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恋愛離れは時代のせい
「最近はもう現実の恋愛は興味ないからとりあえずただイケメンに会いたい」
「それめっちゃわかる。恋愛興味ないよな、田中圭見てるだけで人生幸せ」
ここだけを切り取ると、どこのバカふたりの会話やねんってなるけど、実はこれ、わたしと妹のついこないだのLINE。
わたしの場合は年齢と環境がこうさすんだろうって勝手に思ってたけど、さすがにまだ学生の妹もそう言うのならばやはり時代の流れもあるのかと思いはじめた。
最近はもっぱら若者の恋愛離れが問題視されているけど、わたしは情報過多という時代の流れがそうさせていると考えている。
ありふれた情報のおかげで、せいで、
*ひとりの時間も苦痛じゃない
*影響を受けとりやすい
*見なくていいものも見えてしまう
*疑似体験ができる
これが間接的に恋愛離れを促進していると思う。
まず、①ひとりの時間が苦痛でないということ。
以前からもあるテレビやラジオなどに加え、いまやSNS、ストリーミングサービス、サブスクサービスなど さ ま ざ ま な 娯楽がある。
また、YouTubeなどの動画投稿サイトでは(本当は違法だが)テレビやラジオなどを録画されたものが一般人によりアップロードされている。テレビとハードディスクで事前録画を設定していなくても、いつでもどこでも、いつまでも、自分の好みの番組が見続けられる。
加えてSNSもたくさんあり、これらは用途別で使い分けていることが多いので飽きない。
例えばわたしの場合だと:
*本垢Twitterは映像クリエイターの方々と動画を語り交流をつくる場所。
*裏垢Twitterは文字を面白おかしく組み合わせていわゆる「リア友」に日常を発信する場所。
*インスタは、「SNS映え」するだけの写真を投稿して承認欲求を満たすためのプラットフォーム。
*Noteは自分のクリティカルな思考やその論理を頭いい経営者ぶって発信するところ。
様々なプラットフォームでいろんなお面を被って活動できるので、各SNSを手のひらサイズの機械の中でぐるぐるとロテーションする。
好きなYoutuberの動画をみているあいだに新しく投稿されたInstagramの写真をみて、YouTubeとInstagramをみている間に投稿されていないかTwitterのタイムラインを更新する。そこでみたツイートの影響でAmazon Primeのある番組が気になり、その番組をみているあいだに投稿されたNoteを読みにいく。
まだひとつずつならいいのだが、わたしたち世代とそれ以降は、Youtubeで動画を見ながら指はNoteやTwitterのホーム画面をひたすらスクロールしていることだってよくある。(時短)
ここまでエンターテインメントや暇つぶしの過ごし方があると、マルチタスクで忙しい程で「ひとり」という認識があまりない。リアルタイムで更新されるし、もはや同じ空間にいながら、めんどくさい気遣いとかは省ける好環境なのだ。
つぎは、②影響を受け取りやすいということ。
ここはあえて、受けやすいではなく受け取りやすいと言いたい。受動的な受け取り方ではなく、もう無意識に流されている感覚。
とにかく目に触れる情報が多い、、しかも最近はAIなどの発達で、ユーザーのドツボを押すように個々の趣味嗜好にあった情報を提供される。
そういう狙いで作られた計算式なので、当たり前のようにはまりにはまっていく。新しい趣味にも出会いやすいし、知識として得たいと思うものはとことん勉強できてしまう。
私もスクールには行ってるものの、編集のことで調べることが毎日のようにあるし、無限に情報がネット中に落ちている。気づいたらリンクをホップステップジャンプしまくり、1、2時間経ってることもよくある。
最近は不景気からなのか、社会が寛容的になったからか、なんとなく副業をするひとが多い気がするが、本業とは別で必死に空き時間見つけて副業をしているわけだから、それにプラスで恋愛に割く時間と体力は残っていないのだ。
ここからはやっとジェネラルは話ではなく、もっと恋愛にしぼった話をする。
親世代はよく、気になるあの子の家電話にかけるときにドキドキしたという錆びた青春あるあるの話をする。いまはみんなが携帯をもっていうのでみんながSNS上でつながっている。 家電(いえでん) にかけて家族のひとが電話に出るかもという恐れはないが、逆に③見なくていいものも見えてしまう状況にある。
極端に違わなくても、誰もが持っている「現実での自分」と「ネット上の自分」。普段対人であればくちにしないことだって言えたりする。(悪口とかの話ではなく、ジョークとかいわゆる「ネット語」みたいなこと。)
その相手バージョンの「ネット上の彼」も知れちゃうのがいまの時代。(ちなみに、わたしはクレバーにうまくいえてると感じる投稿だったり、「くすっ」と笑わせえうような投稿ができるひとが好みです。) SNSは(だいたい)自己満足で完結すものだからこそ、その人の趣味や考え方、人間のとしての面白さのバロメーターとしても活用できると考えている。
こうしてわたしたち世代は「ネット上の彼」も好きかどうかの評価対象になってしまう。SNSがなければデート中の彼だけで見定めをするところ、いまの情報社会では会っていなくても24時間常に審査され中なのだ。
また、違う観点の「見たくないものも見えちゃう」というのは彼の私生活が120%丸出しだということも含まれている。
(ただの幼馴染の)女の子と2人でご飯を食べてる様子、(男3女3の6人旅だけどたまたま買い出しいった彼と)女の子の買い物姿、(職場の悪い風習のせいでしょうがなく渡してくれている)女性部下からのバレンタインチョコの写真。
当たり前のように (カッコ内) のことなんて知らないので、こういう投稿を見たら落ち込むし、なにか自分を意識させるような写真を彼が載せてたらすこし心が躍る。
でもこれが毎日当たり前のように見えてしまうのだから、いっかいいっかい一喜一憂してたら躍る心も疲れてしまう。よって「めんどくさい」の感情が勝ってしまう。
そして最後に、恋愛をしなくてもありふれた情報の中で④疑似体験ができる ものも含まれているということ。これのおかげ(?)で錯覚を起こし、現実では恋愛をしなくてもいいという気持ちになる。
アメリカでは以前から主流だが、日本は最近特にリアリティ恋愛バラエティーが流行っている。テラスハウスは世界的に名が知られ、Amazon PrimeやAmeba TVでも大ヒットシリーズが多々ある。
これらのストリーミングサービスによって自分自身で恋愛をしなくても、じゅうぶんにキュンキュンやドキドキを味わえる構図になっている。
わたしが特にシーズン1から沼ハマりしているのが、「恋愛ドラマな恋がしたい」というAmeba TVのシリーズ。たしかいま放送中なのはシーズン5だ。
俳優・女優の卵たちが恋愛ドラマを演じたら恋に行方はどうなるのかというのをドキュメントする天才番組。
オーディションではもちろんチューはしないので、主演を取ったペアだけが実際にドラマ撮影中にチューができる。 キスのために意中の彼(彼女)とペアを組んで一緒に頑張るのか、主演を取るために演技経験の豊富な彼(彼女)とペアを組むのか。恋愛感情と俳優魂の葛藤も見所のひとつだ。
もともと演技×撮影が好きな私にとって、オーディション風景や撮影現場が見れるのはたまらない。そして、なによりオーディションでキスシーンを演じているときにキス寸止めの状況。普通うううに非日常すぎてドキドキする。
実際どれぐらいつくり上げられているものかわからないが、ペア決め後、オーディション合格後、本編ドラマ撮影後などに出演者のインタビューカットが入る。いま誰が気になっているかやなぜオーディションでその相手を選んだか、などの出演者の気持ちを、とっている行動と横並びで視聴できるので世界観に没頭しやすい。
本当に疑似体験がしやすく、わたしもテレビに向かって叫んでいることがよくある。ここまでリアル(っぽく)描かれている恋愛を見れるなら自ら無理して恋愛する必要もないだろうとさえ思ってしまう。
以上4つがわたしが思う情報過多と恋愛離れの関係性だが、これらの全てが有料コンテンツなら話はすこし違っていたのではないだろうか。ありがたいことにこれらは全部「ただ」「無料(ただ)」「FREE(ただ)」なので交際費もバカにならないこのご時世、お金もかからないということが決定打としてますます恋愛への興味を薄れさすのだ。
ここまで力説しといてなんだが、恋愛なんてしたほうがいいに決まっている。
相手との喧嘩の仕方(ものの言い方)、他人と生活するにおいての擦り合わせ方(妥協点など)、恋人付き合いと友達付き合いのバランスの取り方など、血の繋がっている家族や、さほど距離が近くないシェアハウスでは経験できない対人関係が経験できる。
わたしはこれを学生の間に経験でき(なんならほぼ同棲まで経験させていただいた) 恋愛だけに限らず全ての人に適応する、人との関わり方を学んだ。だから正直心配なのだ。せめて妹には学生時代まではいい恋愛をしてほしいなという姉の気持ちである。
もうこうなると、コミュ力の欠如→(ネット上の)情報過多→恋愛離れ→コミュ力の欠如 なのか 情報過多→コミュ力の欠如→恋愛離れ→の情報過多 なのか わからなくなるが、この無限ループがこれから加速していくことには間違いないだろう。
そしていざ恋愛できたところで浮気も不倫もされるんでしょ!(拗)