2021年に摂取したコンテンツまとめ

例のごとくやっていきます。ルールも変わらず以下のとおり。今年もよいものがたくさん。なお、ランク付けではないので全編通して登場順不同です。

・対象は今年摂取したもの。必ずしも今年発表されたものではない。
・再読等は集計外。初見作品だけカウント。
・印象に残ったものをいくつか抜粋して紹介。
・触れるものにはなるべくリンク貼った。

音楽(聴いた数:たくさん)

これが今年のTOP55だ!!
55なのはゾロ目だからではなく50に絞りきれなかったからです。

今年見つけることができて特に嬉しかったアーティスト
Penthouse、エルスウェア紀行(ヒナタとアシュリー)、サンドリオン、ミシェルメルモ、ゆいにしお、kolme、ロースケイ


漫画<商業>(読んだ数:705冊)

 今年から本格的に電子版を併用し始めた。総合的には紙のほうが好きなのだけど、まあ色々と限界(↓)が来ていたので……。

①このままいくと近い内に寝るためのスペースがなくなる
②読む時間が物理的に足りない(電子版は出先の移動中に読める)
③積み本の管理がし切れない(重複買いを三回もやらかした)

 やっぱり便利は便利なのでね、上手く使い分けていきたい気持ちはある。でも!!! 一方でシリーズ途中の巻から電子版のみ発売に切り替わる悪の所業が本当に許し難い気持ちも同時に強くあり……私は……私は……。

(○=単巻 ◎=完結済 ★=今年読み始めた)

空飛ぶ馬(タナカミホ×北村薫)

文学部の大学生〈私〉と、噺家・春桜亭円紫(しゅんおうていえんし)
が解き明かす、日常にひそむ謎と不可思議。見られるはずのない夢・大量の砂糖を入れられた紅茶・幼稚園から一晩だけ姿を消した木馬…。
人が生き、触れ合うことで生じる明暗を描く五つの物語。
本格推理小説であり、一人の女性の成長を捉えた爽やかな青春物語でもある
"誰も死なない"ミステリの記念碑的作品、初漫画化。

公式あらすじより

 言わずとしれた「日常の謎」の名手、北村薫氏のデビュー作を原作としたコミカライズ作品。日常の謎というのはミステリのジャンルで、読んで字の如く、日常の中に潜むふとした謎を解き明かす推理小説である。人が死なないミステリだなんて呼ばれることもある。世間的には「古典部シリーズ(米澤穂信)」や「ビブリア古書堂シリーズ(三上延)」辺りが有名だろうか。
 個人的にもかなり思い入れのある作家さんで、ある日唐突に漫画化が発表された時の心情としては、正直なところ不安8割・期待2割といったところだった。なぜ今のタイミングだったのかも全然よく分からないし……でも、実際掲載された第一話を読んで全部ぶっ飛びましたね。素晴らしすぎた。タナカミホさんに描いてもらおうと企画を立てた人に拍手を贈りたい。

 原作小説には挿絵はない(表紙は高野文子さん!だけど)ので、映像イメージは基本的には各々読者の頭の中にしかない。ビジュアルに対する個人的な感想としては、〈私〉は結構シャープだし、円紫さんは思ったよりスマートだな、という印象だった。ただ、そんな多少のズレは全く気にならなくなるほどに、空気感の掴み方が完璧だった。あの静謐さと温かさが同居した読み味が同じなら、それはもう紛れもなく「円紫さんシリーズ」なのだ。

 謎を"解く"というと何か難しい課題をクリアする快感的なイメージが先行するが、本作においては違う側面も同時に描かれる。本来隠されていたはずのものに陽を当てることで見たくものまでもが見えてしまう、言うなれば謎を"暴く"という視点だ。謎を作り出したのが人ならば、そこには必ず人の意思が介在する。本作によって明かされる人間の性は、必ずしも明るいものだけではない。謎を解き明かしたとて、劇的に何かが好転するとも限らない。

――人間というのも捨てたものじゃないですね

収録話「空飛ぶ馬」より

 だからこそ、全てを通過して尚この物語の終わりが人間讃歌で結ばれたこと。そこに救いを感じ、心打たれずにはいられないのである。


メダリスト(つるまいかだ)

人生ふたつぶん懸けて、叶えたい夢がある!
夢破れた青年・司と、見放された少女・いのり。
でも二人には、誰より強いリンクへの執念があった。
氷の上で出会った二人がタッグを組んで、
フィギュアスケートで世界を目指す!

公式あらすじより

 主人公である二人は選ばれ続けなかった人たちだ。そんな彼らが出会い、同じ夢を追うことになる。それは一発逆転を狙うためじゃない。彼らの手元に残されたものが"それ"しかないからだ。

 本作を象徴するといってもいいシーンが第1話にして登場する。いのりが母にフィギュアスケートを習いたいと頼む場面だ。彼女は色々なことが上手くできない"どんくさい子"だ。小学校の同級生には馬鹿にされ、呆れられ、母親はどんどん過保護になる。彼女の自己肯定感は日常の中で緩やかに折られていく。そんな彼女にとって、スケートは唯一残された希望だった。

私は今が嫌なの

第1話より

 小学生の生きてきた時間は短い。だから大人は"いつか"の話をする。しかし、それではいのりの抱える絶望を拭い去ることはできない。誇張なしに、彼女にとっては"今"だけが全てなのだ。そして、奪われ続けてきた彼女が必死に叫びを上げる姿の中に、司はかつての自分を見た。

 この執念からくる切実さこそが本作の特徴であり、大きな魅力でもある。とにかく感情描写が丁寧で、熱い。現在4巻、今後も非常に楽しみな作品。


教室の片隅で青春がはじまる(谷口菜津子)○

教室には、たくさんの“秘密”があって。隣にいるあの子のことだって、本当はわかっていなくて。大好きなあの子にだって、伝えられないことがあって。ほんの少し窮屈で、ほんの少し愛しい関係を描く、青春オムニバス・ストーリー。

公式あらすじより

 有名人になりたい吉田まりもと、恋人が欲しい宇宙人のネル。表紙にも描かれた二人がメインの展開と思わせて、実際には各話で他のクラスメイトも含めた別のキャラクターが主人公となるオムニバス形式の短編集。

 教室の片隅、というタイトルからはどうしても"はみ出し者"を連想してしまうのだが、最後まで読むことで別の意図が見えてくる。誰にとっても自分の立つ場所が教室の中心で、そこは誰かにとっては教室の片隅でもある。その視野の狭さこそが、思春期ひいては人間における真実なのだと思う。

 全ての人に等しく光を当てようとする作者の誠実さが、何よりも信頼できる作品。教室を切り取るその視界の少し外、私もきっとそこにいた。


君は放課後インソムニア(オジロ・マコト)

不眠で悩む男子高校生・ガンタは同じ悩みを抱えるイサキと出合い、放課後に学校の今は物置になっている天文台で、つかのまの眠りと、秘密を共有するという不思議な関係が始まる……。

公式あらすじより

 不眠症という同じ痛みを抱える彼らは、些細なきっかけから緩やかに接近し、次第にその仲を深めていく。傷をなめ合うのではない。互いの姿をただ肯定することによって、自分を許してもいいと思えるようになっていく。
 毎巻その瑞々しい輝きに当てられる度に情緒がおかしくなり、涙が止まらなくなってしまう、あまりにも恐ろしい作品。こんなに真っ直ぐなボーイ・ミーツ・ガール、合法的に存在していいんだ……。

 この作品を読んでいると一つ連想するものがある。キリンジの「drifter」という名曲で、数え切れないほど何度も聴いてきた、個人的に人生で最も大切な歌でもある。その歌詞を一部引用しておく。

ムーン・リヴァーを渡るようなステップで
踏み越えてゆこう あなたと
この僕の傍にいるだろう?

https://www.uta-net.com/song/13709/

 眠れない夜は長く、孤独で寒々しい。でも分け合うことができれば、二人だけの世界にもなる。君たちは無敵だ。今、その夜を手にしたのだから。


LES MISERABLES(新井隆広)◎

フランス文学史上に燦然と輝く超大作「レ・ミゼラブル」。
宿業の男ジャン・ヴァルジャンの波瀾の生涯を通して描かれる究極の人間賛歌を俊英・新井隆広が描き尽くす。
読破が難しいと言われるヴィクトル・ユーゴーの壮大な「原書」を基に、映像では描き切れない「真のレ・ミゼラブル」の物語が今始まる!

公式あらすじより

 "レミゼ"をちゃんとした形で履修したことがなく、一度読んでみたかったので手にとった作品。そういう経緯もあって、軽い気持ちで読み始めたのだが、結果的には作者の恐ろしい筆力に震わされてしまった。

 本作は、一応の主人公であるジャン・ヴァルジャンを筆頭に様々な人々がその感情を交錯させる群像劇であり、その関係性だけでも相当に込み入ったものがある。そこにフランス革命といった時代背景も絡んでくるのだから、相当に複雑な物語であることは想像に難くないだろう。それをここまで整理して見事にまとめ上げた構成力に、まず舌を巻くほかない。
 それに加えて、圧倒的な画力である。複雑な感情を抱えた人物が多く登場する(むしろそれしか登場しないといっても過言ではない)本作において、様々な表情の素晴らしい書き分けを筆頭として、その画力が遺憾なく発揮されている。細部に込められた情報量も凄まじく、読了後は「とんでもないものを読んでしまった……」と数日間は放心状態になってしまったほどだ。

 読むのに消費するカロリーはとんでもないが、間違いなく傑作と言っていい作品だろう。現在はコナンのスピンオフを描いているが、こうした重厚な作品もまた描いて欲しいと望まずにはいられない。


リクエストをよろしく(河内遙)◎

「こいつにはラジオの才能がある。」
売れない芸人・朝日屋颯太(あさひやそうた)は相方に逃げられ仕事がない! そんなある日、半年ぶりに現れた元相方が放送作家になって美人ディレクターを連れてきた。2人の手引きで颯太はラジオ業界に足を踏み入れるが…!? 超マイペース男とくせ者だらけのラジオ局の爽快ラジオ群像劇!!

公式あらすじより

 何がここまで刺さったのか、自分でも上手く言語化できない。本当に真っ直ぐなラジオ漫画で、何か他と比べて取り上げるほどの変わった展開があるわけでもない。でも、主人公のソータも、元相方の水無月も、ディレクターの雪室も、アイドルのチーコも、ミキサーの松戸も、登場人物の皆がたまらなく好きで、忘れられない一作になってしまった。

 きっと、ラジオのリスナーになるってそういうことなんじゃないだろうか。理屈じゃない。何となくその人達が好きで、番組を聴く。だとすれば、その気持ちを再現できた時点で完璧なラジオ漫画だったのだと思う。


This コミュニケーション(六内 円栄)

20世紀後半――地球に突如として現れた謎の生物「イペリット」。敵と認識された人類の多くは滅ぼされ、地上は廃墟と化していた。生き残りのデルウハは、絶望の果てに自ら死を選ぶが、ある研究所の人間によって一命を取り留める。その研究所では、イペリットに対抗するべく造り出された少女たちがいた!

公式あらすじより

 デルウハは、不死身の少女である6人の"ハントレス"を統率して、怪物に立ち向かうことになる。少女たちは何度でも蘇ることができるのだが、死んだ前後の記憶は失ってしまうという性質がある。そのことを知ったデルウハが、協調性皆無の彼女たちを制御するためにとった手段は……。

 様々なジャンルが掛け合わされた、非常に独自性のある読み味をもつ作品。含まれているのはポストアポカリプス、バトル、学園教師、サスペンス、コンゲームあたりか。デルウハがとる行動は非常にパンチが強く、一見すると連載にはあまり向かない(=読み切り向け)の設定のようにも思えるのだが、それを様々な角度から活用して予想できない展開を次々作り出していく。作者のストーリーテラーとしての能力の高さに驚かされるばかりだ。

 純粋に、いま最も先の展開が気になる漫画かもしれない。


つばめティップオフ(ワタヌキヒロヤ)★

凸凹バディが贈る女子高バスケグラフィティ開幕!
「バスケやらない?」。背の高さがコンプレックスな少女・春野つばめ(190cm)。入学した女子高で彼女は、自分より遥かに小さい先輩・秋風アイビス(150cm)からバスケ部に誘われ――。運動が苦手な高身長少女が小柄なお姫様に導かれ、女子高バスケに大きな一歩を踏み出す!

公式あらすじより

 「ハイキュー!!」も「あさひなぐ」も終わり、心にぽっかり空いた学生スポ根漫画の穴を埋めてくれた作品。これだよこれ。
 立ち上がりはややのんびりした印象だったが、2巻の後半から徐々に面白さが加速していき、3巻からは夢中になって読んでしまった。主人公である二人とそのチームメイトは勿論、他校の選手もしっかりと掘り下げてくれるスポーツ漫画は本当に信頼できる。まだまだ序盤で物語としてはこれからといった雰囲気だが、非常に期待している作品。


青野くんに触りたいから死にたい(椎名うみ)★

愛を捧げるたびに何かを失う。 幽霊と女子高生――断絶した世界のふたりが紡ぐ、濃密で一途なホラーラブストーリー。

公式あらすじより

 ホラーとラブストーリーって両立するんだ……って思ったけど、してた。驚くべきことに。しかも両要素が独立しているわけではなく、表裏一体となって存在している。今までに考えたこともない組み合わせだったので、初めて読んだときの気分は完全に未知との遭遇である。

 いわゆるジャンプスケア系のホラーではなく、じわじわと這い上がってくるような得体のしれない恐怖がある作品。幽霊と女子高生のラブストーリーという設定には陳腐さすら漂っているが、語られる愛は自分の全てを投げ出すような一種の狂気すら漂うもので、そこには凡庸さの欠片もない。今までに読んだことのない漫画を読んでいるという感覚がずっと付きまとうので、その先の見えなさという不安が、ホラーに対する不安とリンクすることで、恐怖が増幅していくという構造になっている。なんだこれ。

 正直にいえば、私は話に入り込むのに少し時間がかかった。どういうスタンスで読めばいいか理解できたのは、2巻を半ば読み終えた頃だ。だから、もし序盤で読みにくさを感じた人がいたとしたら、我慢してもう少しだけ読み進めてみて欲しい。それだけの価値がある、唯一無二の作品である。


転がる姉弟(森つぶみ)★

 父親の再婚で小学生の弟ができることになった女子高生の宇佐美《うさみ》みなと。 「とってもかわいい男の子だぞ」と言われて期待を膨らませるが、やってきた弟・光志郎《こうしろう》は想像と少し違っていて――。

公式あらすじより

 日常の中にある面白さに目を向けたホームコメディ。もっと言えば、小学生男子の生態観察漫画である。光士郎のディティールが非常に細かく、そこから醸し出される絶妙にリアルな"ガキんちょ"感は特筆すべきものがある。読んでいる時の気持ちは、親戚の子供の面白エピソードを聞いている時の気持ちに近いかもしれない。謎に突如開催し始める「宝物ランキング」、実際に遭遇した記憶ある気がするしな……。

 ステップファミリーという関係性ではあるが、そこが取り立てて目立ってくることはなく、あくまで背景の一つといった程度。そこも含め、過度に分かりやすいデフォルメはしないというメッセージが感じられるようで、作風に一貫性があることも好感がもてる。


猫が西向きゃ(漆原友紀)◎

“フロー”と呼ばれる奇妙な自然現象を処理するフロー業者・ヒロタと、アルバイトの智万ちゃん(見ため12歳、実年齢35歳)、そして“しゃちょう”(猫)が贈るストレンジなお仕事活劇!
三叉路が七叉路に増殖してたり、物体のカドがぜんぶ丸くなってたり、鏡の中に鏡反転の世界が生まれてたり。そんな変な光景を見かけたら、それは“フロー”。自然もときどき間違えるのだ。

公式あらすじ

 少しとぼけたような、のんびりした空気感がたまらない。どこにもないはずなのに、どこかに存在しているような気がしてくる自然さ。日常と不思議が共存していく世界観は、日本に流れるゆるゆるな宗教観とも通ずる。八百万も神がいるなら、フローぐらい増えたところで問題はないはずだ。

 永遠に読んでいたかったので、3巻という短さで終わってしまったことが本当に残念。とはいえ、いわゆる打ち切り的な畳み方ではなく、話としては綺麗にまとまっている。次回作を心よりお待ちしております。


LIMBO THE KING(田中相)◎

多大なる犠牲者を出した眠り病撲滅から8年――。任務中に瀕死の重傷を負い、退役の危機にあったアダムは、軍幹部から特殊任務を伝えられる。それは、なくなったはずの眠り病再発に絡む極秘ミッションで!? 不屈のNAVY男と伝説の元英雄が記憶を食い荒らす奇病“眠り病”に立ち向かう!!

公式あらすじより

 ハリウッド映画のようなテンポとスケール感を持つ、傑作バディもの。
 真実が分かっていく過程のミステリー的な面白さ。人の意識に"ダイブ"するという設定のSF的なワクワク感。アダムとルネ、二人の男の関係性がゆっくりと変化していく様をみるヒューマンドラマ。全ての要素が高水準かつ、バランスよくまとまっている。巻数も6巻とコンパクトで中弛みもない。

 そうそうお目にかかれない完成度をもつ、ケチのつけようがない作品。


not simple(オノ・ナツメ)○

アメリカのとある州。駆け落ちの計画がばれ、父親から「恋人を殺す」という脅しを受けた少女・アイリーンは、恋人の身を守るために、偶然道端で眠っていた青年・イアンをその身代わりにしようと思いたつ。自分を監視する父の手下の眼に、イアンが恋人であると映るよう振る舞うアイリーンだったが、イアンの身の上話を聞くうちに、彼が自分の叔母と再会するためにこの街へやって来たことを知り……

公式あらすじより

 イアンという青年が送った生涯を描いた作品。彼の人生は間違いなく悲劇なのだが、本作は必要以上にそこを強調することはない。筆致はカラリとしていて、不思議なドライブ感がある。だが、そのドライさがむしろ、手から色々なものが擦り抜けていってしまう彼の寂しさを想起もさせる。

 全体として物語の余白が多く、漫画でありながら"行間を読む"ことは必須だ。シンプルな絵柄はそのまま想像の余地として読者に突きつけられる。そこも含めて、非常に純文学的な読み味だといえる。傑作。


ルックバック(藤本タツキ)○

自分の才能に絶対の自信を持つ藤野と、引きこもりの京本。田舎町に住む2人の少女を引き合わせ、結びつけたのは漫画を描くことへのひたむきな思いだった。月日は流れても、背中を支えてくれたのはいつだって――。唯一無二の筆致で放つ青春長編読切。

公式あらすじより

 何を書いても余計に感じてしまう。すごくよかったのでオススメです。


漫画<同人誌>(読んだ数:119冊)

一次創作
(☆=Webでも読める。無料!!)

くらし(不良出版社/碓氷さつし)

サラリーマンとして働く男の、ある一日を切り取った話。

こんな感じの話だよ

 あらすじの通り、劇的なことは何も起こらない。男は働き、仕事を終え、買い物へ行く。そこにあるのは"くらし"だけだ。しかし、どうしたことだろう。終始淡々とした描写であるにも関わらず、読了後の胸に迫りくる感情はあまりにも大きい。その大きさに自分でも驚いてしまった。
 作者がこの物語を誰のために描き、そしてそれが如何に誠実に為されているのか。読めば全てが伝わるだろう。答えは最後のページに記されている。是非とも自身の目で、それを確かめてみて欲しい。


SPEAK(asahi)

 幼馴染の女三人による会話劇が6編収録された短編集。毎回違うトークテーマが持ち込まれるのだが、"あるある"の一歩外といった着眼点が絶妙で、自然と興味を引かれてしまう。気分的には完全に「喫茶店でたまたま耳に入った隣に座っているグループの話が妙に可笑しく、こっそり耳をそばだてている時」である。いや、実際そんなのをしたことはありませんが……。
 とにかく会話のテンポがよく、するすると頭に入ってくるのが魅力。更に会話劇の中でも絵が単調にならないよう様々な工夫が凝らされており、画作り的な面白さもしっかりとあるところに行き届きを感じる。

 まあ実際に読んだ方が早いので、とりあえず↓のやつを読もう。そして気に入ったらすぐ買おう!(これも収録作の1つ)


花束の代わりに(たおやかハンバーグ/小野未練)

目の前の自殺を偶然食い止めた女性と、彼女に自殺を止められた女子高生。命は助かるも片足を失った少女に請われ、二人は車に乗り込んで海へ向かって走り出す。その先で辿り着いたものとは。

こんな感じの話だよ

 悪いことをしてしまったなら謝ればいい。許してもらえるかはまた別問題としても、行動としては規範的かつ自然だ。では、衝動的にとってしまった行動が周囲から"善行"とラベリングされ、それによって傷つけてしまった相手がいたのなら、一体誰に許しを請えばよいのだろう。
 自殺に失敗して片足を失った彼女も、その原因を作り出した"命の恩人"である彼女も、当たり前に悲劇だ。でもそこに被害者はなく、加害者もない。この社会が見過ごす隙間をすくい上げた視点がまず素晴らしい。

 物語の行く末、彼女たちが葛藤の果てに見出した希望が静かに胸を打つ。二人は互いの手をとった。ただ、それだけで十分だった。


僕たちのコンティニュー(生殺し/モイタ)

職を失い、金に困っていた一夏。ある日、彼は幼馴染の諒に依頼されて、「仕事」として諒の彼女である楓とセックスをすることになるのだが……。

こんな感じの話だよ

 彼らは自ら選び取った行動によって次々に痛みを抱え込んでいく。その歪な関係性は社会的な"正しさ"からはかけ離れているし、正直にいえば共感し難い面も大きい。しかし、その不合理さによって人間味が生み出され、簡単に切って捨てることのできない切実さを宿すことに成功している。なればこそ、最後にはただその未来に幸福があればよいと願いたくなってしまった。
 彼らはずっと間違え続けていて、それでもただひたすらに懸命だった。その果てに掴み取った答えを否定することは、誰にもできないだろう。

 少し人を選びそうな感じもあるのだが、個人的にはとてもオススメです。

(通販の扱いは無いっぽい……。)


Nui Gloomy(終着点/幌)

サラリーマンの三恵はぬいぐるみが好きだ。しかし、いい歳をした男が……という負い目から、周囲にはそのことを隠していた。ある日、彼はお気に入りのぬいぐるみをどこかに落としてしまう。必死になって探し回ったところ、そのぬいぐるみを同僚の女性である澄野に拾うところを目撃し……。

こんな感じの話だよ

 一体何があなたを縛り付けているのか、という話。誰もが自分が好きなものを好きだと胸を張って言えるわけではない。内在化させた"世間"という呪いが、あなたの嗜好に優劣をつけるからだ。では、その時あなたを攻撃しているのは本当に世間なのか、それともあなた自身なのか。

 本作は社会を批判しない。自分の嗜好を隠すなとも言わない。現実的な問題として、自身をさらけ出すことは様々な摩擦を生むからだ。
 三恵は自分のぬいぐるみを初めて洗った。本作に込められたメッセージはそこにある。自分が大切だと思っているものを、本当に大切に扱うことができているのか。自身の気持ちとの向き合い方を改めて問う一作。


夢に堕ちる(黒南風/立藤ともひろ)

少年は生まれてから一度も夢を見たことがない。どうしても夢が見てみたくて、枕の下に絵本を敷いてみたり、あえて二度寝をしてみたり、色々試してみるのだが、どうにも上手くいかない。もう諦めかけた頃、謎の存在から渡された"鍵"の力で、ついに少年は夢の世界へ入り込む。そこには人の夢を管理しているという少女がいて……。

こんな感じの話だよ

 夢は未だに解明されていないことも多い不思議な存在だ。誰と共有することもできず、自分の意思でコントロールすることもできない。昔の人が夢は超自然的な存在によって管理されていると考えたのも頷ける。(明晰夢なんてものも一応ありますが、それは置いておくとして……)
 本作は、あの神秘がすぐ隣にあった少年時代の空気感と、夢という現象が帯びる超越性は相性がいいという点に着目した作品だ。それが現実と非現実をシームレスに移動する展開を生んでいる。年齢制限のある神秘という点では、どこかジブリ作品に似た気配もまとっているかもしれない。
 最終的に、少年は夢を見るようになったことで"夢"からも覚める。一度こぼれ落ちたものは取り戻せない。その構造自体も何やら示唆的である。

(通販の扱いは無いっぽい……。②)


LIVEFOREVER(くそごり)☆

駅のホームで自殺を考えていた男は、いきなり話しかけてきた女にそれを止められた。彼女は言う。「葬式に流す曲…ちゃんと決めてるんですか?」

 こんな感じの話だよ

 始まり方だけでもう100点だと思った。鮮烈すぎる。それを無駄にすることなく最後までしっかり走り切れているのも勿論素晴らしい。時には後ろ向きなエネルギーが人を生かすこともある。生きる理由に貴賤なし。

 直接会ったことはないのだが、母方の遠い親戚に「笑って死ねれば全部いい」が座右の銘の人がいた。その人生が良かったか悪かったかは、最後の瞬間まで決まらないという意味らしい。人間としてあまり褒められた人ではなかったようだが、その言葉だけは妙に心に残っている。私もずっと、人は死んだ時にその人生を採点されるような気がしているから。勿論その結果を自分で見届けることはできないのだけど。彼女は、笑って逝けたのだろうか。本作を読んだ時、そんなことを思い浮かべていた。

(通販の扱いはないっぽい……。③
とりあえず本編は上のリンクから全部読める。)


漫画<Web>(読んだ数:217作)

 比率的に言うと他部門に比べて紹介数が多め。それだけよいものが多かったということでもあるし、基本的に掲載直後以外で再拡散されることが一切ないので構造的に発見しづらいという点も加味した。全編無料で読めるので気軽に読んでみて欲しい。

あさがくる(ほそやゆきの)

宝塚に入ることができないまま試験に落ち続け、年齢制限となる19歳を迎えてしまった吾妻朝顔。彼女は師事していた先生の紹介で、宝塚志望の14歳の少女、長谷川胡桃のサポートをすることになる。師弟でも、先輩後輩でもない、名前のない二人の交流は続き、やがて胡桃は受験の時を迎え……。

こんな感じの話だよ

 自分ではどうにもならない事情によって夢を断ち切られてしまった朝顔。彼女の抱えるがらんどうがふとした拍子に顔を出す度、しんと冷えた空気のように肌を刺されるようだ。彼女と胡桃は何もかも違う。年齢も、育ってきた環境も、いま置かれている立場も。二人の埋まらない差が表れる距離感と、それを前提として築かれていく関係性。そこには"生々しさ"という一言では済ませることのできない、二人のたしかな息遣いが宿っている。絵柄は淡白だが、表情の書き分けは巧みで、非常に情感豊か。

 前作の「鹿の足」にも共通することだが、ここまで淡々とした展開でありながら切に迫る物語を描けるということに、作者の凄まじい力量をひしひしと感じる。二作連続でこのレベルはもはや脱帽の一言。今すぐにでも連載を持っておかしくないように思えるし、私も早くそれが読みたいと思う。


売れっ子漫画家×うつ病漫画家(溺英恵)

手の届かない範囲の好きな人たちが死んだり消えたりするたびに起こるスパダリになりたい気持ちから生まれた話。

第1話キャプションより

 この作品を読んで、"なろう系"と呼ばれる作品群を求める人たちの気持ちが初めて本当に理解できた気がした。スパダリというのはスーパーダーリンの略で、非の打ち所のない"攻め"を指す用語なんだってね。初めて知った。

 うつ病を患い筆を折った漫画家の福田矢晴(PN:古印葵)が、累計発行部数1,400万部を売り上げる人気漫画家の上薗純(PN:望海可純)に拾われ養われながら、再び筆をとるまでの話。まだ不定期に連載中なのでどう展開していくかが見えないところもあるが、結末だけは先に示されている。
 良くも悪くも凄まじく"念"がこもった作品なので、少し読んで上手く入ってくる人と入らない人はキッパリ分かれてくるのかもしれない。私は前者。

きれいな花を見つけたのにどうしてみんな無視するんだ?
みんな他の人が言ってることしか喋りたくないんだ

第5話より

 古印葵のモデル(その一部)になった漫画家の作品も読んだ。率直に言って、悪くはないが深く刺さりもしなかった。感情移入が強すぎて自分をだいぶ重ねていた節があったので、作者が違うフィルターを持っていたことには正直やや意外な思いがあったが、冷静に考えれば当然な気もした。本作自体が作中でも言及のあるルーブ・ゴールドバーグ・マシンになっているのだ。
 私にも"古印葵"はいて、本作によってそれを想起させられたことで、避けようもなく作者にとっての"古印葵"を手に取らされた。複雑な思いはあるけれども、それを実現させた作者の力にはただ強く嫉妬する。庭から石油が湧いていなくても、それができたら勝ちだと思う。

 初期は本当に作者の情念が溢れ出ていたが、最近は少しずつ物語性が増してきたというか、話をコントロールしようという気配を感じる。それもあって、私自身もやっと心の距離をとって読めるようになってきたように思う。

 余談だが、本作を読んで一つ思い出したエッセイがある。

 本作と表裏の話になっているようで趣深い。是非とも併読されたし。


ヴォツェック!(川松冬花)

イタリア人とのハーフ(ミックス)である田中ヴォツェックと、女装が好きで自身でも服を作る伊東俊介。二人の男子高校生が少しずつ歩み寄り、やがて互いにとって掛け替えのない友人となっていく。思春期の揺れ動く心を丁寧にすくい取ったヒューマンドラマ。

こんな感じの話だよ

 第1話がヴォツェック、第2話が俊介にスポットを当てた話となっている。主人公はどちらもビジュアルに大きな特徴のある彼らだけど、そこをフックとして必要以上にキャラクタライズすることはせず、丁寧に"人"を描いている。救いが劇的ではない内面の変化によってもたらされるものだという点も含め、非常に実直な作風だと思った。他にもPixivにいくつか短編を上げているが、どれも感情にフォーカスを当てており、好みなものばかり。

 以前はコミティアにも出ていたようなので紙で欲しすぎるが、おそらくしばらくはお忙しいのかな……。どうやら作者さん、漫画と並行してフラメンコをずっと踊ってきた方らしく、最近スペイン留学から帰国して自分の教室を開いたらしい。エネルギーが凄すぎる。


ぬるっと奥田さん(ようかん)

海に住む種族の"オクトノイド"である奥田さんが、陸にある普通の高校に女子高生として留学することになった。彼女とその友人達が繰り広げる、わりと普通でちょっと不思議な異文化交流日常モノ。 

こんな感じの話だよ

 全てが愛おしい日々……とにかく続きを熱望しています。本当に。


ヒーローコンプレックス(タイザン5)

「俺はオリンピック選手、明は漫画家だな!」かつて陸上選手を夢見たものの、しがない会社員となった主人公・景。一方で内気だった弟・明は夢を叶えて人気漫画家となっていた。景は、もう一度弟のヒーローになれるのか…!?心揺さぶるヒューマンドラマ!

公式あらすじより

 とにかく無駄がなく完璧なページ配分。中盤まで続く緩やかで現実的な閉塞感から、クライマックスの見開きに向けた文字通り疾走感あふれる展開への変遷。この切り替わりが鮮やかすぎて、ギャップに感情がとんでもなく揺さぶられた。似た構図を重ねて対比する演出が何度もリフレインされるが、それも最後に効いてくる仕掛けになっているという丁寧さ。これは単純に作者自身が好んでいる演出でもありそう。何にせよ絵も含めて漫画が激ウマ。

 先週から短期連載として「タコピーの原罪」が始まったけど、これも既によい漫画になりそうな気配があるのでオススメ。


絶対信じない(かっぴー)

https://twitter.com/i/events/1346401362049789953

売れない漫画家が出会ったのは盲目の天才だった。何を言っても絶対信じない彼女を説得する為に漫画家の奮闘が始まる。才能とは何か?売れるとは何か?これは『左ききのエレン』とはまた違う天才と凡人の物語。全ての表現者に捧ぐ物語。

公式あらすじより

 創作自体をモチーフにした話ってどうしても"意義"みたいなものにフォーカスしがちなのだけど、本作は商業連載の漫画における売り上げ問題を前面に出していることに特徴がある。やっぱり、どんなに理想論を語ったとしても絶対に切り離せない問題ではあるんですよね。
 原作者(ときには作画も含め)として多数の漫画を世に送り出してきた作者だからこそのテーマでもあるし、それを単なる演説ではなくエンタメとしてきっちり昇華させている話作りの上手さは流石といったところ。

 以前から思っていたことではあるのだけど、長期の連載漫画とライトノベルって、数多生み出される物語の中でも特殊な性質がある気がしている。それは、作品は未完成の状態のままで評価され続けるというところ。
 もちろん映画だって予算的な制限はあるし、TVドラマだってスケジュールは厳しいし、舞台だって切実に生活は懸かっているけれども。それでも、リリースされた作品は一応の"完成品"ではある。少なくとも、受け手はそのように評価する。それがどんな背景のもと制作され、例え満足のいく内容ではなかったとしても。そして、逃れようもなく数字をつけられることになる。
 でも、先に挙げた二つに関しては、そもそも数字がついてこない限り完成させることすらできない。必然その作品は、完成させる価値があるか、という点においてジャッジされる。まあ、何をもって完成とするかという問題もあるけれど。その代わり、尺の制限自体は(数字次第で)一番ゆるい。この性質だけ切り取ると、商業というよりはむしろ同人寄りですらある不思議。この違いってものすごく大きいし、物語としての絶対的な向き不向きも出てしまうんだろうなとは常々。まあ、本作とは全然関係ない話ですが。

 閑話休題。とにかく途中のゴタゴタした展開も含めて勢いがすごい作品。迸る熱量をひしひしと感じることができる。こればかりは説明してどうこうという類ではないので、読んでもらえれば分かると思う。オススメ。


フリーダム(大鳥雄介)

宇宙一の人気を誇る闘技会でチャンピオンの座に就くアーサー。奴隷身分からの脱却を諦めていた彼だが、ある日新人剣闘士・サムと出会う。自由を賭けた試合に挑むサムに対し、アーサーは危険だと止めるが…!?

公式あらすじより

 最初から最後までド直球の展開だが、それが自由を求めるサムの直向きさと重なることで、むしろ全体の熱量を高めることに寄与している。人物の心情を丁寧に追っているので、アーサーの決断も自然なものとして入ってくるし、いつの間にか自分の視点が同化していたような感覚を覚える。生きるとは何か、というテーマ一本で力強くまとまっていていてよい。


時間跳躍式完全無劣化転送装置(山素)

高校の同級生だった女性二人が7年ぶりに再会し、タイムマシン(※ただし未来にしか送れない)のある部屋で、いろいろ語り合うなどする話。

こんな感じの話だよ

 コンパクトかつ綺麗にまとまった、お手本のようなSF(すこしふしぎ)作品。全体にカラリとした雰囲気とテンポよく進む会話も非常にマッチしていて、するすると話の入ってくる感覚が気持ちいい。
 タイムマシンというと"やり直し"が主題となることが多いが、タイトルの通り"変わらない"という性質に注目した着眼点もいいし、それが作品自体のテーマとしてしっかり効いてくる仕掛けもある。素晴らしく巧みな作品。


ゆけ!日果さん(井戸畑机)

日果さんはいつもちょっと忙しない。何故なら彼女には自分で決めた日課が大量にあるからだ。そんな彼女はひょんなことから南極で働くことになる。雄大な大自然の中で、彼女が見つけたものとは。

こんな感じの話だよ

 不思議な可愛らしさ、愛おしさに満ちた作品。漫画的な表現が随所に効いていて単純に絵としての楽しさがあるし、何だか日果さんのことをずっと見守りたくなってしまう。メッセージ性も簡潔で、終盤どーんと登場する見開きの清々しさからか、スッと心に入ってくる。南極という非日常が舞台にはなっているのだけど、実際に光が当たるのは日常の輝きというのも面白い。

 すっかりファンになってしまったのでコミティアでも立ち寄ったのだが、そちらの作品も良かったのでオススメしておく。


PLAY OF COLOR(ミコマコト)

第51回J新世界漫画賞佳作&超新星賞!!紡ぐ感情!迸る演出!透明な少女と一人の少年が織りなすプラトニックジュブナイルストーリー!!

公式あらすじより

 透明人間というモチーフの扱い方がなかなか個性的だと感じた。透明人間の特異性は言うまでもなく目で見えないことだが、明確なファンタジーとして存在するそれは、本作においては単なる「珍しい外見」以上の扱いを受けることはない。周囲も必要以上に騒ぎ立てたりはしないし、どうやら友人もいる様子だ。透明な少女は透明であること自体に強い苦悩を抱くわけでもなく、その感性は極めて一般的な範疇にあるものとして描かれている。
 それだけなら、彼女は例えば宇宙人でも良かったはず。では、なぜ透明人間が選ばれたのか。理解できなかった人を回顧する際の描写として「どんな表情をしていたのか思い出せない」という言い回しが使われることがある。本作における透明人間というのは、即ちそれである。物理的に誰からも「顔が見えない」状態にしてしまったわけだ。しかも、単なる言葉遊びというだけではなく、物語のメッセージ性を描くための必然性を持った要素として処理されている。その着眼点が面白い。


ふしぎの国の私(嵐山のり)

少女は気がつくと、テーマパークのような見覚えない空間にいた。記憶も朧気なまま、とにかく元いた場所に戻るため、クルーを名乗る男に連れられて船に乗り込んだところ、彼女の過ごしてきた人生が徐々に思い出され……。

こんな感じの話だよ

 徐々に状況が解ってくるまでの予定調和的な下りがあるからこそ、突然そのレールを外れた瞬間の放り出されたようなスリルとワクワク感が強烈。その構造自体がモチーフとなっているテーマパーク的アトラクションと響き合っているのも美しい。しかも、それが主人公が獲得することになる覚悟にも綺麗に接続されている。最後に示されている夢現の塩梅も好みでよい。


少年天谷(石田点)/
世界のおわりのペンフレンド(岩田雪花×松浦健人)

※後述する理由により2作品を併記

中小企業のデザイン課で働く天谷。彼は結婚し子宝にも恵まれていたが、仕事に忙殺されるばかりの毎日に、やるせなさを感じていた。そんなとき、小学生の同級生から電話がかかってくる。「タイムカプセルを掘り返そう」という誘いだったが、天谷は小学生時代の自分の宝物がなんだったか、どうしても思い出せず…。

公式あらすじより

滅びかけた世界の文房具屋で、少女と元アニメーターの男が交わす言葉は—『株式会社マジルミエ』の岩田雪花と『仄見える少年』の松浦健人が贈るディストピア文通物語。

公式あらすじより

 二つは完全な別作品であり、両者に一切の関係はない。それなのに併記した理由は単純で、これらについて何かを書こうと思った時、出てくるのが同じ言葉になってしまったからだ。元々は別立てとする予定だったのだが、いざ書き始めた段階でそのことに気づき、併記することにした。

 「不要不急」という言葉がこの2年で急速に使われるようになった。この言葉を旗印としてありとあらゆるエンタメが激しい制限を受けたし、それは全部が消えてなくなってしまうのじゃないかと思えるほどに凄まじいものだった。実際に取り戻せなくなってしまったものだって既にいくつもあるし、今もその影響から完全には抜け出せずにいる。それは社会を維持するために必要な処置だったのだろうし、その是非について論じるつもりもない。ただ一つ、個人の実感として間違いなく言えるのは、肉体ではなく魂の問題として、エンタメは決して不要でも不急でもないということだ。

 これは好き嫌いではなく単なる事実として、この2年で「物語」自体の価値を問うような、ある種の自己証明的な物語が多く生まれるようになった。「世界のおわりのペンフレンド」もその一つだ。そういった意味では、時世が色濃く反映された主題だといえる。だがそれと同時に、今だけに固有のものというわけでもない。2018年に発表された「少年天谷」がそうであったように、これまでずっと繰り返し描かれ続けてきた主題でもあるのだ。
 時代も人も違っても、同じ願いを込めた物語が紡がれていること。その事実自体が、何よりも物語のもつ価値を証明してくれているように思える。

 物語が人生を変え或いは変えなくても、その魂を救うことがあるはずだという祈り。それを改めて信じさせてくれるような二作品なので、是非。


小説(読んだ数:1冊)

 昔好きだった作品を月1,2冊読み返すだけの老人。いずれ読むかもしれない本だけが緩やかに積み上がっていく。

さよならの言い方なんて知らない。5(河野裕)

 激推。毎年唯一これだけは新刊を追えている。物語もいよいよ佳境といった雰囲気。これが終わったら本当に干からびてしまう……どうしよう。


映画(観た数:34本)

ドライブ・マイ・カー(濱口竜介)

舞台俳優であり演出家の家福は、愛する妻の"音"と満ち足りた日々を送っていた。しかし、音は秘密を残して突然この世からいなくなってしまう――。2年後、広島での演劇祭に愛車で向かった家福は、ある過去をもつ寡黙な専属ドライバーのみさきと出会う。さらに、かつて音から紹介された俳優・高槻の姿をオーディションで見つけるが…。喪失感と“打ち明けられることのなかった秘密”に苛まれてきた家福。みさきと過ごし、お互いの過去を明かすなかで、家福はそれまで目を背けてきたあることに気づかされていく。人を愛する痛みと尊さ、信じることの難しさと強さ、生きることの苦しさと美しさ。最愛の妻を失った男が葛藤の果てに辿りつく先とは――。

公式あらすじより

 村上春樹の短編集「女のいない男たち」の一編を原作とする長編映画。原作は未読なのだが、どうやら同本の別収録作もミックスしながら再構成されているらしい。結論から言えば、今年観た中で考えた場合は勿論、これまでに通過してきた全ての映画内で考えたとしても、指折りの傑作だった。

 物語は終始、会話劇により進行する。序盤は家福(西島秀俊)と妻である音(霧島れいか)、中盤以降は家福とドライバーのみさき(三浦透子)と、高槻(岡田将生)をはじめとする演劇出演者とのシーンが交互に展開されていく。会話劇とは言ったものの、それは必ずしも発話によるものを意味しない。登場人物らがふと視線を合わせた瞬間に生まれた沈黙。あるいは、目を逸らす刹那に滲み出た表情の色。画面に映し出される全てが情報を湛えていて、それに圧倒されながら画面に釘付けになっていたら、いつの間にか映画が終わっていた……という稀有な感覚を得ることができる作品だ。

 作中で「今、何かが起こった」という台詞が登場する。舞台の稽古を続けていく中で、ある演者たちの一幕を見終えた家福が放った台詞だ。彼が演出する上で出してきた少し独特な指示の意図が分かる場面でもある。
 詳しい言及は避けるが、物語終盤の車中において、まさしく"今、何かが起こった"としか言い表すことのできない長回しのシークエンスが存在する。それを目にしている時の息詰まるような、全てが繋がっていくような感覚。あの感覚を、是非とも味わってみて欲しい。

 喪失と再生という根幹のテーマ、"音"に込められたメッセージ性の豊かさ、車と舞台というモチーフの響き合い、話したいことはいくらでもあるが、それは観た人それぞれが自分で感じて貰えばいいと思う。とにかく観客に委ねる領域の広い映画であるし、上映時間も179分とかなり長めではあるが、それを乗り越えてでも観る価値が十二分にある作品です。


映画大好きポンポさん(平尾隆之/CLAP)

敏腕映画プロデューサー・ポンポさんのもとで製作アシスタントをしているジーン。映画に心を奪われた彼は、観た映画をすべて記憶している映画通だ。映画を撮ることにも憧れていたが、自分には無理だと卑屈になる毎日。だが、ポンポさんに15秒CMの制作を任され、映画づくりに没頭する楽しさを知るのだった。 ある日、ジーンはポンポさんから次に制作する映画『MEISTER』の脚本を渡される。伝説の俳優の復帰作にして、頭がしびれるほど興奮する内容。大ヒットを確信するが……なんと、監督に指名されたのはCMが評価されたジーンだった! ポンポさんの目利きにかなった新人女優をヒロインに迎え、波瀾万丈の撮影が始まろうとしていた。

公式あらすじより

 杉谷庄吾さんの「映画大好きポンポさん」を原作とするアニメ映画。今年一番観に行った映画(たぶん4回?)なのだけど、観る度に感情をぐちゃぐちゃにされてしまうので、未だに上手く言葉にできないという感覚がある作品でもある。というか、この作品が「90分」という上映時間の中に全てを込めているのに、そこに何か言葉を付け足すこと自体が余計なことのように思えてしまうからかもしれない……。

 あえて言うならば、この映画に関しては絶対に原作を読んでから観ることを強くオススメする。(無料でも読める!)

 また、原作者である杉谷庄吾氏は映画の制作に関しては基本的に"ノータッチ"であることを公言している。この二つの前情報だけを頭に入れたら、後は作品から全てを感じ取ってもらえればよいと思う。

 「物語」に救われたことがある全ての人に届いて欲しい傑作。


由宇子の天秤(春本雄二郎)

3年前に起きた女子高生いじめ自殺事件を追うドキュメンタリーディレクターの由宇子は、テレビ局の方針と対立を繰返しながらも事件の真相に迫りつつあった。そんな時、学習塾を経営する父から思いもよらぬ〝衝撃の事実〞を聞かされる。大切なものを守りたい、しかし それは同時に自分の「正義」を揺るがすことになるー。果たして「〝正しさ〞とは何なのか?」。常に真実を明らかにしたいという信念に突き動かされてきた由宇子は、究極の選択を迫られる…ドキュメンタリーディレクターとしての自分と、一人の人間としての自分。その狭間で激しく揺れ動き、迷い苦しみながらもドキュメンタリーを世に送り出すべく突き進む由宇子。彼女を最後に待ち受けていたものとはー?

公式あらすじより

 "正しさ"という扱いの難しい主題に振り回されることなく、確固たる意志の下で物語性とメッセージ性を見事に両立させ描き切った凄まじい作品。観終えた直後、しばらく立ち上がれなくなるほどに圧倒された。

 主人公である由宇子(瀧内公美)がドキュメンタリーディレクターという一見してやや特殊な職業であることが、観客へ向けた一種のミスリードとして機能している。彼女が行っている行動――情報を集め、それを編集し、発信する――がまるで特別なことであるように錯覚しそうになるからだ。
 勿論、それを仕事にしている人が少数派であることは事実だ。しかし、人は誰しも自分というフィルターを通さずに一切の情報を発信することはできない。自ら意識するしないとに関わらず、情報を恣意的に切り取ること自体は、日常の中で誰もが行っているありふれた行動に過ぎないのだ。
 特に今はインターネットが発達したことによって、あらゆる人が手軽に発信者となれる力を手に入れた時代だ。そこにマスメディアという公共性が付されているかという差こそあれど、大別してみればやっていることに大した違いはない。(そして、この記事自体がそういう存在でもある)

 そうして、様々な情報に翻弄される由宇子の姿が次第に観客の心にも投影されていき、その果てに私たちは「あなたならどうする」という重すぎる問いを突きつけられる。また、瀧内公美の素晴らしい熱演によって、込められたメッセージ性が何倍にも鋭さを増していたことも書き添えておきたい。
 社会派というジャンルに属してはいるのだろうが、そこに込められていたのは社会という抽象的なものを批判する姿勢ではなく、それを構成する個々人である観客の一人ひとりの信念を問いかける視線だった。圧巻。


子供はわかってあげない(沖田修一)

高校2年、水泳部女子の美波はある日、書道部男子のもじくんとの運命の出会いをきっかけに幼い頃に別れた父親の居所を探しあてる。何やら怪しげな父にとまどいながらも、海辺の町で夏休みをいっしょに過ごすが。。。
心地よい海風、爽やかに鳴る風鈴。…超能力!?そして、初めての恋に発狂しそう! お気楽だけど、けっこう怒濤の展開。
誰にとっても、宝箱のような夏休み。はじまりはじまり~。

公式あらすじより

(公式あらすじ、さっき初めて読んだけどウキウキの文体で笑ってしまった。こういう感じの話だったんだ……)

 田島列島さんの名作マンガ「子供はわかってあげない」を原作とする映画。ずっと上映を心待ちにしていた作品でもある。

 最近特に顕著な傾向なのだけど、原作つきの映像化作品では原作を忠実になぞることが是とされているような風潮がある。それについては大いに気持ちが分かる面もあるのと同時に、原作にはないオリジナル要素を蛇蝎のごとく嫌っている層がいることに関しては若干の違和感もある。媒体が変わる以上、原作をなぞることが必ずしも原作の再現には繋がらないと思うからだ。重要なのは、作品の芯を捉えた改変なのか否かである。

 本作の場合、上下巻の2冊ある原作を2時間少々の尺に収めるという関係もあり、省略された要素自体はそれなりにある。それでいて、ただのダイジェストとなっているわけでもない。描きたい全体像に向けて要素を整理し、足りない箇所は新たに作り出し、新たな物語として丁寧に再構成されている。その結果としてでき上がった映画の手触りは、間違いなく原作と同じものになっていた。沖田監督の凄まじいバランス感覚に脱帽するしかない作品。


街の上で(今泉力哉)

https://www.netflix.com/jp/title/81511250

古着屋で働く荒川青は、恋人に浮気された上にフラれたが、いまだに彼女のことが忘れられない。そんな青のもとに、美大に通う女性監督から自主映画への出演依頼が舞い込む。行きつけの飲み屋では常連客から「それは“告白”だ!」とそそのかされるが——(中略)
街の住人たちとの他愛ない会話。魅惑的な女性たちとの出会いと別れ。変わらない想いと変わりゆく街並み。どこにでもある下北沢の日常が今泉独特のユーモアと優しさに包まれながら紡がれていく。「今泉映画最高傑作」の呼び声も高い、珠玉の群像劇。

公式あらすじより

 完全に個人的な話になってしまうのだが、「やっと観られた」という感慨が強くある作品。元々は2019年の下北沢映画祭で初上映された本作。当日はどうしても予定が合わずに泣く泣く見送り、その直後のMOOSIC LAB 2019で特別招待作品となった際は仕事に囚われ行けず、2020年に予定されていた全国上映は新型コロナウイルスの影響で延期になった。こうして観る機会を何度も逃し、実に約1年半越しにやっと観ることが叶った映画なのである。

 あらすじには群像劇という説明が付されているし、実際に色々な人たちの営みが描かれてはいるのだけど、実際に彼らを接続しているのは人間関係というよりも「下北沢」という街そのものだ。そういう意味では、タイトルにも冠されている通りに"街"そのものが唯一主人公であるとも言える。
 特筆すべきはやはり、今泉監督の持ち味でもある全編通じて漂うナマ感だろう。ちょっとした言葉選びや、それと裏腹な体の動き。登場人物らの仕草には、日常の中にある小さな"あるある"が溢れている。それらを切り取る本作の眼差しに込められた、たしかな日々への愛おしさ。

 彼らはきっと、今も下北沢に暮らしている。そして、彼らとよく似た誰かもきっと、私たちの住む街のどこかに暮らしている。そう思わされる作品。


ジョゼと虎と魚たち(犬童一心)

ごく普通の大学生・恒夫がアルバイトする麻雀店では、近所に出没する謎の老婆の噂が話題となっていた。その老婆は決まって明け方に現れ、乳母車を押しているのだという。明け方、恒夫は坂道を下ってくる乳母車に遭遇。近寄って中を覗くと、そこには包丁を振り回すひとりの少女がいた。ジョゼと名乗るその少女は足が不自由で、祖母に乳母車を押してもらい散歩していたのだ。不思議な魅力を持つジョゼに惹かれた恒夫は、彼女の家をたびたび訪れるようになる。

公式あらすじより

 昨年末公開されたアニメ版でいくつか個人的に許容できない引っかかりがあり、それが作品自体に通底するものなのかアニメ版自体に由来するものなのかを確かめるために鑑賞した。結果的には観てよかったと思う。

 本作においては、私がアニメ版に対して感じていた引っ掛かりの全てが、納得のいく描かれ方をしていた。例えばそれはジョゼの服装についてのものであり、恒夫がジョゼの家に通う理由であり、ジョゼの年齢に対するものである。その結果として、何故アニメ版のジョゼにはそれら全てが描かれてなかったのかということも、理解できた。アニメ版自体が、明確に実写版を意識した上でのカウンター(現代版アンサー)として作られているのだ。今の時代において改めてこの作品を作り直すのであれば、こうして世に出た形となることは、むしろ必然だったと言えるのかもしれない。

 元々アニメ作品としての美術や演出面は文句なしに素晴らしいでき栄えだとは思っていたので、引っかかっていた点に一応の説明がついたことで、これはこれで巧いなという印象には落ち着いた。その上で、改めて私は実写版の方が数段好きだとも思ったが、これは個人的な好みの問題なのだろう。
 慟哭する恒夫(妻夫木聡)の矛盾した感情の発露から感じるやるせなさ。車椅子を走らせるジョゼ(池脇千鶴)が家に帰り着き、一人魚が焼けるのを見つめるラストシーンの美しさ。ともに恋という共同幻想を経た先で、互いの道を支え合う未来を描いたアニメ版よりも、意志を秘めた人間の背中に宿る美しさを描いた実写版の方が、より深く刺さったというだけのことだ。


まともじゃないのは君も一緒(前田弘二)

外見は良いが、数学一筋で〈コミュニケーション能力ゼロ〉の予備校講師・大野。彼は普通の結婚を夢見るが、普通がなんだかわからない。​その前に現れたのが、自分は恋愛上級者と思い込む、実は〈恋愛経験ゼロ〉の香住。​
全く気が合わない二人だったが、共通点はどちらも恋愛力ゼロで、どこか普通じゃない、というところ。​そして香住は普通の恋愛に憧れる大野に「もうちょっと普通に会話できたらモテるよ」と、​あれやこれやと恋愛指南をすることに。​​

公式あらすじより

 主人公二人の掛け合いを楽しむコメディ映画。ラブコメ……とみる人もいるのかもしれないけど、個人的には"ラブ"はなくてもいいのかなと思った。

 とにかく大野(成田凌)と香住(清原果耶)のコミカルな会話劇が本当に面白い。振りかぶった笑いではなくて、本人たちは終始いたって真剣なのに、その真剣さがじわじわと面白くなってくるタイプ。だから感情をシームレスに動かされてしまって、泣き笑いみたいになる場面もあった。
 そして、特筆すべきはやはり主演二人の卓越した表現力だろう。この作品のキモとなっているのが主人公らの"ズレ"である以上、彼らはある程度キャラクター化された存在とならざるを得ないのだが、二人は自らの芝居一つでそこへ自然な実在性を付与してみせる。テンポよく言葉が交わされるその空気感には、一種の生々しさすら宿っていた。そもそも観に行くことを決めたきっかけ自体が(個人的には大変珍しいことに)ほぼキャストの一本釣りだったのだが、その期待を難なく越えてきた凄みがある。

 肩肘張らず純粋に楽しめる作品であるのと同時に、「普通」という言葉に悩める人へ向けたエールもしっかりと込められている。オススメ。


花束みたいな恋をした(土井裕泰/坂元裕二)

東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った大学生の山音麦と八谷絹。 好きな音楽や映画がほとんど同じで、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店してもスマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが――。

公式あらすじより

 名前を挙げたのは、今年観た中で一番強い怒りを抱かされた作品だから。好きか嫌いかでいえば、正直そこまで好きな方ではない。

 中盤以降、山音麦(菅田将暉)は就職による多忙をきっかけとして、彼のアイデンティティを構成していた様々なサブカルチャーと距離が開くようになる。読むのは自己啓発本になり、イベントにも参加せず休日は寝てるだけ、遊ぶゲームはパズドラのみ。そして、それらカルチャーを通じて接続していた八谷絹(有村架純)との距離も同様に開いていってしまう。

 とにかく彼のことが理解できなくて、気持ち悪くて、許せなかった。単なる多忙を理由に手放せる程度の存在を生き甲斐ぶって振る舞っていたことも、その感性をもう取り戻すことができないと泣く自己愛も、それら全てを"仕方ない"の一言で諦めようとする弱さも、全てが許容できなかった。こいつサブカルが好きだったわけではなく、サブカルが好きな自分が好きだっただけなのでは……しかも、そのことに最後まで気づいている気配がない。
 あまり良い役回りではないキャラクターに対しては"そういう役割"だとメタ的なフィルターを挟んで見る方なので、特定の登場人物に対して必要以上に強い悪感情を抱くということは基本的にないのですが、麦に関してはあまりにピンポイントに地雷を踏み抜かれてしまったために「この男は絶対に許せん」という感情に心が完全に支配されてしまい、作品をフラットな視点で観ることができなくなってしまったのでしたとさ。南無三……。

 フィクションの人物にここまで強い感情を抱かされたということ自体が、そこに相当の実在性が宿っていた証左なのかもしれないとは思う。


ドラマ(観た数:20本)

大豆田とわ子と三人の元夫

大豆田とわ子はこれまでに三度結婚し、三度離婚している。「あの人、バツ3なんだって」「きっと人間的に問題があるんでしょうね」そりゃ確かに、人間的に問題がないとは言わない。だけど離婚はひとりで出来るものではなく、二人でするもの。協力者があってバツ3なのだ。 大豆田とわ子が三人の元夫たちに振り回されながらも、日々奮闘するたまらなく愛おしいロマンティックコメディー。

公式あらすじより

 坂元裕二が脚本を手掛ける、待望の新作テレビドラマシリーズ! 企画が発表された瞬間から嬉しくて嬉しくて震えていた作品。

 主人公である大豆田とわ子(松たか子)を筆頭に、三人の元夫である田中八作(松田龍平)、佐藤鹿太郎(角田晃広)、中村慎森(岡田将生)は皆が少しずつ世間からズレた人たちだ。でも、決して逸脱しているわけではない。皆が悩んだり笑ったりして生きている普通の人間でもある。だから、そのズレを一言で説明するのはとても難しい。田中・佐藤・中村と苗字ランキング上位の並びに中々飛び道具的な名前がくっ付いていることからも、そこに双属性さが込められているというのが分かるだろう。大豆田とわ子に関しても構造は真逆ながら意図としては同じはずだ。しかし、結婚することで彼女から大豆田という名字が取り払われることは、何やら示唆的でもある。

 本作においても"坂元裕二節"といえる軽妙な掛け合いは遺憾なく発揮されている。共感と想定外の間から差し込まれる独特のワードチョイスに着眼点、繰り広げられる会話劇はそれだけで永遠に見ていられる絶品である。そして、それを構成する役者陣の芝居も勿論素晴らしい。
 設定だけみれば愛憎劇となってもおかしくない気配があるが、本作に関しては"ドロドロ"は一切ない。あるのは愛だけである。「たまらなく愛おしいロマンティックコメディー」とは、まさしくその通りだ。あまりに好きすぎて、放送が終わってしばらく抜け殻みたいになってしまった……。


アバランチ

「もう一度信じてみないか、正義の力ってやつをさ」

第1話より

 特殊部隊、ハッカー、爆弾処理班といった経歴を持つ者たちが集まり結成した"アバランチ"。彼らはときには非合法な手段も厭わず、社会に潜み権力を振るう巨悪を成敗する、といった内容。このあらすじを聞いた人の大半は「ああ、そういう系ね……」と思うのではないだろうか。正直私もそう思ったし、実際そこまで好むジャンルでもないので、監督が藤井道人氏でなければ観なかった可能性は高い。だから、結果的には幸運だった。

 第4話まではいわゆる"顔見せ"回。各話で違うメンバーにスポットライトを当て、アバランチに至るまでの過去を描き、因縁を可能な範囲で清算していく。ここまでも思った以上に楽しめてはいたのだが、完全にぶっ飛ばされたのは、そこから続く第5話だった。アバランチの中心メンバーである羽生誠一(綾野剛)の過去編、アバランチ結成のきっかけとなるエピソードだ。

 冒頭、始まった瞬間に違和感があった。ライティングが違うのか、画がどこか映画のような気配をまとっているのが印象的だった。これまでと明らかに違う雰囲気に何か得も知れぬ期待感があった。
 それは、ある事件に巻き込まれたことで絶望し失意の底で公安を去り、流れ着いた町工場で行われていた搾取も諦念から傍観していた男が、とある少女の行動を目の当たりにしたことで再びその目に光を宿し、もう一度だけ"正義の力"を信じてみようと立ち上がるまでの、再生の物語だった。とにかく綾野剛の芝居が終始凄まじい。完全に呑まれてしまった。キーパーソンである少女あかり(北香那)も、それに負けない存在感を放っている。


お耳に合いましたら

とあるきっかけから、自分のありったけの<好き>を込めてチェーン店グルメ=チェンメシへの愛を語るポッドキャストを始めた主人公・高村美園の、パーソナリティ成長記&青春グラフィティ!

公式あらすじより

 最近、テレ東の深夜はゴハンもののドラマが多くやっている。そんな中でも図抜けて素晴らしかったのが本作である。

 まず、チェーン店グルメ=チェンメシというモチーフがいい。松屋、餃子の王将、銀だこ、毎話様々な実在するお店の商品が取り上げられ、高村美園(伊藤万理華)が"好き"を語る。ありふれたものだからこそ、そこに注がれる愛の大きさも際立ってみえる。自分でも食べたくなってきたら、すぐに食べに行けるという気軽さもいい。それでいて、物語の中心はチェンメシではなく、あくまで主人公の生活にあるというのが、本作の白眉な点である。

 美園にとってチェンメシとは愛すべきものであると同時に、日常でもある。決して大げさではなく、それは彼女の生活にとって掛け替えのないピースと化しているのだ。だからこそ、彼女がチェンメシについて語る時、それは人生について語ることと重なる。そこにある愛が優しく彼女を励まし、そっと手を差し伸べ、力強く背中を押す。そうして彼女は歩いていくし、その周囲の人たちも少なからず影響を受けていく。
 単に題材をお約束的に消化するだけに留まらず、ちゃんと物語の血肉として昇華させることに成功している稀有な作品。


半径5メートル

「なぜ私はこんな思いをしているのだろう?」――世の女性たちが日々感じている違和感や生きづらさ。女性週刊誌の若手編集者と型破りなベテラン記者のバディが、身近な話題から世の中を見つめていく。

公式あらすじより

 "世の女性たちが"と謳われてはいるものの、言うほど性別的な視点の偏りがある内容とは思えなかった。むしろ、性差に限らず取り上げたことに対してはなるべく多面的に、バランスをとって描くよう細心の注意を払って作られているように感じたので、この紹介の仕方は正直ちょっと残念ではある。まあ、この方が宣伝的には色々都合がいいのかも知れないけど……。

 閑話休題。週刊誌といえば芸能ゴシップのイメージが強いが、本作で描かれるのは"二折"と呼ばれる生活情報を主に扱う記事を書く部隊。とある出来事をきっかけに一折から二折へ移動してきた前田風未香(芳根京子)と、彼女を振り回すメンターである亀山宝子(永作博美)。まずこのバディの掛け合いが素晴らしい。両名とも達者な役者なので、その関係性が緩やかに変化していく様もとても自然。編集部の他メンバーも名プレイヤー揃いだ。

 SNSの発達等もあり遠くとも気軽に繋がれるようになった今だからこそ、半径5メートルという目前を注視することでしか見えてこないものがある。社会派な内容ではあるのだけど、世直し的な方向ではなく「自分の頭で考えろ」という堅実なメッセージに終始しているのが良かったと思う。


コントが始まる

解散を決めた売れない芸人「マクベス」の三人の男たち。彼らを生き甲斐にしている元一流企業努めの女性アルバイターと、夢も目標もないままその世話を焼くスナック勤めの妹。五人を中心に繰り広げられる、青春群像劇。

こんな感じの話だよ

 各話波がありつつも素晴らしいが、特に印象に残っているのは第2話。マクベスの三人は解散すると宣言こそしたものの、まだ迷いながら苦しんでいる段階。そんな中、結成時のエピソードに関するすれ違いから高岩春斗(菅田将暉)と美濃輪潤平(仲野大賀)は喧嘩になり、朝吹瞬太(神木隆之介)もそれを仲裁することができないまま、ライブの舞台に立つことになってしまう。そこで潤平が本来の筋書きにないアドリブの台詞を差し込み……という展開。舞台に立つまでの三人の葛藤、決断に至るまでの細かい仕草、第1話で既に提示されていた情報、あらゆる要素がラストの台詞に集約されてくるという構成になっており、あまりに綺麗な回収に舌を巻いてしまった。

 主要人物は皆、社会的に成功しているとは言い難い現状にある。10年間売れないまま夢を諦めることになったマクベスの三人は当たり前に悲劇であるし、中浜里穂子(有村架純)、中浜つむぎ(古川琴音)の二人は生きる理由を他者に依存している。だが、これは華々しいサクセスストーリーではない。人生のモラトリアムを過ごしていた彼らが、いかにして自分たちを肯定し、残りの人生を生き抜くためのエネルギーを獲得するかという話なのだ。
 例え積み重ねてきたことに何の意味もなかったように思えたとしても、それは気づかぬ内に誰かの心を救っているのかも知れない。真っ直ぐでシンプルなメッセージが胸を打つ作品。


有村架純の撮休

多忙な毎日を送る国民的女優・有村架純。そんな彼女はドラマや映画の撮影期間に突然訪れた休日、通称“撮休”をどう過ごすだろうか?知られざる有村のオフの姿を映画、テレビ、CM、舞台など各界のクリエイターたちが妄想を膨らませて描き、有村本人が演じるというこれまでにない一話完結のオムニバスドラマ。

公式あらすじより

 是枝裕和、今泉力哉、三浦直之と贔屓にしているクリエイターが三人も参加していたので、流石に観るしかないだろうと飛びついた作品。(配信当初はWOWOW独占だったので観られなかった……)

 単純にオムニバス形式のドラマとして質が高いのは勿論、「せっかく有村架純ならこういうのを撮ってやろう」という各制作陣の思惑が何となく滲み出ているのがめちゃくちゃ面白い。全話で本人役を演じる有村架純さんも大変素晴らしくて、正直なところ今までは特に彼女に興味を持ったことがなかったのですが、これを観てから当社比三倍ぐらい好きになってしまった。


舞台(観た数:10本)

 今年からMemento Databaseを使って舞台(あと同人誌とライブも)の整理をすることにしたので、後から記録を見返すのが飛躍的に楽になってよかった。感覚としては理想的なペース。やっぱり2ヶ月に1回は観たいな。

 自分用のメモみたいなものはちょこちょこ残しているのだけど、相変わらず舞台に関しては特にまとまった文章を書く気にはなれなくて、その理由をずっと考えていた。結果として自分で納得のいく答えは出ていて、やっぱり再現性のなさが一番引っかかっている要因なんだろうなと思う。
 感想は良くも悪くも受け手にバイアスをかける。それはもう仕方がない。それに、受け手が作品へ直に触れることで補正される機会が残されているから許せる。でも、舞台は公演が終わってしまえば同じ体験をすることは物理的に不可能になるので、受け手が感想から抱いた印象がそのまま永遠に作品と同一視されてしまう可能性があって、それが個人的に何となく受け入れ難い。だから皆、少しでも気になったものは迷わず観に行こう!(投げやり)

<4/23> @アトリエ春風舎
いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三小学校(劇団ロロ)<4/24> @よみうり大手町ホール
カラシニコフ不倫海峡(坂元裕二) ※朗読劇
<5/26> @小劇場B1
サマー(玉田企画)
<6/7> @新国立劇場 中劇場
夜は短し歩けよ乙女(演出:上田誠/原作:森見登美彦)
<6/27> @吉祥寺シアター
とぶ(劇団ロロ)
ほつれた水面で縫われたぐるみ(劇団ロロ)
<6/28> @駅前劇場
ソルティーなんとかメモリー(劇団かもめんたる)
<7/31> @ユーロライブ
夜衝(蓮見翔(ダウ90000))
<10/7> @日本青年館ホール
ブランニューオペレッタ『Cape jasmine』(根本宗子)
<10/10> @東京芸術劇場 シアターイースト
Every Body feat.フランケンシュタイン(劇団ロロ)


ライブ(参戦数:13回)

 言いたいことは舞台とだいたい同じなので省略。ライブは月1ペースで行けると心身整う感じがあるので、そのぐらいが丁度いいのかもしれない。

 なんか履歴だけみたらハンバートハンバートがめっちゃ好きな人みたいになってるな……実際のところは普通に結構だいぶ好きぐらいの感じです。

<4/8> @TSUTAYA O-EAST
ハンバート ハンバート×カネコアヤノ(ライブナタリー)
<5/15> @幕張メッセ
ずっと真夜中でいいのに(CLEANING LABO「温れ落ち度」)
<6/24> @下北沢BASEMENTBAR
ベランダ("夜明け生まれの人たち" vol.3)
<7/24> @中野サンプラザホール
豊崎愛生(Camel Back hall)
<7/29> @Zepp DiverCity(TOKYO)
夏川椎菜(Zepp Live Tour 2020-2021 Pre-2nd)
<7/30> @TSUTAYA O-Crest
ゴホウビ(ゴホウビステーション vol.2)
<9/20> @Zepp Tokyo
YANO MUSIC FESTIVAL2021~ヤノフェス 歌う王国~
<9/22> @Bunkamuraオーチャードホール
ハンバート ハンバート(THIS IS FOLK)
<11/23> @LOFT HEAVEN
エルスウェア紀行(ひかりの国)
<12/1> @Zepp DiverCity(Tokyo)
ハンバート ハンバート(THIS IS FOLK お歳暮篇)
<12/4> @新宿ReNY
Maica_n(la Sekirara)
<12/11> @恵比寿ガーデンホール
土岐麻子×堀込泰行(Reflection of the City)
<12/23> @SPACEODD
ゆいにしお(Life is Beautiful)


ゲーム(やった数:5本)

アイドルマスターシャイニーカラーズは本当にいいゲーム。
その他対戦ゲームが主なので省略。


まとめ

年越し間際!! クソ疲れたので来年もうやらないかもしれない……。