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中華街の大切な自分だけのお店
みなさん、こんにちは。
ケイズハウスのなかの人です。
ケイズハウスはマンスリーマンションをご提供している不動産会社です。
いま注目の「16号線エリア」、多摩、相模原、横浜、横須賀を中心に
便利でたのしいお部屋がいっぱい。
引っ越しの仮住まい、出張、現場派遣、通院、受験などの他、
テレワーク時代にぴったりの「わくわくマンスリー」生活のための
お役立ち「タウン情報」を不定期でお届けします。
わたしくし、37歳独身サラリーマン。
長引くコロナ渦。安心安全の家族団らんが恋しいこの頃ですが、
それと引き換えに手にした自分だけの自由。
さらにそれに、出社に及ばずのテレワーク勤務が加わり、
どこでもどんな街でもそこがわたしのベース基地。
ひと月ごとに場所を変え、
自分だけのオフィスをかんたん移動なんてこともできちゃいます。
おいしい店、きれいな景色、たのしい観光スポット。休日やアフター5は充実。
つたない文章ですが、わたしの日々のマンスリーマンション体験をもとに、
街歩きのためのちょっとした「小咄」をお届けできたらと思っています。
居るところはコロコロと変わりますが、こう見えても宮仕えの身、
要領悪く仕事に追われ、更新は不定期ですが、みなさまの「新たな生活」に
少しでもお役に立てたら、うれしいです。
さて、初回は、横浜の有名観光地「中華街」のお話をひとつ
いまはコロナ渦で静かですが、とある週末の横浜中華街の、大混雑でまともに歩けない道を眺めながら、「みんな中華街好きすぎるよ」と、ふとそう思ったものでした。
なにも斜に構えているわけではありません。わたしは(小学校の時からですが)れっきとした横浜出身者です。
高校も元町や中華街の裏手にあたる山手地区に通っていました。場所柄、中華街に住む裕福な華僑の子弟が同学年に複数在籍し、折々の宴会で「そいつのうち」(もちろん中華料理店)を使ったりしていました。
昔の中華街の印象は、普通の人にとっては、有名店である「聘珍樓」や「重慶飯店」などに、結婚式やハレの宴席などで訪れるところといった感じだったように思います。そこそこの人気はあったけれど、どちらかというとエスニックに傾倒したちょっと風変わりな人々や、外国人とのやんちゃな交流を気取る遊び人たちが訪れる街という印象だったように思います。
ここで少し、中華街の成り立ちについてふれてみます。
横浜の中華街は江戸時代末期頃からありました。1887年頃の中華街には、100軒前後の店舗があったことが記録されています。その後、大正の関東大震災、昭和の横浜大空襲で、中華街は二度焼け野原となっています。その度に立ち直ってきましたが、なかでも戦勝国の国民でもあった華僑は、戦後優先的に受け取れる物資を元に「おいしいものが食べられる」中華街を復興させたのでした。
また、この時期から朝鮮戦争の時期にかけて、中華街周辺の米軍施設を中心に、外国人向けの繁華街の要素が加わりました。横浜、そして中華街の夜は賑わいを見せましたが、同時に「怖い」「暗い」というイメージも生み出しました。一時期、日本映画の暴力団やギャングが登場するシーンには中華街が頻繁に使われていました。
横浜の中華街を、サンフランシスコのチャイナタウンに負けないような人気の観光地へと復興させる呼びかけは、1953年から始まっています。日中国交回復なども手伝い、70年代にじわじわとそれが実を結び、観光地としての基礎ができ始めました。
「牌楼門」が派手な現在のものに建て替えられ(1989年)、近隣に地下鉄の駅(元町・中華街駅、2004年)が開設し、開港150周年を記念して「横浜媽祖廟」が建立(2006年)されるまでは、段階的にかなりの時間を要しました。
1976年のデータによると、中華街には約200店の店舗(中華料理店、中華食料品店、中国物産店他)があったようです。2022年の正確な数字は見つかりませんでしたが、2003年時点で540店舗が確認されており、現在、70年代の3倍の規模になっているということは想像に難くないだろうと思われます。
横浜中華街は凄まじい勢いで進化しているのです。おはずかしながら、わたしにとっての中華街とは、近くにありながらも、おとなでもこどもでもない時期に「中途半端な観光地」として存在していた場所ということになります。
そんなわたしにも中華街に思い出の一軒があります。「安記」「海員閣」「順海閣」などの老舗有名店が居並ぶ「香港路」にある「上海飯店」です。
ここは若い頃、(空いているという理由で)よく訪れていました。おっかないオヤジさんがまるい大きな中華用のまな板に向かって乱暴に包丁を打ち付けながら、いつも夫婦喧嘩をしていました(笑)。ほぼカウンターのみの店内で、ひとりふらりと訪れたわたしは、飛び交う罵声を聞きながら中華麺をすすっていたのでした。
今回、ひさしぶりに中華街を訪れると、その店はまだありました。路上と各店舗の混雑をよそに、店内には仏頂面のおやじさんがひとりいるだけでした。「ピカピカケバケバ」に進化することもそれはそれでうれしいですけれど、ここはわたしにとって、絶対に失いたくない中華街なのです。
中華街の門は観光地の顔として進化している。
昔からある地元客が集まる店もいまだ健在だ。
ケイズハウスは、横浜中華街、みなとみらい、野毛。いろんな横浜の顔を楽しめるマンスリー生活を応援しています。物件探しはホームページから