出会って2週間後に入籍した人のハナシ
AVのタイトルみたいだけど、よく聞かれるし、
自分でもうまく説明できるときとできないときがあるので、言語化しておきたいなと思い、する!
2020年9月13日に出会った人と2020年9月29日に入籍しました。
9月13日(金)に会社の出張 to 大阪で初めまして
9月14日(土)にお付き合いしたい旨をお伝えし
9月16日(月)には結婚したい旨をお伝えし、
その週末には先方のお母様にご挨拶、
その翌週にはお父様、妹御にご挨拶、僕の母にも会ってもらい、
その足で役所に行って紙を書いて提出、
無事に受理された。
「何でそんなに早いの?」
ほぼ100パー言われる。
逆に聞きたいんだけど、それ本当にお付き合いして数日で意思決定した「理由」を知りたいの?
A.何を元に意思決定したのかを知りたい場合
B.結婚というのはそんなに早く決めるものではない、という考えを押し付けたい場合
Bの人はあまり僕に近寄らないでほしいんだよなあ。
どんだけお付き合いしたら結婚しても「変じゃない」のかを
当事者以外がジャッジするのって、それこそ変なんじゃないか?
もう結婚したって言ってる大人に対して「早すぎ」って言うのはね。
僕にもお相手にもそうだし、なんなら許可してる親にも失礼なんだよ。
口を謹んでくれ。。
閑話休題:何によって意思決定したのか
言いたいこと言ってスッキリしたので続けると。
A.意思決定の背景に何があったか、といえば、
残念ながら何か特定の事実をもって、結婚に値する相手か否かを判断したわけじゃ全くなければ、
さらに残念ながら、共に地球を救ったとかそういう明確なきっかけがあったわけでもなくって(残念)
なんでかは分かんないんだけど、ひとめ見た時に「彼女になってくれないかなあ」って思ったので、聞いてみたら「いいよ」って言われたので始まったのだし、
これもなんでかは分かんないんだけど、
とにかくこの人が幸せになるように自分の人生を使いたいし、それは僕にとっても幸せなことだと思った。
なのでそうすることを、先に「決めた」だけだったりする。
それと同時に、まだ中身を全然知らないこの人が実際どんな側面を持っていても、たとえそれにがっかりしたり、ドン引きしたり、超面倒くさかったりしても、それに付き合い切ることを「決めた」し、
それが今後どんな風に変わっても、この人がこの人である、ということだけを理由にこの人を愛していよう。と「決めた」のです。
相手がどうかは知らないけど、僕がそう決めたのでそれでいいのだ。
ってカッコつけて言ってみたけど
実際は名古屋住まいの彼女に会いに行って、
でも僕東京住んでるから帰んなきゃいけないし。
超さみしくなって「離れたくないーやだーと思ったので、一緒に住みたいなー」と思い、
でも一緒に住むなら結婚くらいしてないとアレなので、結婚する?
って聞いたらいいよ!って言うので、したのです。
それでアホみたいにイェーイ!ウェーイ!と思いながら先ほどのような決意を後付けで固めていった次第です。
逆にそんなに長く付き合って何するの?
正常な判断能力を備えた大人であるはずの二人が、お付き合いしましょうね、という意思決定をして、なんか色々なことを2人でしてみて、
その結果、
好きなままでいたり、
好きじゃなくなったりするんだけど。
こういうところが嫌だ、こういうことをする人は、やっぱり愛せません。
なので一緒にいられません。ってなって、多くの場合は別れてゆく。
つまり、
そうじゃなかったら愛せるのになあ、あなたがもう少し私の思うままだったら、一緒にいられるのに、って言ってて。
つまり、その愛は条件付きだったりして。
条件付きの愛って、それは果たして愛なのですか。
うちの母ちゃんは僕がどんなクソでも愛し続けてくれるよなー、などと頭の片隅で思いながら、愛であることの条件は、それが無条件であることなんじゃないかって思う。
条件でソートするからスペックのマッチングになって勝者と敗者が生まれる
っていうのは昔から思っていて。
例えば全人類の個人情報を須らく網羅したデータベースがあったとして、みんなが結婚相手に何かしらの条件を求めていると仮定すると、
うーん僕は
・かわいくて
・巨乳で
・頭の悪すぎるのは嫌なのでマーチ以上で
・やっぱり文化が近い方が擦り合うので日本の女性がいいな
とかってソートしたりすると、
まるで賃貸物件を探すかのようにデータベースがカリカリと検索をかけて、条件に当てはまるひとが300人います!みたいに出てくることになって。
で、その300人のレジュメを見て、優先順位がついていって、この場合一番上から当たっていくのが合理的に幸せになる方法になるんだけど、
さっきの理屈だと、「条件に当てはまった人だから」愛します、ってなるのでそれは愛ではなくって。
300分の1ではあるけどオンリーワンではない以上、もしレジュメに瑕疵があったり、より条件への当てはまりが良いひとがいたら次点の候補者に切り替えるのが合理的になる。
っていうのは極論だけど、でもそれに近いことを言ってる人は何人も見たことがあるし、否定したいわけじゃないんだけど、僕はそういう世界観とは別のところで生きていたいと思う。
だから。
僕の母ちゃんが、僕の母ちゃんであるということをやめられないのと同じように
家族というものは何があっても変化しないはずの関係だと思っているので、
まず家族になると決めること。
そうやって決めたら、何があっても受け入れて
クソだなーって思っても、ブチ切れることがあってもそれも含めて受け入れて
何があっても、想定と違う側面が見えても全部、ずっと変わらない関係と時間の経過の中で笑い話になってゆく、みたいな。
そんな風に生きていきたいなぁ、と思ってます。
▼唐突に晒される母の遺影(になる予定の写真)
笑顔がかわいい
#コラム #エッセイ #日記 #結婚 #価値観