1997年イギリスへボランティア留学①
昨日より、イギリスの友達が、昨日から日本へ帰国している。
今回の日本旅行は家族旅行をメインにするとのことで、友達とは会えないとのこと。
そうだ、今度はイギリスに1年ボランティア留学と、その後続けて6か月スクールビザでの留学生活について書いてみようと思う。かれこれ27年も前になる。ちょうど、ダイアナ妃殿下がお亡くなりになってしまった1997年だった。
イギリスの友人(男性)も、日本人の奥さんも、二人とも私の友人だった。
キューピッドではないけれど、二人とも年齢も近かったため、逢わせてみたら、そのまま結婚して、今も幸せに暮らしている。そんなエピソードや、
BUSSY PARKというお気に入りの公園がある。その広大な公園の中に小さな公園があり、そこをわたしは『おとぎの国』と名付けた。残念なことなのだけど、その当時のイギリスの写真が、自宅改装のためすべて破棄してしまったのだ…
当時、23歳だった私は、海外で一度生活をしてみたい、英語に触れていたいと思っていた。働いていた東京のクリニックを退職し、長野県の諏訪湖に近くのホテルでリゾートバイトをしてお金を稼ぎ,1997年1月9日に成田空港からヒースローまで飛行機で飛び立った。その当時、イギリスにはワーキングホリデーというのがなかった。
TOMOコミュニケーションズという会社でボランティア留学というのがあり、病院や施設などで働きながら英語を学ぶという、少し変わった留学方法だった。
初めてイギリスに行く日、成田空港でベレー帽をかぶった風変りな綺麗な顔立ちのKちゃんと出逢い、その後も一緒にイギリスの高齢者施設で一緒にボランティア活動をしながら、先に住んでいたCちゃんと3人で、同じ部屋で一緒に1年寝泊りをして生活した。
その後、1年間のボランティアビザが終了した後、一旦日本へ帰国。
またその3か月後の1998年3月からスクールビザで、再びイギリス入り。
今後はCちゃんの友人のYちゃんと合流しロンドン郊外のウイルスデングリーンのアパートで二人暮らしを続けた。
そして、イギリスに入ってから看護師になる夢がふつふつと湧き出し、
1998年7月に突然、『やっぱり看護師になろう、しっかり勉強して資格をとってからまたイギリスで働こう』と決心。
すぐに日本へ帰国、翌年の1999年4月から看護学校へ3年間通うこととなったのだ。
この2年間いろんなことがあって、いろんな国へ高速バス(coach)で出かけた。
今後も色々と思い出しながら書き留めておきたいと思う。