンやバイデンのアグレッシブな、高慢な物言いを聞いていて、誰もが思うはずだ。自分もそんなことを考えている、考えたことがある。あるいは、彼らの発言を聞いて同調したり、反感を持ったり。つまり、彼らの言っていることややっていることは、わたしたちの心の鏡なのだ。正しいとか、間違っているということではなく、大きな戦争か小さな自分の周りでの小競り合いかの違いはあっても、同じようなことをわたしたちも考えたりすることはあるのだ。

戦争反対、平和を、と訴えている人たちでも、常日頃ある国の人たちに反感を持っていたり、自分より何か劣ると考える人たちのことを見下したり、人を外見で判断したり、といったことはないことはないだろう。人はことあるごとに、差別したり、区別したりする。また、少しでも自分の利益を得ようとして、少しでも利権に預かろうとする。

それらを悪いことというのは簡単だが、実際にはそういうことはなくならないだろう。

今も苦難の中にあるウクライナの戦争の渦中にある人たち。破壊されている町やその大地のことを思い、出来ることはただ祈ること。想像して、自分事としてイメージを膨らませて、静かに祈り続けること。そういうことが大切だと思う。

そして、今戦争が起きていたり、さまざまな紛争で命を落としたり、故郷を追われたりということが起きているのは、ウクライナだけではない、ということもあらためて思いだして欲しい。それらすべての人々のことを想像し、ただ祈る。これがわたしたちに出来ること、そしてそれがとても大切なことだと思う。

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