行動
みなさんお久しぶりです。少し間が空きましたが前回の続きを書いていきます。
今回は主に
・実際に行動したら好転したこと
・それにより生まれた悩み、葛藤、答え
こんな感じに内容で書いていきます
好転した状況
まず行動する前の筆者の状況を整理しようと思う。ざっくり言うと、、、
THE ネガティヴ人間
でした
あまり詳しくは触れませんが日本の『当たり前』の道からはずれ、この時までは自ら人生ハードモードにしてしまったと思ってました。しかし危機感を煽られる形で行動を起こしました。具体的には
・転職エージェントに登録し最終的に2ヶ月後内定を頂く
・キリスト教会を変える
以上の行動を起こしました。
二つ目に関してはこの後の内容に関わってきます。とは言っても熱心な信仰者にな
ったわけではありませんので知り合いの方はご了承ください。
話を戻して、以上のことから行動を起こせば状況は好転するということが筆者にと
って心も少し良くなりました。
それにより生まれた悩み、葛藤、答え
今も疑問、悩み、葛藤を抱えながら生きています。その中でも特に日常の中での悩みを書いていきます。
悩みは主に宗教(キリスト教)関係です。細かいことは割愛しますが大学生時代に大きく助けられ筆者の生活の一部に祈りがありこれからもそのように生きてくものだと思っていました。しかし新卒での失敗や身近な存在(親)の反面教師を糧に一度教会関連の縁を切る決断をしました。(連絡手段を断つ、礼拝に参加しない)
しかし今はあの頃のような純粋な心はなく環境を変え礼拝に参加しています。満足はしていませんが環境を変えた効果は少しはあったと思いました。教会というコミュニティがどれほど小さなものなのかが実感できたこと。今も多少ありますが最初の頃のアウェー感は少なからず感じました。
ここからは葛藤の話になります
先に結論を言うと、、、
クリスチャンだから神様100%信仰しているという固定観念はやめてほしい
白か黒で分けることなく中間層がいることも知ってほしい
ということです。
私の友人には本気で信仰している方もいれば牧師として力を発揮している方もいます。一方で勉強中の方や礼拝に参加したけどどうも自分には合わず最終的に来なくなる方もいると思います。それは仕方ないことだと思います。最終的に信じるかどうかはその人しだいですし強制はできません。
ここで筆者は思ったことは
じゃあクリスチャンになった人=100%信仰している
ということです。
この考えに至った経緯はあまり深く話さないが4月から新しい職場に着いた方と連絡を取る機会があった時に言われたことでありました。その方は親が牧師をしていることもあり信仰は厚い。それ故、信仰面では姉貴的な存在だと思っている。
しかし考え方の違いかどうかわからないが事柄が起こった時の捉え方の違いが自らの信仰が中間層にいるのではと感じている。
筆者個人の考え方の違いとしては
・物事の進行が思い通りにいかなかった時
・苦しい状況に置かれた時
この二点です。
ここからは答えも交えて書いていきます
まず『物事がうまくいかなかった時』ですが信仰の強い方だと『試練』と『忍耐』と捉え祈って解決方法を考え(待ち?)ます。一方、中間層的な方だと上記の考えになるか不満を言うか他責にするかといった『自分は悪くない。周りが悪い。』という考えに至る方もいると思います。筆者の今の答え(行動)は祈らないが自分で解決(なんとか)できることは自責で考え、解決するということです。
知ってる方からすると『なんで祈らないんだ!』という言葉がとんできそうですがでは逆に聞きたいです。
『祈れば課題や悩みは解決するのか』
という疑問です
確かに祈れば一時的に落ち着きがもたらされ勇気が持てるかもしれません。
しかし祈っても悩みがすぐに解決するわけでもなくそれで楽観的になる人もいるのではと考えています。
その反面教師が筆者の母です。詳細は割愛しますが筆者が感じたことが『祈っても悩みや問題が解決するわけではない』ということです。
100%信仰できない。自分でもクリスチャンである。
信仰の厚い方または牧師がこれを見たらどのような反応をするのかは少し興味がありますが快く思わないでしょう。
以上になります。
長くなりましたがご拝読ありがとうございました。画面を閉じる前にスキ(♡)ボタンを押していただけると今後の執筆の糧となるかもしれませんので是非お願いします。
次回は明日から夜勤週になるので2週間後になるかもしれません。気長にお待ちください。