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メルボルン・バスキング・デイ vol.4
ドネーション文化と情操教育
バスキングにおける大前提にして、その最大の魅力と言っても過言ではないのが、ドネーション(寄付金、チップ)である。目の前を通り過ぎるほとんどの人に無視され、時には奇怪なものでも見るような目で見られながらもパフォーマンスを続けている中、「ありがとう」と笑顔でコインをギターケースに入れてもらうなんて体験をしてしまうと、その金額に関わらず、心の底から演奏をしていて良かったと思うようになる。
しかし、ドネーション文化が根付く国においては、その行為は悲しいかな、必ずしもパフォーマンスの良さだけに対するリアクションではない。誰にも注目されず、黙々と演奏を続けるパフォーマーを「あら、なんてみすぼらしいの。かわいそうだわ」と哀れんでくれる優しい人が想像以上に多かったりするのである。
それもそのはず、路上パフォーマーに金銭を与えるという行為が幼少期から骨の髄まで習慣化されているからだ。ベビーカーに乗せられている幼児の頃は、親が我が子の情操教育なんてことを考えているのか、ベビーカーをパフォーマーのきっちり前に停めて、「ほらごらん。何かやっているよ」と赤ん坊に語りかけるのである。親は大抵こっちのパフォーマンスにはさほど興味がなく、赤ん坊の反応にしか注目していない。赤ん坊が反応しなければ颯爽と立ち去ってしまう。この場合、親がドネーションをくれる割合はせいぜい二、三割ほどだ。
そして、子供が自分で歩けるぐらいに成長すると、路上パフォーマーを見かけたときには、親はコインを手渡し、パフォーマーの足下にあるケースを指差しながら、中に入れてくるようにと任務を指示する。そして、何故か多くの場合、パフォーマーからある程度離れた位置でこの指令は託されるのだ。まるで、ようやく歩けるようになった我が子に、歩いてドネーション入れの箱にたどり着くだけではなく、手渡されたコインをその箱に入れるという難易度がさらに高いミッションをクリアさせることで、自分の子供の成長具合を確かめたいという親の期待がその距離感に反映されているようにも見える。
個人的な経験から言うと、この「ひとりでできるもんミッション」は大概失敗する。子供はギターケースのボディに収まる部分かヘッドが収まる部分のどちらに入れたら良いか迷ったり、もしくは、そもそも途中で指令内容を忘れてしまっているのか、たどり着いてもギターケースの前で立ちすくんだりして、スムーズに行くことはほとんどないのだ。結局、親が子供のところまで駆けつけ、再度指示を出して、時にはコインを握る子供の手をギターケースの上で止めて手を開くように伝えるところまでして、任務がようやく完了する。
余談だが、バスキングが盛んな国であっても、路上パフォーマーと物乞いの区別がついていない人は少なからずいるらしいので、そうやって幼い我が子にコインを手渡している親の心中やいかに。将来ドネーションを受ける側の人間には決してならないで欲しいと心の底から切に願っている人がいるかどうかは知らない。
子供が大体小学校に上がるぐらいにまで成長すると、路上パフォーマーに遭遇すると自ら率先してコインを上げたいと親に要求する。恐らくは、パフォーマーを見かけるたびに親にねだっているのであろうが、適当にあしらわれていることも多い。しかし、スーパーマリオやクッキーモンスターの着ぐるみを被るなりして、明らかに子供を喜ばせるパフォーマンスをしているバスカーに対しては親も我が子の喜んでいる姿が嬉しいのか子供にコインを託しやすい。また、学校の課外学習中なのか、通りがかった小学生の団体で一人だけコインをくれる子がいたりするのだが、恐らく自分だけは施しが出来ることに優越感を持ちたいのではとバスカー仲間の間でも分析結果がおおよそ統一されている。
そんな特殊訓練、もとい洗脳教育を幼少期に存分に受けているのだから大人になっても他人に施しを与えることに対してそう躊躇はないのである。そして、ドネーションの渡し方には多少なりとも個人差が存在する。大抵の人は地面に置かれたギターケースに向かって、コインが弾んだ勢いでケースから飛び出さない程度に低い位置から丁寧な力加減で投げ入れるスタイルが主流である。中には自ら屈んでボディ部分のへこみの縁の部分にまとめて入れるなんていう上品なアプローチの人もいて、それがまたタトゥーだらけの青年であったりする。その一方で、良い歳で身なりもちゃんとした人が、狙いも定まらない乱暴な投法で投げ入れるものだから、ギターケースからコインが飛び出ることが多い。酷いときは、私が背にしていた道路側から車から降りることなく投げてくる人もいる。そして、少なくない数の人が飛び出したコインを拾いもせずに立ち去ってしまうのだ。見なりでは中味の品性は分からないという好例かもしれない。
酔っ払いとドネーション
無論これが酔っ払いになると大半がこの粗暴なアプローチを取ることが多い。しかし、そんな酔っ払いの人たちもバスキングの稼ぎに対して大いに役立ってくれているのも事実だ。一度気になって調べてみたのだが、カジノ付近で土曜日夜の八〜十時と十〜十二時ではドネーションの入り方が異なり、前者ではコインが多く、後者ではお札が多かった。そして、それぞれの合計金額は両時間帯とも同じぐらいであった。夜も更けると道行く酔っ払いの数は減るが、酔いが深まると気が大きくなるのか高額の紙幣を放り込んでくれるようになるということであろう。入れてくれる紙幣は多くは青色の10ドル紙幣か、赤色の20ドル紙幣である。しかし、中にはさらに高額な紙幣を渡してくれる奇特な人もいた。カジノで演奏中にスキンヘッドで黒ずくめのスーツを着たおじさんが私に向かって歩いて来て、演奏中にも関わらず黄色の50ドル紙幣を目の前に突き出してくるということが度々あった。また、年越しのカウントダウンが終わった直後に緑色の100ドル紙幣を入れてくれた人もいる。50ドルおじさんは月に一回ほど、100ドルおじさんはワンシーズンに一回ほどであろうか。
しかし、非常に残念であるが、こういったドネーションをくれる人の多くは演奏に足を止めることなく、お金を入れてそのまま歩き去ってしまうのである。ドネーションを渡す理由が「何かクールなことをしている」ぐらいには思っていて欲しいが。とある晩にバスキングが思うように行かなくて、帰り道でしょぼくれながら信号待ちをしていると、酔っ払いの2人組が「バスキングしてたのかよ。どうだった?」と声をかけて来たので、「今イチだったよ」と答えると、「そりゃ気の毒だ」と言って5ドル札を手渡してくれた。ドネーションをくれる基準は未だに良く分からない。
CD買ってくれた人
楽器演奏者にとってはCDを売っていることが、自らのアーティストとしてのアイデンティティーを保つ根拠にもなり、バスキングが上手くいかない時には、自分はそれでも物乞いとは一線を画していると思うための精神的な支えにもなっている。理想的なCDの売れ方としては、演奏のセットリストをある程度堪能してもらった後に購入してもらう形が、演奏者側としても「あぁ、この人は自分の音楽を気に入ってCDを買ってくれたんだな」と判断しやすいし、自分の作品が認められた満足感に浸ることができる。
しかし、時間に余裕のある観光客ならまだしも、昼食休憩に出て来ているサラリーマンはやはり足を止めている暇もないのであろう、こちらの方に歩いて来て、流れるようにお札をギターケースの中に放り込み、CDを一枚抜き取って、そのまま立ち去って行く。
路上演奏はステージとは勝手が異なり、道行く人はウォーキングという運動をしているので、音楽を集中して聴くには軽い興奮状態にある。ゆえに、ひとまず演奏に注目してもらい、そこから演奏を通して少しずつリラックスしてもらうというプロセスがCDを購入してもらうのに不可欠である。良く夜に演奏していた私の場合は、まず視覚的にアピール力の強いタッピングのアップテンポの曲で足を止めてもらい、次によりテンポの遅い曲を、そして最後にはさらにテンポを落としたメロディがシンプルなタッピング曲を演奏する。これが昼間だと、テンポがある程度落ちたところで見ていた人が立ち去ってしまうことが多い。
このセットリストを最後まで立ち去らずに聞いてくれるとCDを買ってくれる確率が高かったのだが、これは特に11-12月頃のカップルに対してとても効果であった。メルボルンで11月というと、夜はまだ少し肌寒くはあるが、本格的に春に突入して気温が若干上がって来ているのに加えて、12月にはカップルの聖典クリスマスを控えている。
私が夜にメルボルンCBDの大通りであるバークストリートとエリザベスストリートの交差点にあるH&M横で演奏していると、ふらりと散歩しているカップルが私の目の前の段差に並んで腰かけ、演奏を聴いてくれることが良くあった。そして、大抵三曲目のメロディがシンプルでスローなタッピング曲でイチャイチャし出し、曲が終わるとCDを買ってくれた。このクリスマス前のシーズンでは目の前に座って聞いてくれたカップルの大体八割がCDを買ってくれたと思う。大抵男性側が腰を上げてCDを相手の女性のために買いに駆け寄ってくることが多く、オーストラリア人男性の、女性に対する気の使いようを垣間見ているようだった。
余談ではあるが、世界的にもまだ理解が進んでいるとは言い難いLGBTに対しても寛容なメルボルンの街ではオープンな同性カップルをちらほら見かけるが、この対カップル作戦は男性同士のカップルに対しても有効であったことも記しておこう。私のオリジナル楽曲の中ではスローな曲の方は特に女性受けが良いという感触があるので、女性脳と男性脳で楽曲の構成やメロディのシンプルさ等に対する反応が異なるのかもしれないが、これは今後の研究課題としたいと思う。
やはり自分のオリジナルCDを持っているだけでも聞いてくれた人との距離感が大分縮まることは間違いない。カジノ前で演奏していた時に、駆け寄って来たお姉さんが私のギターケース前に屈み込み、一枚目のアルバムを手に取って、「これ昨年買って百万回も聞いたわ。道路の向かい側からあなただと気づいて急いで走って来たの」と言ってくれ、新しく出来たデモ音源を購入して行ってくれた。
H&M横で演奏していたときに、斜め向かいの建物の段差に座ったカップルが演奏後に駆け寄って来て、お姉さんがCDを売って欲しいと言って来た。H&Mの道路向かいに建っているアパートの住人で毎年私が演奏しているのを部屋から聴いていたそうで、CDを購入する機会をずっとうかがってくれていたらしい。そして、その晩窓の外から聞こえて来たギターの音色に二人で目を合わせて、すぐに階下に駆け下りてきたそうだ。後日送って来てくれたメッセージには、特に印象に残った曲があり、二人のウェディングソングにとも考えたという、何ともはやありがたいことが書かれていた。どれもこれもCDを苦労して製作したおかげであろう。
CDを購入してくれた人で最も印象深かったのは、カジノ前で演奏中に息抜きをかねてアドリブで演奏していた際、自転車で通りがかった少年で、お金を入れてくれた後、向かいのカジノエリア入り口付近で自転車にまたがった状態で立ち止まった。そこで私は、アップテンポなタッピング曲から始まるセットリストを弾き始めたのだが、曲が始まった瞬間に少年は左手の人差し指を鼻に当てクスリと笑った。その姿はあたかも「やれやれ、あんたには参ったぜ」と言わんばかりで、曲が終わるとCDを購入してくれ、満足げに去って行った。
つづく