和声学とコード理論の違い
クラシックの和声学には「コード」という概念が無いのだそうです。
【追記】説明不足のため後日書きたいと思っています。
どちらにも通じている専門家の方から聞きました。
IIか IImかの違いじゃないという…
これがどういうことなのかは和声学を学ばないと分からないのでしょう…
漠然とアウトラインをたどれる記事ありました。僕が和声学を知らないので、というよりあの膨大な演習問題を解いていない…の方が合ってますかね(すみません)適切か判断できかねますが…紹介します。
こういうところにも、自らの触れている世界だけに頼って音楽を語る危うさが潜んでいるように思います。
他の立場の人にはどう見えているか?
どういうコンセプトなのか?
その違いを楽しむ態度で深めたいものです。
シェーンベルクが著した「和声法」のはしがきで
「四声体をある程度の能力で自由にコントロールをできない者は(中略)ただちに音楽をやめるべきである。」
って書いてあったの思い出した。
シェーンベルク先生も大変だったんだな…😊
なお、シェーンベルクの「和声法」は独自の内容らしく、いわゆる藝大和声を学んだ方が良さそうです。
僕は IIの和音を最初にIIm7と記した人って天才だと思うんです😊
日本語Wikiでは
バークリーの教授Jerry Gatesは「コードネームはファーディ・グローフェとジェリー・ロール・モートンにより発案されたと聞いている」と述べている
まではわかります。勿論一つの説ですね。
なんでこんな事を気にするのかと言うと多くの階名唱法(移動ド)の本はクラシック由来だからなんです。
旋律やバス、内声の動きに対してアプローチしているのかなって。
背景にあるコンセプトを垣間見た方が言ってる事がより理解できそう。
僕らがやってるコードで捉える音楽にどこまで適用できるのかな。
バークリーではそのあたりをどう捉えてどのように教えているんでしょうね。これも行かなきゃ分からないやつですね。
(蛇足)こんな事よりも、リズムをいい感じで一体感のある演奏を心がけたり、コード感がきっちり出る奏法(手や指の使い方)を身に付けたり、音源をチェックしたり、遅刻しないとか、メールやラインの返信の方がずっと大事だと思います。 和声学はやんなくても大丈夫♪でも興味あるんです😊