2022年に摂取したコンテンツ感想まとめ
いつものやつ。ルールも変わらず以下のとおり。ランク付けではないので全編通して登場順不同。興味あるジャンルだけでも流し見して、一つでも新しい作品に触れてもらえたら嬉しい。本当に。
・対象は今年摂取したもの。必ずしも今年発表されたものではない。
・再読等は集計外。初見作品だけカウント。
・印象に残ったものをいくつか抜粋して紹介。
・触れるものにはなるべくリンク貼った。
マジで時間がない(12/30 10:19現在)ので、全体かなり端的にいきます。
音楽(聴いた数:たくさん)
相変わらずSpotifyオンリー生活となっている。サブスクの奴隷。12月になると出してくるSpotifyの1年まとめ、わりと楽しくはあるのだけど、個人的には毎年12月を様々な振り返り期間にしているので、11月末時点での集計だと結構体感とズレてくるケースが多い。年末に開き直せばいいのか?
今年は概ね60,000分/1,0000曲/2,850組ぐらい聴いたらしい。音楽を聴くタイミングがほぼ一定なので、聴いている時間とか曲数は毎年だいたい同じような数字になる。今まで特に何を思うこともなかったのだけど、たまたま妹の結果と比べたら何もかも違いすぎてめちゃビックリした。自分でも言っていたけど、妹は一度気に入ったものを延々聞くタイプらしい。聴き方でこんなにハッキリ違いが出るんだ……。(たしか40,000分/1,500曲ぐらいだった)
というわけでTop100。毎年曲数が違うのは、絞り込むのを諦めたタイミングで曲数が決まるからです。どう見てもTop100ですね。
全部聞くと6時間半ありクソ長いため、忙しい人向けのTop30も置いておきます。アーティスト被りナシ縛り。2時間なのでお手頃。(本当に?)
こっちは続けて聴いた時に自分の気持ちよさがなるべく最大化されるよう曲順も多少組んである。たのしかった。Top30だし。
これらとは直接関係ないのだけど、SpotifyのAPIから曲に埋め込まれている情報を抽出して曲をソートできるサービスをたまたま発見して、スゴ~と思ったので貼っておく。どのぐらいの精度か分からないけど、ちゃんと見たら自分が好きそうな領域とか分かったりするのかな。それなら面白いね。
今年見つけることができて特に嬉しかったアーティスト
AiRBLUE、chilldspot、llie、LAGHEADS、NOMELON NOLEMON、ZOMOZ、グソクムズ、ボタニカルな暮らし、古川本舗、新東京、礼賛
漫画<商業>(読んだ数:631冊)
(○=単巻・上下巻 ◎=完結済 ★=今年読み始めた)
うみべのストーブ(大白小蟹)○
俵万智さんの推薦文がかなり素晴らしく、これだけあれば他の言葉はもう要らないような気もしてしまうんだよな……。
生きることを愛するために必要な、でも言葉にするのはとても難しい、ふと心に立つさざなみのような感情。それをここまで鮮明に拾い上げてしまえる力量に、ちょっと信じられないような気持ちになる。これで初単行本とは……間違いなく一生追いかけなければならない作家さんの一人。
連載されていたトーチwebでニ作ほど読むことができるので、それで少しでも気になったら間違いなく買うべき一作です。
緑の歌(高妍)○
作者の高妍(ガオ イェン)さんは台湾在住の方。細野晴臣氏とはっぴぃえんどを敬愛していて、その歌に着想を受けてつくられた物語となっている。この漫画には下敷きとなる同人版が存在していて、タイトルは同じく「緑の歌」という。そちらが偶然にも作詞家の松本隆さんの手に渡り、一部で話題を読んだことから日本語版の同人誌が制作され、それが商業版である本作の連載に繋がったという経緯がある。それ自体が中々にドラマチック。
大変に叙情的な物語で、文学性が高い。前述のようにモチーフとして日本の音楽が用いられているものの、そこに描かれている憧憬や衝動というのは対象を限定するものではなく、広く普遍的なものだ。若さと乱暴にまとめてしまうことも出来るのだろうが、そう表現した時にこぼれ落ちてしまう沢山のものを、この作品は丁寧に拾い上げることに成功しているように思える。
医龍(乃木坂太郎・永井明)◎★
名作を今更読んでみようシリーズ、その①
作者の乃木坂太郎さんが現在連載している「夏目アラタの結婚」がめちゃめちゃ面白かったので、じゃあ読んでみるかということで手を付けてみたところ、想像を遥かに超える傑作がお出しされて仰天してしまった。
序盤はNGO帰りの型破りな医師がお硬い日本の大学病院にメスを入れちゃるというような内容で、まあ別に悪くはないのだが……という程度の感触。しかし、バチスタチームと呼ばれるメンバーが全員出揃い、物語の中心が次期教授選に移り始めた8巻辺りから加速度的に面白くなっていき、そのまま減速なしで大気圏を突破して宇宙へ飛んでいってしまった。すごすぎる。
一応バチスタチームが主人公陣営ということにはなるのだが、最終的にはどのキャラクターも魅力的に見えてきてしまう。個人的には第15巻で手術室を走って出ていく霧島を見た時が一番感情がぐちゃぐちゃになってしまったかもしれない。一度狂った末に道を見出した男に弱いので……。
大奥(よしながふみ)◎★
名作を今更読んでみようシリーズ、その②
ドラマ「きのう何食べた?」がとても良く、よしながふみ先生の作品に興味が湧いたため、何となく聞いたことのあった本作を手に取った。長めだしゆっくり読むかと思ったら、二日後には読了していた。これは一体……。
男女逆転大奥という如何にも一発ネタのような設定で、そのまま徳川幕府終焉までを駆け抜けていくという離れ業をやってのけた、とんでもない作品。これだけの捻じれを組み込みながら、史実を下敷きにした物語として破綻なく展開を作り上げている。しかも、設定のためだけに作られていてもおかしくなさそうな"謎の疫病"までも、欠かすことの出来ない重要なピースとして物語に組み込んでみせるというのは、凄すぎてちょっと信じ難い。一体どこまでを織り込み済みとして書き始めていたのか……。
詳細な言及は避けるが着地点も非常に見事で、これによって本作が単なるファンタジーとして終わるのではない読後感を生み出している。傑作。
左ききのエレン(かっぴー×nifuni)◎
ちょうど今月に最終巻が発売された作品。何というか、決して完璧な作品ではなかった。でも、そのある種の荒々しさ自体が、人の抱える抑えきれない衝動を扱う本作のメッセージと、何よりも共鳴していたようにも思う。
本作のキャッチコピーは「天才になれなかった全ての人へー」。天才と凡才、才能を巡る物語は数多あるが、本作は凡才の苦悩と同じかそれ以上の尺を割いて、天才の抱える孤独を描いている。天才を倒すべき相手としてではなく、並び立つ相手として描いているからだ。どれだけ走り続けたとしても、凡才は決して天才にはなれない。天才の理解者になることもできない。それでも、決して諦めることなく自らのいる場所に手を伸ばし続けている凡才の存在は、それだけで天才の孤独を救う希望となり得るのかもしれない。
血の轍(押見修造)
一巻が発売された時から読んでいたのだけど、途中で精神がやられてしまって、八巻辺りで読むのを止めていた。最近思い立って最新刊まで読み直したのだが、やはり感情が飲み込まれそうになる怖ろしい作品だった。そんな体験をすること自体が、本作が稀有な作品であることの証左ではあって、やっぱり最後まで読み続けるしかないんだろうな……。この作品を描き切ることが、押見先生にとっての救いになるといいのだけど。
チ。―地球の運動について―(魚豊)◎
これは、究極の人間讃歌だ。
果ての星通信(メノタ)◎★
とにかく世界観とキャラクターが魅力的なSF作品。一話~数話で完結する話が多く、次はどんな惑星やキャラクターが登場するんだろうという、物語を読むときの原始的なワクワクを思い出させてくれた。かなり好きな作品なのだけど、何が気に入っているのか上手く言葉にできなくて困ってしまう。
最近の作品では「宙に参る」(肋骨凹介)あたりが読み味としては近いか。「蟲師」(漆原友紀)を連想したこともあったが、これは作風というよりは構成の話かもしれない。でも、好む人は重なるような気もする。
ブスに花束を(作楽ロク)◎
タイトルにややパンチが効いているが、ものすごく真っ直ぐな恋愛漫画。
本作は、少女漫画でよくある「平凡な私がイケメンと!!?」という描写へのカウンターなのではないか、という気がする。実際、作中で主人公があからさまに不細工であると扱われる描写はない(とはいえ、決して美形ではないというのは前提としてあるが)。容姿ではなく心の話なのだ、という主張を明確化するために、あえて強い言葉を持ってきたのじゃないだろうか。
しかも、それを単なるラベルとするのではなく、十分に納得させるだけの人間模様を描き切っているのが素晴らしい。あまりハネているような印象はなかったが、もっと話題になってもおかしくない作品だと思う。
生活保護特区を出よ。(まどめクレテック)★
想像したこともない不思議すぎる世界観で繰り広げられる、不思議すぎる生活。どうやってここに辿り着いたんだろう……。読んでいるときの気分は完全に名前を聞いたこともない国のレポ漫画。突然変異のように現れた本作の行く末が気になって仕方がない。とても商業誌とは思えない想定が目印。その理由も内容を読めばよく分かる。
偽物協会(白井もも吉)◎
人生。
漫画<同人誌>(読んだ数:160冊)
ゼロになりゆく僕たち(Kで会うならば/有永イネ)
どれも本当にいい短編なのだけど、表題作(と言っていいはず)の「いつかゼロになる」が、今年読んだ同人漫画で一番刺さってしまった。何回読んでも最後で涙が止まらなくなってしまう。何故なのかよく分からないのに。
自分を犠牲にしてでも人を助けることをやめられない少年と、その少年を見つめ続けていた少女の話。彼はいつか私が見た善意なのかもしれない。
Noch da(まばたき星雲/ばったん)
学校に居場所がないドイツ人の少女・エマと、夫に着いて渡ってきた異国に馴染めない日本人の女性・アイ。言葉も十全には通じない二人の、ぎこちなくも切実な交流を描いた作品。終盤訪れる、想いが言葉を飛び越える瞬間の美しさに心打たれた。あえての左綴じも演出としてGood。
フローティング・夕子(ザキミヤンユートピア/宮子玲子)
青峰夕子は浮いている。言葉遣いも、座る姿勢も、主張も、常に正しくまっすぐだからだ。そんな彼女の唯一の学友である若葉は、あるきっかけから、夕子に対し内心抱えていた感情を爆発させてしまい……。全部の気持ちを抱えたまま、それでも同じ目線で喜び合えた二人の姿が眩しい。
とある私達にまつわる(marivron/野乃)
婚姻届の証人を依頼されたことをきっかけに、かつての同級生と再会する話。何の保証もない友人という関係の不確かさと、それでも確かに存在していたはずの名前のない感情たち。それは紛れもなく彼女達だけの個人的な話でありながら、数多いる"私達"の話でもあるように思えた。
6月のカンパニュラ 嬰ハ長調(連弾)(BEKKO/はにみ)
自ら望んで始めたはずのことなのに、続けていく内に余計な感情ばかりが絡み付いて、いつしかその心を見失ってしまうこともある。ピアノ教室に通う中学生・琳が、年上の女性バンドマン・ひかると共振するように自分の"好き"を再発見していく様子を、丁寧かつ誠実に描いた作品。
漫画<ウェブ>(読んだ数:306作)
今年はその多くがジャンプ+の読み切りになった。単純に読んでいる数が多いからということもあるのだけど、純粋に最近のジャンプ+は読み切りのレベルが異様に高いような気がする。一応有名どころのWeb連載漫画サイトには一通り目を通しているはずだが、正直アベレージで言えば、他誌とは完全に一線を画しているような感覚がある。何が起こってるんだろう。
静と弁慶(三木有)
2022年短編Web漫画部門の最高傑作です。
静かな世界で、なぎなたを振るう時の掛け声だけが大きく響く。なぎなたの"演技"のように、同じことを繰り返しているようで、少しずつ変化してきた二人の関係は、どこに辿り着くのか。
作者のなぎなたへの愛が全編にわたって溢れ出している。扉絵の中には静も弁慶も写っていない。ただ無数のなぎなた関係者達の姿だけがある。そのことこそが、むしろその愛の深さを示しているように思えるのだ。
3:うたかたのひび(さとだ)
ドット絵調の特徴的な絵柄と、縦長のコマ割で描かれた作品。独特の形式も相まって、まるでADVをプレイし終えた後のような読み味がある。
基本的に、93番と07番の掛け合いだけで物語は進行していく。画面の動きも最小限で、この淡々とした筆致が、二人しか存在しない星の静けさと重なって、何ともいえない情緒を生み出している。素晴らしい。
絵に描いた餅を描いた餅(林快彦)
信頼している作家さんが絶賛しているのを見て、気になってジャンプを買ってしまった作品。本当に買ってよかった。(かなり話題になったのを受けてか、その後いつの間にかTwitterで公開されていた……)
見開きを使った演出がうますぎる。そんなん盛り上がるしかないでしょ。名作漫画の効果音が大量にサンプリングされている画面は、漫画という表現の可能性を信じる心で満ち満ちている。
ジャンプ+で公開された読み切り「へのへのもへじと棒人間とパンツ」もすごくいい。オススメ。
キング(大鳥雄介)
読む映画。あらすじに全てが書かれているので、これ以上の説明は不要な気がする。読めば分かるが、147ページが一瞬で終わる。
今までに公開されている作品は全て素晴らしいが、間違いなく現時点での最高傑作だと思う。もうそろそろ連載でも何か読んでみたいような気もするけど、まだ少し先になるのかな……。
永遠に君を愛している(末太シノ)
不老不死の男がある女性と出会い、そして別れる。これだけ使い古された設定一つで、ここまで感動させる話を描き切る力量が凄まじい。意外性のある展開は本当に一つもない。いつかどこかで読んだことがあるような物語に終止するのに、読み終えたとき心に迫るものがある。
この作者さんの新作が読みたくて仕方がない……。
教師と淫魔のお兄さん(藍野りだこ)
男がゲイならやってくる淫魔もゲイになるはずだ、という発想は目から鱗だった。言われてみれば、全くもってその通りなのである。しかも、一見すると単なる飛び道具的な設定が、しっかりと話のテーマに接続されたものになっているのが素晴らしい。恋愛ではないけれど、間違いなく愛の話だ。
鍵がない(伊藤拓登)
本当に好きな漫画で、何度も読み返している。いかにもあり得そうなシチュエーションを丁寧に描くことで、スムーズな感情移入ができるようになっている。画面が黒から白へ変わる。夜が明けて主人公が光に包まれていく。その瞬間の感情を覚えていれば、まだ世界の優しさを信じられる気がする。
飛んで福山(大山田)
自分の衝動を吐露する後藤の姿が本当に輝いていて、すごい。表現力だ。人間どうしても結果ばかりに目がいってしまうものだけど、それはゴールをどこに置くかの話なのであって、結局は自分を好きになることさえ出来れば、それだけで全部いいのかもしれない。
ウィッチシード(有坂あこ)
これに関しては百聞は一見にしかずという感じなのだが、完成度がめちゃめちゃ高くてビックリした。既に連載している漫画の出張版と言われても何の違和感もない。このまま連載始まってもおかしくないのでは……。
小説(読んだ数:5冊)
特になし
映画(観た数:61本)
ハケンアニメ!(吉野耕平)
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0B6FLX43B/
2022年で一番心を動かされた映画。劇場で上映が終わった瞬間に拍手が起こったのを見たのは初めてだった。パンフレットを買いに行ったら行列ができていて、目の前でパンフレットが売り切れたのを見たのも初めてだった。そのことに納得してしまうだけの力がある作品だと思った。たぶん、これからもお守りみたいに、折に触れて見返すことになるんだろうな。
原作は未読の状態で映画を観て、その後に原作(とその続編)を読んだ。原作者の辻村深月さんは本当に大切な作家さんの一人で、中でも「スロウハイツの神様」は誇張なしに人生で一番好きな小説だ。その上で言うなら、この作品に関しては映画が原作を完全に上回っているように思った。
面白かったのは、映画「ハケンアニメ!」は原作ではなく、むしろ「スロウハイツの神様」に近い手触りの作品であったように感じたことだ。思うにそれは、当事者意識の差によるものなのではないかという気がする。「ハケンアニメ!」は言わずもがな、アニメ制作者たちの物語である。小説として描かれた「ハケンアニメ!」を、集団芸術としての映画(そして作中作としてのアニメ)の創り手が再構成したことで、そこに込められた切実さは原作よりも確実に増していた。"小説家とその小説に救われた読者"を主題とした小説である「スロウハイツの神様」に込められていたものと似た気配を感じ取ったとしても、何ら不思議ではないはずだ。
偶然と想像(濱口竜介)
濱口竜介監督の短編オムニバス。どれも良かったのだけど、一番好みだったのは三つ目の「もう一度」。物語終盤で突然涙が止まらなくなってしまって、自分で自分にビックリしてしまった。何が刺さっていたんだろう。
濱口監督は「ドライブ・マイ・カー」の作中で描かれていたような、非常に特徴的な手法での演出を行う。「濱口メソッド」と呼ばれるそれは、役者たちに台詞を"棒読み"するように指示して本読みを行い、実際に撮影する時に初めて台詞へ感情を込めさせるというもの。それもあってか、濱口作品は登場人物らの掛け合いに独特の間があるように思える。その小さなズレのようなものが、観ている内に自分の中でピタリとハマる瞬間がある。画面の中で起こっていることは変わっていないのに、こちらの感じ方がまるっきり変わってしまう。その時、自分でも想像していなかったような感情の動きが起こる。それを体感したくて、濱口作品を観ているような気がする。
メタモルフォーゼの縁側(狩山俊輔)
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0B676WG5N/
原作の雰囲気がかなり忠実に再現されている。尺の関係で全体的に再構成はされているのだけど、丁寧に整理されていて何の違和感もない。主演二人の力量も存分に発揮されていて、全体としてウェルメイドな映画だった。
作中作としてうららが初めて描いた漫画「遠くから来た人」が登場するのだけど、これが上手くない(というか下手)漫画なのに、同時にすごくいい漫画でもあると思わされるのが、かなりスゴい。作中で必要な役割を果たすために完璧なさじ加減になっている。絶妙すぎるバランス感覚だ。
ちょっと思い出しただけ(松居大悟)
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B09Y37FP7Z/
説明にもあるように、時間が逆行していくという構成を思いついたことがまず素晴らしい。破局寸前のカップルを物語の要請で再生することはできるが、それが単なるご都合主義を超えていくのはかなりハードルが高い。でも時間を飛ばすことで、結末を変えないままに、存在したはずの幸福を描き直すことができる。タイトルとの響き合いも美しい。
何より素晴らしいのが主演、池松壮亮と伊藤沙莉という二人の役者だ。時間が切り替わったのだということを、台詞ではなく佇まいや気配で鮮やかに説明してみせてくれる。人間というのは言葉以外にも膨大な情報量を放っているものなのだということを再確認するとともに、それをコントロールしてしまう役者としての技量には舌を巻く他ない。
恋は光(小林啓一)
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0B756L6KF/
秋★枝先生の漫画を原作とする映画。好きな原作が小林啓一監督の手で実写化ということで、かなり期待していた作品。
「殺さない彼と死なない彼女」もそうだったのだが、小林監督は実写化にあたって漫画的な言語表現を現実的なものにコンバートするという作業を、あえて行わないようにしているみたいだ。文字になっている時は特に違和感のない表現も、実際に口に出してみると何か引っかかるような感覚を覚えることはよくある。それを直さず、そのまま台詞として採用するのである。
そうした言葉で喋る本作の登場人物らは、やはり少し現実から離れた雰囲気をまとっているように見える。小林監督のすごいのは、段々とその違和感が無くなっていくことなのだ。次第に彼らが現実に存在しているように見えてくる。それは正しく真の意味での実写化と言えるのではないだろうか。
ごちゃごちゃ言ったが、この映画の真に素晴らしいところは女優三人がとんでもなく可愛く撮られていることです。こんなん全員好きになってしまうでしょ……。かのポンポさんも映画は女優さえ魅力的に撮れていればOKと言っていた。恋愛ものとしてこれ以上の正解はないだろう。
犬王(湯浅政明)
まさかのミュージカル。アニメなのに。しかもロック。これは間違いなく体感するべきものだったので、映画館で観られて本当に良かった。
反体制の象徴としてのロックという表現にやや古臭さがあるという点は否めないが、理屈ではなく感情の話として盛り上がってしまったので、やっぱりロックで正解だったような気もしてしまう。
ライブシーンで、まるで変身バンクのように同じカットが延々と繰り返されるという演出が何度も登場するのだけど、映像ではなく音楽にフォーカスをあてる手法としてかなり好きだった。あと実際ライブに行った時の視線に近いというのもあったりする。湯浅監督は本当にアニメがお上手だ。
線は、僕を描く(小泉徳宏)
期待よりも随分よかったシリーズ。一昨年の「サヨナラまでの30分」とかもそうだったのだが、予告と演者の並びを見てnot for meだと思いこんでしまうのは良くない。(じゃあ何で判断すればいいんだという話だが……。)
水墨画という題材に合わせてか、全体としてかなり抑制の効いたつくりで、かなり雰囲気がいい。どうしても絵的に地味になってしまう場面もあるのだけど、そこを音楽とカット割りの力でダイナミックな映像に持っていっていたのが上手いなと思った。水墨画はスポーツというよりは武道のように描かれていて、技術云々というよりは、そこで得た感覚が生き方に還元されていくという構成は素直に美しい。安易な恋愛要素を廃しているのもすごく好感触だった。途中それだけは止めてくれと祈っていたので……。
すずめの戸締まり(新海誠)
正しい、正しすぎる。物語に救いを見出しているので、押し寄せる社会的正しさの波に息苦しくなってしまった。
ドラマ(観た数:18本)
silent
放送前からかなり楽しみにしていた作品。脚本の生方美久さんは、第33回フジテレビヤングシナリオ大賞受賞者である。受賞作の「踊り場にて」を録画し忘れてめっちゃめちゃ落ち込んでいたら、いきなりゴールデンタイムのドラマ脚本に抜擢されていて目ん玉飛び出た。そんなことあるんだ……。
一話を観た時点では、いわゆる少女漫画の文脈で"その後"の恋愛ドラマをやるという雰囲気で、正直ちょっと期待外れに思っていた。でも、二話で『今好きなのは湊斗。佐倉くんは違う。好きじゃない』と言い切る紬を見た辺りで「おやおや?」となり、三話で想に対する感情を吐露する湊斗の姿を見た時点で、完全に評価を改めることになった。湊斗が抱える感情というのは、「走れ、絶望に追いつかれない速さで」(監督:中川龍太郎)で描かれたものと似ている。自分は親友の身に起きた悲劇に何一つ関与することができなかったのだ、という絶望。それは一見すれば自己憐憫のようでもあるが、その実は近しい他者の悲劇を他人事ではなく一緒に受け止めようとする無意識の表れだ。だからこそ彼は、自分の無力さに涙することができる。
恋愛ドラマはしばしば、結ばれる二人以外の人物を書き割りのように雑に扱う。一見してそのポジションに置かれている想に上述のような複雑な感情を与えることは、そうした作劇に対する何よりの反論でもあるではないか。
この物語に通底するテーマは、"言葉の不完全性"である。ろう者と聴者をテーマとして扱う物語は、障がいによるコミュニケーションの不自由さ、つまり、文字通りに愛の"障害"をどう乗り越えるかという視点に寄りがちだ。しかし、元来どのような方法を用いたとしても、言葉を介するコミュニケーションは常に不完全なものなのだ。言葉が通じることと、気持ちが通じることは全くの別物である。自分の感情を正しく言葉に乗せることも、人の言葉に込められた感情を正しく受け取ることも、決して簡単ではない。そのことを示すように、本作は視聴者の怠慢を許そうとしない。ただ台詞で説明を並び立てるのではなく、手話を用いることで必然として無音の瞬間を幾度も作り出し、画面から能動的に何かを読み取ることを強制するのだ。時に人は、言葉ではなく動きや表情でこそ雄弁に語るものである。それは視聴体験でありながら、常として行う現実の対話そのものなのだ。傑作。
主題歌である「Subtitle」(Official髭男dism)も、そのテーマを正確に捉えた素晴らしい歌詞で、タイアップソングとして白眉の出来。
初恋の悪魔
坂元裕二脚本の新作ドラマ。いつものごとく会話劇かと思いきや、かなりコメディ・ミステリーに寄った進行で、少し驚いた。カルテットにも少しそういう要素はあったが、こちらはより一話完結型だ。
序盤は正直どうなんだろうな~と思いながら観ていたが、中盤以降で本筋の回収を始めてからはかなり良くなったので、安心した。
明らかに物語のギアが変わったなと感じる話があるのだが、それが満島ひかりの登場をきっかけとして起こっている(厳密に言えば少し違うが、そういう風にも見える)ことにめちゃ笑ってしまった。そんなあからさまにやっていいんだ。坂元裕二という男、あまりにも満島ひかりが好きすぎるだろ。
僕の姉ちゃん
肩の力を抜いて楽しめて、じんわり良かった。話している内容は基本くだらないのだけど、何となく腑に落ちるような要素が含まれていたりして、気持ちがいい。会話劇で同じことを繰り返しているように見えるのだけど、ゆっくりと確実に変化は起こっていて、それがふとした拍子に表れた瞬間、すっと泣けてしまうこともある。すごく丁寧に作られている作品だと思う。
空白を満たしなさい
柄本佑、鈴木杏、阿部サダオという素晴らしい役者の芝居を存分に味わうためのドラマ。物語として、死から蘇った"復生者"というフックや、ミステリーあるいはサスペンス的な推進力も勿論あるのだが、やはり肝は芝居だ。自死を扱った作品では必ず注釈が付されるが、このドラマに関しては、たしかに引きずられる人も出てくるかもしれないなという恐ろしさがあった。重苦しい感情の波にあてられて、毎話見終えた後は疲弊してすぐには動けないほど。だからこそ、最後に示される光がより輝いて見えるのだけど。
妻、小学生になる。
前に原作を1,2巻ぐらい読んだことがあって、あまり刺さらなかったので以降は特に触れてこなかった作品。ドラマ化は設定的にかなり無理があるのでは……?と思い、怖いもの見たさで覗いてみたら度肝を抜かれた。
もう細かいことは全部置いておいて、主役である小学生・白石万理華を演じる毎田暖乃さんという天才役者が、ちょっと凄まじすぎる。10歳(中身は中年女性)というかなり厳しい設定の説得力を、彼女がその卓越した演技力だけで担保している。夫や娘が彼女を妻(あるいは母)として扱うというのは、漫画ならともかく実写にしてしまうとグロテスクな画になりかねないはずなのだが、毎田暖乃さんの芝居によってごく自然なものであるかのように見えてくるのだから、異常という他ない。今後も目が離せない役者の一人。
エルピス—希望、あるいは災い—
いわゆる社会派作品に分類されるのだろうが、バランス感覚の素晴らしさに舌を巻いた。エンタメ性とメッセージ性、そのどちらも犠牲になっていない。単純な勧善懲悪という枠には収まらない、しっかりと地に足のついた実在性を生み出すことに成功している。(近年では、テーマ的に近しいところのある「アバランチ」(監督:藤井道人)、実在の事件に構想を得たという点が重なる「罪の声」(監督:土井裕泰/原作:塩田武士)もそうであった)
そのキモは、やはり登場人物造形の巧みさだろう。登場人物は多いが、その誰もが一面的ではない描かれ方をしている。中でも特筆すべきは、主人公である二人(浅川恵那・岸本拓郎)が、一見すると直向きなようでいて、常に迷い続けていることだ。周囲に流されず真実を追い求めることには、当然のように様々な困難がついて回る。しかし、彼らはそれらの一切を払い除けることが"できない"。そうするために必要な人間的な強さも、社会的な権力もないからだ。だから抗おうとしては挫け、受け止めようとしては折れる。それは、どこにでもいる普通の人間の姿で、彼らとはつまり私たちである。だからこそ、彼らが少しずつでも前へ進んでいけることを願ってしまうし、こんなにも心打たれてしまうのだろう。主演二人は勿論のこと、バイプレイヤーも含め役者陣の芝居が軒並み素晴らしい。一筋縄ではないテーマをしっかりとまとめ上げ、納得性のある結末まで持っていった手腕は見事の一言。
やはり色々と難しいテーマを扱うからだろう、聞くところによると、このドラマは企画から実現までに6年を要したとのこと。その執念が作中で描かれるメッセージと強烈に共鳴しているのも、何やら運命的ではないか。
アニメ(観た数:2本)
ぼっち・ざ・ろっく!
作品を構成するありとあらゆる要素から、制作陣のものすごい熱量を感じる作品。実験的な演出も含め、アニメーションとしての原始的な観る快感に溢れていること。それ単体で説得力を担保できる強度を持った楽曲をいくつも用意してきたこと。大切なことは全て台詞ではなく画と音で表現するということ。やはり物語とは筋ではなく魅せ方なのだということがよく分かる。どういう経緯で、こんな作品を生み出すことができたんだろう。
元々は特に観る予定はなかったのだけど、作詞として全面的にヒグチアイ(樋口愛)さんが入っていること、最終話のタイトル「君に朝が降る」(これを含めタイトルは全てアジカンの楽曲からの引用であることは後から知った)にどうしてか目を引かれたことで、放送が終了した直後に全話を一気見した。途中で気づいたのだけど、シリーズ構成は「恋せぬふたり」の吉田恵里香さん(!)で、今になって振り返ってみれば、むしろ観ていなかったことが不思議ですらある。アニメに対するアンテナの低さを痛感した。
これは常々考えていることだけど、作品の中には最初から全部があって、それらを取りこぼさずに言葉にすることは、やっぱり不可能なんだと思う。なるべくその劣化が小さくなるように、努力はするのだけど。この作品は、そうしてこぼれ落ちてしまうものが特に多い作品の一つだと思っていて、だから却って何も言うことができず、そのことがとても歯がゆい。
とにかく観て欲しい。そして本PVを観て、アルバムを聴こう。
舞台(観た数:22本)
10月にひどく体調を崩していた影響で予定していた舞台を2本観に行くことができず、非常に無念な思いをした……。体調には気をつけましょう。
<1/22> ロロ「ここは居心地がいいけど、もう行く」@吉祥寺シアター
劇場へ足を運ぶようになってからは、ロロの公演は欠かさず観るようにしている。ロロは高校演劇のレギュレーションに沿って作られた「いつ高」という人気シリーズ(昨年完結済)があり、今回はそこから高校演劇の制約を取っ払って作られた本公演版の「いつ高」にあたる作品だった。
もう観たのが一年近く前になるので、今から何かを言葉にするのは流石に難しいのだけど、個人的にはダントツでロロの最高傑作なんじゃないかと思ったし、きっとずっと心の奥の方で残ってくれるような公演だった。
観た後に行った吉祥寺シアターのすぐ近くにある鶏肉の居酒屋、すっごくよかったな……。
<9/2> マームとジプシー「cocoon」 @彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
初めて観に行った劇団だったけど、すっごく良かった。その①
主要な登場人物がかなり多くて、しかも舞台には珍しく服装も揃いになっているので、相当頭を働かせて観る必要のあるハイカロリーな舞台だった。それでも、短い時間でギリギリこちらの頭に入り切るよう演出はかなり考えられている感じはあり、うまいな~と感心しきり。あと、言葉で説明するのが難しいのだけど、セットとして用いられている木枠や衝立を芝居をしながらリアルタイムで組み替えていくという演出が使われていて、演劇ってそういうのもありなんだ……となった。教室、廊下、校庭と目まぐるしく場面が移り変わっていくのは、かなり新鮮な体験だった。
<9/22> 劇団た組「ドードーが落下する」 @KAAT神奈川芸術劇場
初めて観に行った劇団だったけど、すっごく良かった。その②
友人が精神の病に苦しんで……という物語は山のようにあるけど、友人が失調したのは"病を患ったから"ではなく、"出会った時から隠していた病を抑え込めなくなったから"だった、というパターンは初めて出会った。つまり、変わってしまった友人に「あの頃に戻ってくれ」と声をかけたくても、実は"あの頃"も今と同じように病を患っていたわけで、じゃあ今まで友人だと思っていた姿は何なんだ、という。その構造自体にかなり衝撃を受けたし、感心してしまった。すごい発明だ。
その苦しみをずっと見逃し続けていた自分への無力感とか、打ち明けてくれなかったことへの哀しみと憤りとか、なんか色々思い出してしまって、家に帰ってから動けなくなっちゃった。
<9/23> イキウメ「天の敵」 @本多劇場
初めて観に行った劇団だったけど、すっごく良かった。その③
開演した瞬間にいきなりステージ上で3分クッキングが始まってめちゃめちゃ笑った。パントマイムではなく、"マジ"の調理をしている。メニューはゴボウのバルサミコ酢炒めと、豆腐と発芽玄米の混ぜご飯。流石に劇場の客席で料理の匂いを嗅いだのは初めての体験。やっぱり届きやすいように酢とゴボウが選ばれたのかな~とかぼんやり考えていた。
本筋は割愛するけど、純粋にエンタメとしての面白さとしては今年一番の舞台だった気がするので、次の公演も絶対いきたい。
ライブ(行った数:38本)
舞台と同じく、体調を崩していた影響で4本参加することができず、非常に無念な思いをした……。来年の抱負は「健康」です。
<7/22> the band apart @豊洲PIT
ステージ上にいるオッサン達がみんな本当に楽しそうに演奏していて、それだけで何だか嬉しくなってしまった。あれは、オッサン達の未だ終わらない青春をおすそ分けしてもらう場なんだな。
観客も皆リラックスして楽しんでいる感じで、すごくいい雰囲気。ライブって予習だ何だって色々と準備を気にしたりしなかったりするけど、ここはそういう細かいことは一切気にしなくて良さそう。極論、もし知ってる曲が一つもなくても十二分に楽しめるんじゃないだろうか。
<8/5> YMB/グソクムズ/阿佐ヶ谷ロマンティクス @下北沢BASEMENTBAR
YMBの新譜「Tender」のレコ初ツアーだった。(後ろ2バンドはゲスト)
出演している全員が一度ライブに行ってみたかったバンドという奇跡のようなイベント。特に主催のYMBに関しては、演奏される歌の全部が本当に、本当に好きで、一瞬で時間が過ぎてしまって、何だか夢みたいだった。これから何度もライブに行きたいし、行くべきバンドだと思った。
ライブ2ヶ月後の10月、YMBが年内で活動休止になることが発表された。正直、突然のことに数日間何も考えられなくなるぐらいショックだったし、どうしてこんなタイミングで好きになってしまったんだとも思った。それでも、やっぱり彼らに出会えたことは幸運で、これからも何度だって聴いてしまうし、いつか来るかもしれないその日を待ち続けてしまうのだと思う。
<10/18> KIRINJI @渋谷CLUB QUATTRO
ライブの一体感って、別に皆で揃いの動きをしたりすることではなくて、同じような気持ちでただ音を楽しむってことなんですよね。今年行ったライブの中で、一番それを強く感じたライブだった。フロントマンの振る舞いって本当に個性が出ると思うのだけど、高樹さんは基本こちらを煽ったりせずに、お好きにどうぞと委ねてくる感じ。実際、観客それぞれが好きなようにノっていて、でも同じように楽しんでいて、ただ自由で心地良かった……。
KIRINJIはそのメンバー含めて何度も体制が変わっていて、今は堀込高樹さんのソロプロジェクトになっているので、今回のライブは本人を除いて全員がサポートメンバーという扱い……なのだが、そのメンバーがとんでもなく豪華で、プレイのレベルがハチャメチャに高い!!
いい演奏でいい音楽を聴けば、それは良いに決まっている。グッドミュージックという柱がしっかりしているからこそ、あれだけ体制変更を経ても変わらずに続けていけるのだなぁと、改めて納得させられた感じがある。
<11/26> エルスウェア紀行 @LOFT HEAVEN
もしかしたら最近で一番好きかもしれないバンドの、二度目のワンマン。なんかもう最初から多幸感でいっぱいになってしまっていたのだが、いきなり完全新曲を三曲もブチ込まれて完全に感情が終わってしまった。急に三曲……? そんなことがあっていいのか……?
特にお気に入りだった一曲「あなたを踊らせたい」は、KIRINJIのライブに触発されて作った(Baの千ヶ崎さんが共通のサポートメンバー)と話していて、何だかすごく納得感があった。本当にいいライブをしていたので。早く新曲の音源版も聴きたいし、既に次のワンマンが待ち遠しくなっている。
あとサポートGtのqurosawaさん、もんっのすごく楽しそうに弾くし演奏が半端なくかっこええので、ライブ中に本メンバーを差し置いてめちゃめちゃガン見していたりしたのだけど、別の現場(<12/8> Pii @渋谷WWW)で何かGtに目がいくなぁと思ったら、ご本人だったということがあった。もしかしなくても、完全にファンになってしまったのかもしれない。調べたところによるとTWEEDEESとかもやってるらしいし……。
<11/27> 坂本真綾 @東京国際フォーラム ホールA
謎に日和って昨年行われた25周年記念ライブ「約束はいらない」に行かなかったことを死ぬほど後悔していたのだけど、今回のライブに行ったことで、その想いを含めて全てを成仏させることが出来たような気がする。
個人的に、ライブはホールよりもライブハウスの方が好きだ。音の振動が身体に響いてくる感覚含め、あの空間で肌感覚として伝わってくるものは、いつも新しい魅力を発見させてくれる。ホールライブは好きなことの確認に終わってしまうことが多くて、今はなかなか発見にまで辿り着けていない。
それでも、今回のライブに関してはホールで、ホールが良かったと、たぶん初めて強く思えた気がする。演奏は勿論のこと、照明や映像などのステージ演出が、本当に素晴らしかった。一曲目の「菫」、ステージ奥のスクリーンに投影された"街を左右へ行き交う人々の影"に、演者を前から照らすライトが作り出した影が重なっていて、その光景と歌が交差した瞬間、何だか全部が奇跡みたいに思えてしまって、涙が止まらなくなってしまった。
たぶん坂本真綾さんの楽曲で一番最初に出会ったのは、ループ(「ツバサ・クロニクル」ED)だった。当時ツバサの原作を近所に住んでいる兄ちゃんに借りて読んでいて、CDも借りて聴いていたような気がする。
義務教育半ばで自我が目覚めて自分の好きなものを集め始める時期というのは誰にでもあると思うのだけれど、そうやって最初に聴き始めたのが茶太さん、霜月はるかさん、eufonius(riyaさん)、坂本真綾さんだった。
MCで、今回は25周年ライブの補完になるようなセットリストというようなことを話していて、とりわけ多く選ばれていたのが「かぜよみ」というアルバムの歌だった。全体として随分久しぶりに聴いた歌も多かったのだけど、それでも全部の曲が頭の中ですごく自然に響いていた。今のサブスク生活とは違って、何度も何度も、自分に染み込ませるように聴いていたものばかりだから。当時はこうして何の躊躇もなく色々なところへ行けるような自分なんて全くイメージできていなかったし、それでもどうにかこんなに遠くまで生き延びて来られたんだなと、何だかすごく感慨深い気持ちだった。
もうあの頃から随分時間が経った。好んで聴く音楽もだいぶ変わって、今の自分に深く結びついて切り離すことのできないアーティストを選ぶとしたら、aiko、KIRINJI、土岐麻子さん、そして坂本真綾さんになるのだと思う。こうして改めて考えてみると、本当に好きなものとして自分の中心に最も長い時間在り続けている音楽は、坂本真綾さんの楽曲ということになるのかもしれない。え、そう、そうなのか……。今これを書く瞬間まで自分でも全く気付いていなかったため、今更衝撃を受けている。
もしかして坂本真綾さんの歌、すごく好きなのかもしれない……。
ゲーム(やった数:7本)
Detroit: Become Human
文字通り"掛け替えのない"プレイ体験を提供してくれる傑作ゲーム。ジャンルとしてはADVになるのだろうが、感覚的には展開に介入できる映画を観ているというのが一番近いかもしれない。分岐が信じられないぐらい細かくて、まるで自分自身が物語を創り出しているような感覚になってくるのだ。
寝る間も惜しんで続きをプレイしたくなったゲームは本当に久しぶりで、エンディングを迎えてしまってからしばらくはデトロイト・ロスになってしまった。本当に素晴らしい作品なのだが、その性質から一度しか(少なくとも同じ熱量では)プレイすることができないのは、難点でもある。記憶を消してもう一回遊びたい……。
本作にはQTE(クイック・タイマー・イベント)というものがある。簡単に言えば流れていくアクションシーンに合わせて正しいボタンを押すミニゲームなのだが、結構シビアな代物で、考えるというよりは反射的にボタンを押すことを求められるケースが多い。
これが中々面白いギミックで、あるシーンでQTEをこなしていたら、維持分でも後悔するような展開へ進んでしまったことがあった。別に騙されたというわけではなく、そのボタンを押した結果どうなるのかを、焦りから正しく判断できなかったのである。人は落ち着いて考えることが出来なければ、自分でも考えられないような致命的な間違いを容易に引き起こす。言葉にしてみれば当たり前のことではあるのだが、それがゲームシステムとして組み込まれ、目の前で可視化されたことがかなり印象的で、記憶に残っている。
Inscryption
ゲームの性質上、あまり多くを語れないのが悩ましいのだが……正直に言ってしまえば、流石にそれはどうなんだという場所に着地するゲームではあって、手放しに褒めることはできないというのが、率直な感想ではある。
それでも、そこに至るまでの過程で生み出されるとてつもない没入感はちょっと類を見ないレベルに深く、間違いなく傑作だったとも思ってしまう。
すごく評価の難しい作品。
グノーシア
https://store.steampowered.com/app/1608290/GNOSIA/?l=japanese
Vitaで発売された時から、ずっと遊びたくて遊びたくて仕方がなかったゲーム。ハード問題のないSteamで発売して、やっと念願が叶った形だ。
説明にも書かれている通り"人狼"ではあるのだが、実際に遊んでみた感想としては、これは人狼とは全く異なるプレイフィールのゲームだった。
人狼は勝ちを突き詰めるなら、感情のノイズに惑わされないよう確率論に文字通り殉じ、少しでも分のいい賭けを選び続けることで、自分の勝率を1%でも上げることができるかを試されるゲームだと思っている。つまり、参加者全員が合理的にゲームを進める、少なくともそれを目指して行動するという前提が共有されているゲームだ、という意識があった。
しかし、グノーシアは全く違う。登場人物らはしばしば、というかほとんどの場面で、非合理的な行動をとるからである。考えてみれば当たり前だ。人狼を合理的に進めることができるのは、自分の命が懸かっていないからだ。誰しも自らの命が懸かっている状況で、感情を切り捨てて判断し続けるなんて不可能だろう。当然のように好き嫌いやこだわりに影響されるはずだし、自分を殺すのが一番効率的なのだから殺せなどと言えるわけもない。
だから、人狼のセオリーを当てはめようとしても、上手くハマらない。
登場人物らには個別のパーソナリティが設定されていて、そうした彼らの根幹は人間側である時とグノーシア(狼)側である時で変化しない。変わるのは立場だけだ。だから、このゲームで目指すべきは登場人物らの個性を分析することだ。つまり、人読みを突き詰めていくことこそが攻略の鍵となっているのである。(実際には、それに加えてゲーム的な育成要素もある)
題材とは真逆とも言えるものが攻略法になる。人狼ゲームが現実に行われるとしたら、という思考実験としての面白みがあった。
まとめ
終わっっっった。本当に今更だけど、一年の終わりに一年分の感想書くの、無理がないか? いや、今までも毎年思ってたけども……。
来年は本当にやらないかもしれない。本当に!