ニュージーランド・バスキング・デイズ vol. 11
クイーンズタウン芸人の憂鬱 後編
頭の中では薄々感じていたが、大きなハズレではないか、クイーンズタウン。
その日の夜にミルフォードサウンドと呼ばれる、フィヨルドの日帰り観光から帰って来た、やや興奮気味のタツさんに話を聞くと、一、二週間ほど前はかなり人が多かったそうだが、それに比べると今は人が信じられないくらいに減っているとのことだった。
また、別のバスカー仲間に話を聞くとニュージーランドの年末年始の長期休暇は1月の15日までだそうで、その時期から国内の観光客が減っているのであろう。
その代わりと言ってはなんだが、春節と呼ばれる旧正月の長期休暇で訪れた中国人の団体が街中を練り歩いていた。
路上パフォーマーにドネーションを渡すという行為自体は元々カトリックの慣習から来ていると言われているが、ドネーション文化が根付いている国の人々は人種を問わず比較的パフォーマーに対して好意的ではある。
しかし、アジア圏の人間は元々習慣がないので立ち止まって見てはくれても、ほとんどは写真を撮るだけ撮って立ち去ってしまう。誰にでも分かるカバー曲でも私のレパートリーにあれば勝手が違ったのかもしれないが、もう成す術はないだろう。
クイーンズタウンへの期待が大きかった分、失意も大きかった私は、次の日も、その翌日もバスキングに出る気にはならなかった。ただ、湖を眺めながらジャンベの練習に没頭していただけだった。
ある雨の日にバッパーのキッチン横にある食事スペースで、食後のコーヒーを飲みながら私は考えていた。
これ以上この街にとどまる意味はあるのだろうか。
確かに人気の観光地であるだけに景色も町並みも十二分に綺麗であるが、そもそも楽しく観光することが目的で来たわけではない。そして、飲食店のみならず、日用品までもが周辺地域の1.5倍の価格で提供されている街だ。滞在するだけで出費が加速度的にかさばるばかりである。
そこからさらに二週間の滞在予定であったが、キャンセル料金のかからない最終週をキャンセルして、オークランドで消化試合にでも専念した方が良いのではないか。しかし、それではこの旅で数少ない、観光に興じる予定のレイク・テカポを見逃すことになってしまう。
調べてみるともうすでに2月の予定は満杯で新たにスケジュールを組むにはレイクテカポを外す他ない。
どうしたものか。悩んでいる私の横では先程からずっと、ラジオから音楽が流れている。しかし、良く聞いてみるとその選曲が変なのだ。
最新の流行曲でもなく、少し前のヒット曲でもなく、一昔前のロック調の楽曲ばかりである。ジミ・ヘンドリクスの「ヘイ・ジョー」が流れたと思えば、次はヴァン・ヘイレンの「ホット・フォー・ティーチャー」が来て、スティングのソロ曲である「エヴリィシング・シ・ダズ・イズ・マジック」と続いた。
どれもリアルタイムで聴いていた曲ではないが思入れ深い曲ばかりだ。
高校生の頃、TSUTAYAのJ-popコーナーにはとても恥ずかしくて足を運べず、洋楽コーナーに入り浸っていたことを思い出す。あの頃はよもや自分が海外に出て音楽活動しているなんて想像だにしなかったが、少なくともあの時の音楽体験が今の自分の音楽活動の活力になっているのは間違いないだろう。
そんなことを考えていると、DJが曲紹介でも始めたのか、軽快に喋り始めた。元々私の貧弱なリスニング力に加え、スピーカー自体の音質があまり良くないので何を言っているのかは分からなかったが、何度か「ビーローズ」と聞こえてくる。
私が英語で初めて、和製英語とネイティブの発音の違いに衝撃を受けたと言っても過言ではない言葉なのですぐにピンと来た。ビートルズだ。
中学生の時、引っ越しの際に出て来た、父親の所持するビートルズのCDを聞いてすっかりファンになってしまい、それが音楽にハマり、ギターを弾き始めたきっかけになったわけだ。
しかし、ビートルズほど音楽で多くの人々を熱狂させ、幸福にさせたバンドも数少ないと思うが、その一方で、その魅力の強さから少なくない数の人間を音楽の道に引きずり込み、音楽に狂わせたという意味では、端から見れば不幸な人間も同時に量産しているのかもしれないということを考えてみると、とても他人事とは思えない。せめて今だけは明るい曲調の楽曲でこの沈み込んだ気持ちを和らげてはくれまいか。
そう、「オブラディ・オブラダ」なんか良いだろう。曲の始まりを待っていた私の耳に聞こえて来たのは、あまりにも有名すぎるピアノのイントロだった。
「レット・イット・ビー」。「あるがままに、あるがままに」とポール・マッカートニーによって歌い上げられるこの曲は、すでに世界的なモンスターバンドになっていた晩年のビートルズが分裂して行く様を嘆いているかのような、そしてどことなくやるせなさを感じさせる楽曲だ。
これは私へのメッセージかもしれない。これこそが今の私に必要な答えなのかもしれない。
道行く人が自分の演奏に反応しないと落ち込んだり、苛立ったりするのは、あくまでも自分の勝手である。
負の感情をいくらつのらせても行動力への妨げにしかならない。
上手く行かないからこそ自分の演奏する音楽の問題点を改善する好機と見るべきであろう。
もう私の肚は決まった。
今はただ自分の音楽を全うして最善を尽くすのみだ。
ありがとう、クイーンズタウンラジオの名も知らぬDJさん。
翌日はバッパーの引っ越しであった。荷物をまとめ、それほど遠くはない位置にあるバッパーに移動した私は、その日は休息と決めて、翌日からのバスキングに備えた。
夜中にロカから連絡があり、クイーンズタウンに到着したから翌日会おうと伝えて来た。
了解の意を伝えて、自身の全身全霊の力をバスキングに注ぐ、修羅の道に落ちることも厭わない覚悟を胸に私は床に着いた。
続く。
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