ニュージーランド・バスキング・デイズ vol. 12
クイーンズタウンバスキングデイズ
土曜日の昼過ぎ、クイーンズタウンにいる残りの2週間はバスキングに明け暮れる覚悟を胸に、ザ・モールにて演奏を開始してからほどなくして、私の眼前にふらっとロカが現れた。
オークランドで別れてから一ヶ月ぶりの再会であったが、相も変わらずケラケラ笑っている。
変わったところと言えば、髪の毛がドレッドヘアーになっていて、黄色いアロハシャツを着て、なんだかジャマイカ人みたいだった。彼自身、元々陽気な性格なので違和感が全くなかったが。そして、韓国から来た恋人と一緒だった。
再会を喜ぶ硬い握手の後に話を聞けば、タツさんとクイーンズタウンで別れたあと、南島を一気に北上して、南島の北端で、フェリーの発着するピクトンから西におよそ100km離れたところにある街ネルソンまで行き、そこで何と車を購入して、東海岸沿いに南下してクライストチャーチで彼女と合流し、そして再びクイーンズタウンに舞い戻ったそうだ。
確かに車で移動が一番楽であろう。荷物が多少大きくても誰からも文句は言われないし、ここ南島は北島の比較にならないほどの田舎なので街間を走るバスの本数も少ないから移動にも非常に便利だし、それにいざという時には車中泊も可能だ。
そういう理由からか、ニュージーランドでは個人間での中古車売買が盛んで、路駐している車やバッパーの掲示板にも買い手募集の張り紙が良く張ってあるし、バッパーでも駐車場のみで宿泊出来るところが多いみたいだ。
そんな話をしていると私たちの足下にあるギターケースの中のプラカードにロカが気づいた。
「CDをドネーション制にしたの?」
そう、オークランドを去ってからほとんど売れていないCDの在庫を出来るだけ減らすためにはもうこの作戦しかないと決断したのだ。プラカードには自分の名前と「CDは無料、ドネーション入れてね」というメッセージを書いておいた。
この作戦は何度かメルボルンで試したことがあるが、確かに調子が良いとCDがテンポ良く売れていくし、その日の売り上げは最終的に一枚15ドルで売る場合よりも少しは多くなる。
その一方で、調子が悪いと多くの人が50セント以下の硬貨の寄せ集めだけでCDを持って行くし、酷い時には表記通り「無料で」何も入れずに持って行く人がいる。説得力のある演奏をしないと自ずと稼ぎは減ってしまう。
これはもはや背水の陣と言うにはおこがましく、所詮は博打にすぎないが、この方法しかないであろう。この時は週末ということもあって、道行く人も多く演奏に対するリアクションも良かったので、景気良くCDがさばけお札も何枚か入っていた。
ロカとその彼女に軽い挨拶をして別れた後、演奏を続けるも、その日までと打って変わって順調であった。それでも調子の良いときのメルボルンでの稼ぎには遠く及ばないが。
こうして比較的幸先の良い再スタートを切った私のバスキング生活であったが、やはり休日が終わると人が減り、反応は少し悪くなってしまった。
しかし、何回か演奏しているうちに分かってきたのだが、スピーカーから聞こえてくる自分の演奏を集中して聞けているときはそうは悪くない結果になって、逆にミスなく演奏出来ても自分の演奏に集中出来ていないときは必ず悲惨な結果になった。
オークランドやメルボルンといった都市では大きく効果のあった作戦、頑張って演奏していれば、その必死にあがいている姿を直視するに堪えきれなくなった善良な人が「あらみすぼらしいのね。かわいそうだわ」とついつい財布の紐を緩めてしまうという「スーパー物乞いモード」がここでは通用しないのだから、片時も気が抜けないとてもシビアな状況だ。前日の疲れが残ってしまっている場合や睡眠が上手く取れていない場合は、大抵いつも頭がぼーっとしている感じがして、やはり演奏に集中出来なかった。
その時は二、三十分のセットリストを軽くこなすだけにして、すぐに宿に引き上げて仮眠を取ることにした。
そして、脳の疲れをリセットしてから、またバスキングに臨んだ。
やはり調子が良いと稼ぎに十分には満足出来なくても演奏が楽しい。演奏が上手く行くとCDを15ドルで持って行ってくれる人もちらほら出てくる。これぞバスキングではないであろうか。
とある日、一日二回は演奏しているザ・モールの定位置に向かうとロカが演奏していた。声をかけると、すでにある程度演奏していたみたいで、すぐに交代してくれると言ってくれた。
談笑していると、ロカが「あのハンドパン弾いているやつ知ってる?」と聞いてきた。
よく湖沿いの遊歩道でサングラス掛けているおっちゃんかなと思い、確認してみるとどうやらその人みたいだった。
「さっきそいつと喧嘩したんだ」
またかい。ロカは基本的に人当たりの良いやつであるが、喧嘩っ早い荒々しい気性の持ち主でもある。しかし、とりあえずロカの話を聞いてみた。
ロカがその遊歩道で演奏しているとハンドパンのおっちゃんが「あとどれくらい演奏するんだ」と声をかけてきて、ロカは「分かんないよ」と答えたらしい。それに対して、突然おっちゃんが逆上してロカの写真を撮り、バスキングを管轄している市議会に通報したらしい。
内容は恐らくバスキングライセンスの禁止事項に指定されているアンプ使用を行っているバスカーがいるとかだったみたいだ。どうやらおっちゃんはクイーンズタウン街内のアンプを使用しているバスカーの写真を片っ端から隠し撮りして、自分にとって不都合なバスカーがいると写真を送って通報しまくっているらしい。
元々、クイーンズタウンでは一つのスポットで演奏出来るのは一日一時間までと決まってはいるが、時間をきっちり守る人は多くない。しかし、後から来た人がいれば、少なくとも自分の持ち時間である一時間は演奏して、その後は臨機応変に交代なりするものだが、必ずしも誰しもがそうすると言うわけでもないグレーゾーンでもある。そもそもおっちゃんもよく同じ場所に二時間近く、居座って演奏し続ける常習犯だ。
また、アンプに関しても、「アンプ使用禁止」は確かにライセンスの禁止項目として明記されてはいるが、実際問題、あくまでも過度な騒音によるトラブルを回避するための予防線に過ぎず、技量が確かなバスカーは注意されることがないのが普通である。
アンプを使用しないおっちゃんはこのルールを利用して自分にとって邪魔なバスカーを追っ払っているようだ。
しかしだ。バスキング歴二年の私でも分かることだが、バスカーが最も敵にしてはいけないのは、警察や市議会ではなく、他のバスカーなのである。
そこに元々いるバスカーや渡り鳥バスカーは、ネットでは決して得られない現地や他の都市の鮮度の良い情報を持っていることが多い。
それに仲良くなっておくことで、場所の取り合いや音量トラブルなどをあらかじめ回避できる。他のバスカーに対してフレンドリーであることには合理的なメリットも多いだけでなく、彼らは一般の人には到底想像できないバスキングの辛さを分かち合える同志にもなりえるはずなのに。
「あいつは他のバスカーを敵に回しすぎている。決して他のミュージシャンとセッションしようとすらもしない。だからいつもひとりぼっちだ」とロカ。
自分の権利を声高に主張するばかりで、同業者に敵がい心をむき出しにしている人間がまともな音楽を演奏できるわけもない。実際何度かおっちゃんの演奏を聞いてみたが、とても「良い音楽」と評価できる代物ではなかった。
ハンドパンは円盤状の金属製の楽器で、表面には叩くと音が鳴るくぼみが同心円上に並んでいる、とても優れたメロディ楽器である。
ドレミファソラシドからファとシを除いたペンタトニックスケールと呼ばれる、楽器初級者にも非常に取っ付きやすい音階になっており、さらに一部の音程が微妙にいじられていて、和音がとても綺麗に鳴るように調整されている。つまり、音楽知識のない人が適当に鳴らしてもそれっぽく聞こえるのである。
ハンドパンは言ってみれば、市販のカレールーみたいなものだ。お湯で溶かせばそれだけでカレーとしてたしなむことが出来る。
しかし、残念ながらそれだけでは、料理とはとても呼べないだろう。誰がやっても大体同じ味になるのだから。
ルーの味調整などめんどくさいことは全て企業努力の結晶だ。その先に肉や野菜を入れるだとか、ご飯かナンか、隠し味を入れるだとかを考えることこそが料理の本質とも呼べるのではないだろうか。
音楽も然りなのだが、おっちゃんの演奏からはそんな楽器のポテンシャルにおんぶにだっこな響きしかしなかった。幸か不幸か、観光地にて散策している人のほとんどは音楽素人なので、珍しい楽器に足を止める人は少なくなく、何とかは喰えているのだと思うが。
ロカにそんなトラブルがあった一方で、私はクイーンズタウンでは何人かのバスカーと知り合いになった。オークランドでもバスキングをしていて、お互いに存在だけは知っていたイタリア人のマイクは、空中浮遊トリックの大道芸人で、この街にて初めてちゃんと話をする機会が持てた。
ザ・モールでの夜の演奏が終わる頃に良く現れるギター弾き語りのジャックは私の演奏に対する敬意を語ってくれ、場所をスムーズに交代することが多かった。
チリ人のマティアスはラテンミュージックのパフォーマーで私がバスキング中に通りがかったので挨拶したら、「外国人の知り合いあんまりいないから、お前がチリに来たときは案内してやるぜ」と連絡先を交換した。
こういった人たちに出会えたのもバスキングに出続けているからこそだ。しかし、しばらくしてロカがいつの間にか街を去り、残りの滞在日数が四、五日となった頃、黙々と演奏していた私の身体に異変が現れた。右側の腰が痛い。
マッサージを色々試してみるが一向に改善の気配がなかった。どうやらぞうきんが吸った水を一滴残らず絞り切るように、毎回自分の全エネルギーを投入した演奏が身体に大きな負荷をかけているようだ。
もう滞在日数がほとんどない上に、クイーンズタウンを去れば、もうバスキングできるチャンスはないので、実質この街でニュージーランドバスキングは終了する。もはやラストスパートでだましだまし演奏に出るしかないか。と決断したそんな矢先に、気温が著しく低い日が続いた。
気温が低過ぎて、夜にはバッパーのラウンジでは暖炉に火が焚かれていた。
そう言えば、昼にバッパーの窓から見えた山々の頂き付近が前見たときよりさらに白くなっていた。夏なのに。
日本の、心の芯まで冷えきってしまう冬が嫌いだからこうしてわざわざ南半球くんだりまで来ているっていうのに。
空を見上げれば、クイーンズタウンが誇る満天の星空が。風景や夜空ばっかり綺麗でもしょうがないんじゃないか、クイーンズタウン。
そんな風景を眺めながら、たまらなく悲しく感じてしまうのは、自分が不甲斐なさを感じているせいでもないし、洗濯するためにランドリーはどこかとスタッフに聞いたら、わずかな間の後に「’ロ'ンドリーね」と発音を訂正されたことでもない。
ましてや、パソコンに保存しているドラゴンボールの漫画を読み直して、その色褪せない名作ぶりを再認識したからでもない。
それでもバスキングに出て演奏すれば、普段味わえないようなゆったりとしてはいるが、それでいて緊張感のある濃密な時間を過ごせる。その時間に浸っているときは大丈夫なんだと言う安心感に浸れる。
逆に、バスキングに出ていない時間は不自由さを強く感じてしまい、とてももどかしい。
そして迎えた最終日。いつもの場所に行くと先行者がいたが、最後は稼ぎにはこだわらない、むしろ閉会式的な意味合いでバスキングに臨むつもりだったので、のんびりと待つことにした。
一時間ほど待った後、先行者のバスカーが去ったので、人通りの多いピークの時間をすでに過ぎてしまっているが、機材をセットアップしてスタートした。
いつものセットリストを三、四サイクルこなしながら、立ち止まってくれた人の反応を見つつ、その都度曲順を変える。いつも通りの演奏だ。
こうして一時間あまりが淡々と過ぎ、およそ三ヶ月間に渡るニュージーランドバスキングを締めるラストバスキングは、いつも通りにこれと言った出来事もなく、あっけなく終わってしまった。
次回、最終回。
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