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自然・人間・社会/『アフォーダンスの心理学』と考える/8.脳の《可塑性》

写真出典:AlainAudet @pixabay
前回から、人間の脳の特性に関連して、脳の自発性を検討した第4回・第5回では触れなかった点を補足しています。触れなかったのは中身を詰め込み過ぎて議論が錯綜するのを避けるためで、内容的には非常に重要なものです。前回は、脳の《多産性》・⦅余裕しろ》を説明しました。今回は、脳の《可塑性》をみていきます。

前回はこちら:

 はじめに、脳の発達過程を一表で示しておきます。この後の検討の参考にしていただければと思います。

1.脳の《可塑性》とは

 
 脳の神経回路は、成長期にいったん形成された後ずっと変らないわけではありません。人間と環境との関わり方に応じて変化していきます。脳の神経回路に備わっている変化する能力を脳の《可塑性》と呼びます。

 脳の⦅可塑性⦆は、次の4つの側面があります。

※神経回路同士の代替可能性
※学習による神経回路の再編成
※反復使用による神経回路の強化

※神経細胞の増加

以下、それぞれの要素についてみていきましょう。

2.脳の神経回路は代替可能である

 ひとつの神経回路が担っていた機能を、他の神経回路が代わりに担うことができます。

【抜粋1】
不幸にして視力を失った人が、新たに点字を学習することがあります。そのような人が点字を学習している最中、脳のどこが活動しているかをPET[楠瀬注1]で調べると、点字を読むこと自体は指先で行い認知しているはずなのに、視覚皮質に活性化がみられたというのです。
先天的な盲人の脳が臨界期に獲得する脳の適応的構造を、後天的に盲人になった人は持っていない。その代わりに、視覚経験によって巨大に発達した視覚神経系を持っている。来歴からみてベストの方法で、点字の学習という新しい困難な事態に再適応したのです。
[楠瀬注1]PET:微量の放射性物質を含む液剤を投入して脳の血流を測定し、そこから脳活動を読み取る検査法

下條信輔『〈意識〉とは何だろうか』
(講談社現代新書、2004年)
P121~122/太字化は楠瀬

 "臨界期”という言葉が出てきます。これは誕生してから、ヒトとして生きていく上での基礎的な《脳―身体―環境》のカップリングができるまでの期間を指していて、具体的には0歳から7~8歳までの期間です。

 臨界期に目が見えていなかった場合は、指先と脳の触覚野を結ぶ神経回路が発達します。これを《指―触覚回路》と呼ぶことにしましょう。一方、目が見えていた場合は、目と脳の視覚野を結ぶ神経回路が発達します。これを《目ー視覚回路》と呼ぶことにします。

 【抜粋1】は、《目ー視覚回路》に依存して生きてきた人が視覚を失って点字を学習する際に《指―視覚野回路》を利用していることを示します。

 つまり、《目ー視覚回路》の機能を《指ー視覚回路》で代替していると考えられるのです。

3.学習によって神経回路が再編成される


 第4回で、人間の脳が自発的に活動していることを裏付ける実験として、モノクロの縞模様を赤っぽく感じる「共感覚」を人工的に作るニューロフィードバック実験を紹介しました。
 この実験は、学習によって新しい神経回路の結合が生まれることを示してもいます。

脳には報酬をもらえるように神経回路を変化させる学習機能があります。ニューロフィードバックによって無意識のうちに学習が進み、視覚野の中の縦縞を認識する細胞群と赤色を認識する細胞群の結合ができたのだと考えられます。

林(高木)朗子・加藤 忠史 編
『「心の病」の脳科学』
(講談社ブルーバックス、2023年)
P213

つまり、縦縞を認識する細胞群と赤色を認識する細胞群がつながるという、神経回路の再編成が起こったのです。

4.繰り返し使うほど、神経回路は強化される


 脳内の特定の神経回路を繰り返し使えば使うほど、その回路は強化されます。神経回路のこの性質を説明したTED×Talksを紹介します。
   
Neuroplasticity's Impact on Wellbeing という題で、Kristn Mies and heimer 博士が行った講演です。

 私が要点だと考えた部分を抜粋して和訳したものを次に示します

【抜粋2】
神経は回路の組替えは、化学的・構造的・機能的の3つのレベルで起こる。化学的変化では神経伝達物質が変化し、構造的変化では新しい神経細胞または神経細胞同士の新しい結合が生まれる。機能的変化では、新しい神経細胞または神経細胞同士の新しい結合を使い続けることで、その神経細胞または神経細胞同士の結合にアクセスしやすくなり、それを起動させやすくなる。新しい回路を使い続けると、古い回路の作用は弱まり、新しい回路がデフォルトの回路になる。

Kristn Mies and heimer
Rewiring Revolution
/TED×Talks

 神経回路のこの性質は、ポジティブにもネガティブにも作用します。
 同じような場面で同じような失敗を繰り返してしまうことって、ありませんか? 私は、かなりあります。
 こういう場合、その場面(《場面X》とします)に遭遇すると⦅しくじり行動》を引き起こす脳内の神経回路(これを《回路N》とします)が存在するとは考えられないでしょうか?
 
 何らかの理由で、回路Nを繰り返し使ってしまったことで、回路Nが場面Xで起動するデフォルトの回路になっているから、同じ《しくじり行動》を繰り返してしまう。そういう可能性があると思うのです。

 ここで、「3.学習によって神経回路が再編成される」を思い出してください。意識して《望ましい行動》をとり、それができたら自分に何らかの報酬を与える。それを繰り返すことで、脳に《望ましい行動》に応じた神経回路(《回路P》とします)が形成される可能性があると思うのです。そして、《望ましい行動》を繰り返せば繰り返すほど、回路Pは強化されていき、「回路P」が「回路N」に変わってデフォルト設定になる。そのような可能性もあるのではないかと私は思っています。

 自分に報酬を与えるといいましたが、私たちの生活では、⦅望ましい行動⦆は、周りから好意をもって受け容れられるので、そうした周囲から得られる好反応が報酬の役割を果たすのではないでしょうか?
 
 ところで、上で紹介したKristn Mies and heimer 博士の講演は、脳の可塑性をベースにマインドフルネスにも触れていて、この部分も非常に興味深いものがあります。仕事の合間でも出来るようなマインドフル瞑想法も実演しています。マインドフルネスに関心のある方も興味を持ってご覧いただけるかと思います。

5.脳の神経回路は成人になっても増える可能性がある


 第5回で、赤ちゃんの脳で使わないシナプス(神経細胞の結合)を壊していくシナプスの刈り込みが始まると、その後に作られるシナプスと壊されるシナプスの足し引きで一定の数量になって落ち着くと説明しました。
 
 しかし、成人になっても脳のシナプスが増える、つまり神経回路が増える可能性を示唆する研究成果が報告されています。

  これはマウスの脳を用いた実験結果なので、そのまま人間にあてはまるのかという疑問はあります。
 ただ、生き物の脳を構成する物質や基本的な仕組みは共通しているので、人間でも、成人後に神経回路が増加する可能性を強く示唆していると思います。

 人間でも、海場に限って言えば、毎日1,400個の新しい神経細胞が作られているという研究報告があります。

6.まとめ

 ここまでの考察で、私たちの脳が、相当に柔軟に自らの構造と機能を変化させるものであることがお分かりいただけたと思います。このような脳の機能を、脳科学者で社会的脳機能の研究で有名な 藤井 直敬が、実に的確に表現しています。

新しい環境での行動は、最初はうまくできなくても学習によって徐々にそれを可能にしていきます。学習によって脳内部の作り込みが進行し、その新規環境に最適な処理方法を自分の内部に刻むことで実現されると考えられます。それは、運動学習から社会適応機能まで、私たちの生活のあらゆるところで、休むことなく起きているのです。一分前の僕と今の僕は、脳内部の構造も、それによって表現される経験や知識も明らかに異なっていますし、そこには安定したいつもと同じという定常状態はないのです。

抜粋:藤井直敬『つあがる脳』(新潮文庫、2014年)
P43/太字化は楠瀬


 さて、第4回・第5回、そして前回(第7回)と今回(第8回)で、⦅生き物一般》の脳とは異なる人間の脳の特性が出そろいました。次回からは、いよいよ人間の《脳―身体ー環境》カップリングに入っていきたいと思います。

 ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

(つづく)



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