卒論執筆悲喜こもごも〜振り返り〜
前回に引き続き、卒業論文執筆の振り返りをしようという企画の第二弾。
今回は、いつ何をしてきたのかについて、印象的だったところを切りとって書いていくつもりです。
2020年6月:アイデアの拡散
当初はコミュニティと高齢者について書こうとしていたが、「コミュニティってなに?」というとてつもなく大きな問いにぶつかってしまった。
この問いは中間発表でも大変深く突っ込んでいただきましたが自分でも混乱し終了。
社会学の議論にかな〜り深く踏み込まないと、中途半端な「コミュニティ」について論じることになってしまいそうだったので、「コミュニティ」について問うことは断念。
結局、在宅介護の場をテーマに、ホームヘルパーと家族の関係性について書くことに決定(したのはかなり後の話)。
この時期には「良さげな本」をひたすら集め、「良さげな言葉」収集に励みましたが、これはほとんど身を結びませんでした。これについては第三弾・卒論執筆の際の反省まとめの記事に書こうと思っています。
7月:本が手に入らない
実家にいるので、駒場図書館と本郷図書館から郵送で本を借りていました。
しかし、図書館での郵送サービスを一旦中止するということに(後ほど復活)。
実家近くの図書館には卒論で使うような学術書がなかったので、amazonか古書を利用するしかないのか?!という事態に。
8月:書く気が起きない
大学院試も無事に終了し、さあ、卒論に取り組もう。
そう思ったはいいものの、書く気が起きない...のまま半月ほど経過。
流石にまずいのでは?と思って、同期と話した結果、構成が考えられていないから書く気が起きないのだ、という結論に至る。
しかし、「それでも書き出してみよう」と誓う。
が、それでもやる気は出ず...8月終了のお知らせが。
10月上旬:先輩有難い
キャンパスに行き、先輩方の卒論を読んでみた。
それらを参考にして、構成の目処が立った(先輩たちには感謝しかないのです......)
文系卒論の第4章では事例を出して検証することが多いのですが、この時期は何を事例として持ってこようかについていつも考えていた。条件に合うものがなかなか見つからず、難航する。
しかし、10月下旬、第2章(事実を書いていくパート)から徐々に筆を進め始めたのであります...
11月下旬:頑張ったよ
題目フォームの提出がありました。ここで提出した題目は基本的に変更不可、という正式なフォーム。副題は出す必要はなかった。
この時期は毎日コツコツ作業をし、dynalistを使って大体の筋書きを完成させており、後は考察部分を書こう、という段階だった。
12月:春に向かって、忍耐と積み上げの12月
12月の私を一言で表すと「卒論女」
家族と話すにも、何をするにも、頭の上の方にはいつももやもやした影がさしていた。その名もSOTSURON。
もはや自分が何を書きたいのか分からなくなる。
「卒論書きたくない」がこの頃の私の口癖として定着し、家族には卒論という言葉を口に出すなと言われる始末であった。
卒論について考えるだけで涙が出てくるという症状をもつ通称「卒論症候群」も発症する。
しかし、進めないことには卒業できなくなるので、身体に鞭打ってパソコンのキーを叩き続ける日々。
そして運命の12月16日の教授との面談日。
一応頭を振り絞って考察をし、書いてきた論にメスを入れてもらう貴重な機会である。案の定、色々なツッコミをしていただいた。しかし、「記憶して瞬時にアウトプット型」であり「情報を元に深い考察をする型」ではない私にはこれ以上の苦手な「考察」という作業は苦痛でしかなかった。
この先の考察の日々について考えて憂鬱になり、その他の要素ももろもろあったことでストレスでメンタルが死亡。毎日ほとんど布団から起き上がらず、起きるのは何かを猛烈に食べる時という生活を1週間程度続けた。
1週間ほど経つと、メンタルと身体へのエネルギーチャージが完了した!そんな感覚があったので、机に向かってみた。大音量で好きな音楽を聴き、コーヒーを大量摂取しながら卒論完成に向かって、私はもう一度走り始めたのであった。
12月28日:運命の一日
この日は間違いなく私の卒論人生における分岐点となった日である。
流石にそろそろ修正を完了させないとまずい、という気持ちがピークになった。準備したのは、好きな音楽とイヤホン、そして6杯の濃〜〜いcoffeeである。
卒業できない危機感からか、作業は史上最強レベルでサクサク進み、卒論史上最長の8時間連続執筆。実に1日に1万5000字ほどの執筆を完了させた。年内に完成できたのは、この日のハイ状態での執筆のおかげである。
しかし、私はのちに副作用に苦しむことになる。
カフェインである。
結局その日は眠れず徹夜した。カフェインの成人女性の規定量は、コーヒーカップ2杯ほどだそうです!気をつけてくださいね。
これくらいの時期になると、面談での教授は論についてのコメントというよりは形式についてのコメントになった。
2021年1月:そして涙の・・・!
東大に行くことができなかった(というより自粛した)ので、近くの大学の製本機をお借りし製本した。
そして、郵送での提出が許可されたので、簡易書留で提出した。
今も私のスマホケースには提出時の簡易書留のレシートが挟まっている。
去年の4月から始まった私の卒論生活にはこれで一旦ピリオドが打たれたのでした。