ニュージーランド・バスキング・デイズ vol. 0
オークランド芸人、爆誕!!
「頭の中が真っ白になった」「自分の目を疑った」といった驚きを表すフレーズはあまりにも使い古され過ぎていてむしろ余計に陳腐な感じもするが、メルボルンはタラマリン空港で、オークランド行きのジェットスターJQ217便をゲート近くの座席で悠々と待っていた時、電光掲示板にふと目を見やった瞬間の私はまさにそうとしか表現出来ない状態に陥った。
自分の乗るはずの便が掲示板にない。
さっきまであったのに、消えている。
瞬時に30分前に出発したオークランド行きのカンタス航空の便が、何らかの事情で私が乗るはずだった便の客をまとめてオークランドへ飛び去ったと曲解した私は、出国ゲートまで駆け戻り受付の人に事情を話して、ジェットスターのスタッフに電話をかけてもらうも、スタッフが電話に応答しないので別のジェットスター便のスタッフに聞きに行くようにと言われ、また空港内を走り回るはめになってしまった。
しかし、教えてもらったウェリントン行きのスタッフは元のゲートに戻ってスタッフの指示を仰ぐようにと言い、私はとぼとぼと元のゲート付近へと戻って行った。
そこで、更に追い討ちをかけるかのように、掲示板には乗るはずの便が再び表示され「Departed」になっていた。
つまり、もう飛び去ったと言うのだ。
私を置いて。
しかも元のゲートから。
どうしてこんなことになったのだろうか。
ひょっとして乗り遅れのアナウンスを聞き逃したのであろうか。
iPhoneでYoutubeの釣り動画を喜々として鑑賞している間に。
悔やんでも仕方ないと思い、再び元のゲート近くの待合場所へ戻った。
そこでは恐らくは次の便を待ち続けるお客さん達の姿が。
ほんの一時間前までは、私と同じ目的地へ一緒に飛び立つ人たちがそこにいたはずなのに。
そしてゲートに続くもう封鎖されているエスカレーターをうらめしそうに覗き込んでいると、肌が黒いミクロネシア系の人が話しかけて来た。
「あなたJQ217便?」と聞くので、
「そうだけど」と答えると、
「まだJQ217出ないのよね〜。みんな待ってるのよ。あなたはラッキーね」
と仰るではないか。
どうやらJQ217便は遅延していて、皆ずっと待ち続けていたらしい。
その日は朝から色々と用事をこなしていて一眠りもする暇もなく、その上深夜便に乗ろうって言うんだから、人間冷静さを失ってしまうわけだ。
メルボルンで散々お世話になった関根さん宅に挨拶しに行ったパケナムからシティへの帰りの列車は途中で30分くらい止まるし、オーストラリアドルをニュージーランドドルに換金しようと思ったら行列に並ぶハメになるし。
そのあと、急いでトラムに乗ったのだが、扉が閉まる直前にヨーロッパ系のお婆さんが「パスポート落としたわよ」と言ってパスポート入れを間一髪で手渡してくれた。
どうやら慌てていて鞄の口を締め忘れていたみたいだった。
関根さんの奥さん、のりさんに「飛行機の中で食べて」と手渡されたイカ天レモン味も一緒に落としたらしく、閉まったガラス張りの扉の向こう側でインド系のおじさんが苦笑しながら持っていた。
間に合わなかった。
ごめん、さようなら。
上記の諸々の出来事が、脱藩する者に対して処される厳罰かのごとく、メルボルン芸人を辞して去ろうとする者に対するメルボルンの怒りか報復かもしれないと頭の片隅で考えつつも、何にせよ、睡眠の大切さを痛感せずにはいられなかった。
その後、搭乗の案内が何事もなかったかのように行われ、飛行機は1時間遅れで無事飛び立ち、無事に三時間かけてオークランドにたどり着いた。
入国もすんなりと済み、問題があったとすれば、ルームメイトのリュウダイ君が、送別会で作ってくれた料理を飛行機でも食べれるようにと汁無しの状態で用意してれてくれたのだが、食い意地のはった私が送別会で特製カレーを2杯も食べたせいで、結局手つかずのまま飛行機を降りてしまい、荷物チェックで牛肉が入っている料理は持ち込み出来ないと、ゴミ箱に捨てられてしまった。
ほんとごめん。
こうしてほぼ無事に初上陸のニュージーランドに入国し、荷物をゲットした私はSkybusでシティへ。
おそらく町の中心部にあると思しき停留所に到着したのは朝9時頃、眠かったので近くの公園のベンチで大の字になり三時間ほど熟睡した。
そして、いつの間にか降り出した小雨で目を覚まし、起床後バックパッカーへ。
オークランドはメルボルンと違い、すっかり夏模様。
そう、これぞ夏。
まぁ、南半球の12月はこんなものなのかもしれない。
そして、日本食レストランが美味しくチープだ。
信じられない。
メルボルンでは15ドル出してもトンカツ定食はうっすいトンカツしか出て来なかったのに、ここオークランドでは9.5ドルの味噌カツ丼は昔学生時代に良く通っていた、京都の御蔭通にあるサラサの味噌カツ丼を彷彿させる。
思い出の味。
いや、適応範囲広すぎるか。
そして、5ドルで日本スタイルのカレーが食べれる店もあるというから驚きだ。
到着の翌日にはお目当てのスピーカーを購入し、翌々日にはライセンス取得、バッテリーとインバーターを購入しバスキングを無事に開始した。
こうして性懲りもなく、オークランド芸人がこの世界の片隅に人知れず誕生することになった。
続く。
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