未知なる探求・淵|Underground Rap 上級編
さてさて遂にやって参りました。
真に私を構成しているといっても過言ではない領域。ヒップホップが誕生した瞬間というのは、薮で鳴く蚊の囁きのようなもので、それはそれは静かな起居動作でありました。その"地下性の美学を通じた文学的かつ比喩的な特徴"を余すことなく受け継ぎ、独自の自己表現として自身のアイデンティティを確立している彼らの魅力に、私は感動すら覺(おぼ)えます。
Underground Rap 上級編。この記事を読み、空漠たる未知の世界へと足を踏み入れようではありませんか。
(※アルバムのリンクはジャケットをタップ)
1 . Alias - The Other Side of the Looking Glass
Deep Puddle Dynamicsの一員としても知られているポートランドのMCが、2002年にリリースしたデビューアルバム。
1998年12月から2001年10月にかけてスタジオでレコーディングされたという今作は、HIPHOPという音楽の深遠を探求する作品だ。幽玄なマイナーコードが全体を包み込むように、リスナーを静寂と不安の狭間へと誘う。ドローン音楽の持つ持続的な音像は、まるで一寸先すらも見えない漆黒の海底で静かに揺れる波紋のように、聴くものの心を揺さぶる。暗然なサンプルもこのアルバムの核となる要素であり、過去の記憶や断片を拾い集め、それを音のキャンバスに描き出すことで、時折ノスタルジアを感じさせている。幽玄でありながらもどこかアグレッシブで、暗然でありながらどこか美しい。このアルバムは、HIPHOPのみならずあらゆる現代音楽の可能性を探る探求者たちにとって、必聴の作品だ。
(- エイリアスことブレンドン・エイリアス・ホイットニーは2018年3月30日、心臓発作により、41歳の若さでご逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。)
2 . Anonamix & Absoulut Karnage - The Others
アブソルート・カーネイジが生まれ育ったイーストハートフォードは、長閑(のどか)な街並みと、どこか懐かしさを感じさせる風景が広がる場所だ。そんな静穏と対比を成す今作は、90年代の黄金期を彷彿とさせるビートの上で、感情の激流が渦巻くハードコアラップ。豊富なサンプルが、アノナミックスによる巧みな技術で編み込まれ、私たちを現代と過去の歪(いびつ)な境界へと引き込んでいく様は、まるでイーストハートフォードの古びた路地裏を歩きながら、時代を遡(さかのぼ)っているかのようだ。その街の長閑さとは対照的に、鋭利な言葉を並べたリリックには深い感情が込められており、表面的な過激さの裏にある真実を感じ取ることが出来る。自らの過去を実直に語る様や、そこに付随する感情的要素に心を揺さぶられる至高の一枚だ。
3 . Avantdale Bowling Club - Avantdale Bowling Club
Avantdale Bowling Clubが2018年にリリースした今作は、ジャズ・ラップの新たな美学を切り開く、史に残る大名盤だ。生演奏による音の深みが、他の作品では感じることができない独特な静謐(せいひつ)さを漂わせる。ブラックミュージックの伝統と情感を巧みに織り交ぜながら、現代のLoFiな質感を取り入れ、モダンジャズの一翼を担うとともに、まるで画家が精妙な筆さばきで描く絵画のように、美しく複雑でありながら、聴く者を克己の境地へと導いてくれる。リリカルな歌詞とともに、音楽が紡ぎだす物語は絢爛(けんらん)たる色彩をもちながら、*¹耽美(たんび)主義をも感じさせると同時に、MCであるトム・スコットの内面の探求が、そのまま音楽という形で表現され、その過程で見えてくる人間の弱さや美しさが、このアルバムの最大の魅力なのだ。今作はHIPHOPという枠を超えた普遍的な美しさを持ち、まさに現代ブラックミュージックの最高到達点といえるだろう。
4 . BEATAHOE & Boxguts - Apocalyptic Hunger
このアルバムの舞台は2015年当時から見た未来で、ヒップホップが激しい競争社会となり、アーティストたちが生き残るためにお互いの命を奪い合うようになった世界線がテーマなのだが、その”未来”というものが今現在のヒップホップシーンであるということは最早言うまでもない現実である。物質主義に屈し、男は自らをギャングスタと偽りながら撃ったことのない銃を構え、女はセクシャルかつ下品なリリックで自らをB**chだと囃(はや)し立てる。そんなカオス的状況だからこそ、この作品は確実に聴かなければならないのだ。プロデューサーのビータ・ホーによるサイケデリックな要素を含んだ*¹ホラーコア・ヒップホップはまるで地獄から²唧唧歎歎(きっきたんたん)と響く呻吟(しんぎん)であると同時に、現実と幻想の狭間で揺れ動く心象情景を巧みに描き出し、MCのボックスガッツによるハードコアなリリックが剣難たる現境と社会的な絶望に対して不退転の決意を突き立ている今作は、誠に現代版黙示録である。
5 . Cas One Vs Figure - So Our Egos Dond Kill Us
ある音楽が、ジャンルの垣根を超え、無限の可能性を探る時、その音は新たな次元の扉を開く。今作は、ヒップホップとEDMのエネルギー、機械的な精密さを融合させた類いまれなる傑作であり、そのオルタナティブな音像には畏敬(いけい)の念を抱かざるを得ない。トラックやビートに重心が傾いているようにも感じる一方で、政治的なメッセージが時に鋭く、時に柔らかく響き渡り、自己表現とアイデンティティの探求がテーマとして浮かび上がっている。その政治的な視点と個人の内面が交錯する中で、MCのキャス・ワンとDJのフィギュアーは自らのアイデンティティを、リリックとビートに描き出しているのだ。トラックの一つ一つがその探求の一部であり、彼らが創り出した旅路の中で、私たちは新たな発見を見出すことができるだろう。
6 . Cult Favorite, A.M. Breakups & E L U C I D - Sway, Masses
今作はまるで、リルケが語る”芸術の恐ろしさ”をそのまま音に変換したかのようだ。哲学的で不条理な世界観が、暗然なビートと交錯し、聴く者の意識を震撼させる。エクスペリメンタルな試みが随所に散りばめられ、その主観的な表現が、この作品をヒップホップ史における一つの特異点として確立させているのは言うまでもない。非物質主義的なオリジナリティを追求し、既存の連続性を断絶させ、*¹マルクス主義的な暗喩が巧妙に織り込まれたリリックによる資本主義社会への鋭い批判が、エーエム・ブレークアップスの内向的で陰鬱なサウンドとともに、現代アート的な感覚で提示されている。
アーマンド・ハマーとはまた一味も、二味も違った、まさに”カルト的”デュオであり、包括的な視点で捉えられた世界観は、私たちに訝(いぶか)しむことを強要し、現代社会の闇を漠然と照らし出す。もはやこのアルバムは、音楽だけに留まらない一つの芸術作品として、我々は認識しなければならないのかもしれない。
7 . Dälek - From Filthy Tongue of Gods and Griots
先日、1,998年にリリースしたデビューアルバムに6曲のボーナストラックを追加したリイシュー盤を発表したことで話題になった、エクスペリメンタル・ヒップホップの重鎮、ダーレクが2002年にリリースした二作目。
90年代の東海岸で鍛え上げられたハードコア・ラップに、シューゲイザーやインダストリアルの影響が色濃く反映された作品は、従来の基盤的音楽と実験的音楽を同時に尊重することで、相容れることのない双方の橋渡し役として鎮座している。意図的に曖昧にした、詩的抽象表現とは一線を画したスタンダードなリリックは、ヒップホップ・カルチャーが築き上げてきたテーマに真正面から釘を刺しているようにも捉えられるだろう。混沌と秩序が絶妙に交差する音の世界で、私たちはより深い思想と感情の旅へと誘われ、ヒップホップ・カルチャーが持つテーマを新たな視点のもとに再解釈させられることになる。体が凍てつくようなリリックと、ドローンによる凄まじい音像が絡み合い、音楽の新たな可能性を見出すとともに、ドクター・フーに登場する地球外生命体が醸し出す残酷な脅威のようなものも感じられる。だが、その冷徹な危険性こそが彼らの音楽により濃く、重厚な深みを与えているのだ。
8 . Diz - Ultra.Violet
このボストンのラッパー / プロデューサー / サックス奏者は、同じ境遇にある多くの人々の捌け口となり、その声を届ける役目を果たす代弁者だ。アール・スウェットシャツやエムエフ・ドゥームといったラッパーや、レスター・ヤング、ブラクストン・クックといったサックス奏者の影響を受けながら、独自の道を切り開いている。サンプル主体のビートの上で、無謀なまでにエモーショナルなバースを吐き出すディズは、このプロジェクトを通して、葛藤と成功という一貫したテーマを、押し出しては引き離していた。ディズの混沌としたフロウは、アールやマイクの歯切れが悪く熱のこもったスピットを彷彿とさせるが、時にはビリー・ウッズのような無気力なトーンに変化することもある。こういったアンダーグラウンドの巨人たちがもつ*¹IDGAF精神を体現するディズほど、音楽とメンタリティを融合させた中道左派のアブストラクト・ラッパーはいない。アブストラクト・ヒップホップのような音楽のカウンターカルチャームーブメントは、ロックがグランジという不穏な対抗馬を生み出した90年代以来だ。ブーンバップの派生型ジャンルであるアブストラクト・ヒップホップは、今や独自のカウンターカルチャーを創造し、その力は頂へと達し始めている。
9 . Dr. Yen Lo - Days With Dr. Yen Lo
アンダーグラウンドの巨匠である、カーとプリザヴェーションの両者がタッグを組むとなれば、それはもはや世紀の一大事である。”The Manchurian Candidate”の謎めいた中国人催眠術師のような、残忍な支配と教化システムに触発され、現実感を歪めてきた欺瞞(ぎまん)からの解放の模索。犯罪にまつわる嘘や欲望、モラルのすり減らしが標題となり、その深みは彼(カー)の生い立ちの恐怖や絶望とともに描かれている。木炭の陰影を帯びたミニマリズムが、不安やパラノイア、そしてアンチ・ポップ・ラップの精神と融合し、今までに類を見ない、残酷で美しい排他的世界観を構築。色も、匂いも、感触もないモノトーンな世界が、より深い瞑想的な体験を強要してくるさまは、何とも言えない気味悪さと今まで体験したことがない心地よさという、決して共存することのない二つの感覚を同時に打ち付けられているようで、昏迷へと堕ちてしまいそうになる。それを引き起こしてしまう要因は、間違いなくプリザヴェーションのプロダクションだろう。サイケデリックでありながらも時に船酔いさせるほど断片的で、メロディやリリックの脈動は燃え尽きる寸前の蝋燭(ろうそく)のように、霊妙に揺らいでいる。
このアルバムは間違いなく史に残る大名盤であり、全人類が必聴すべき作品であることは、もはや言うまでもない。
10 . Guerilla War Tactix - The Invasion
まさにこのアルバムは、歴史的風刺画としてこれからも、街のどこかで語り継がれるだろう。攻撃的なリリック、激しいリズム、速いテンポ。革新的な*¹グライムコア・ラップの最前線を颯爽と駆け抜けていき、聴く者の心を捉える強烈なインパクトを放っている。メンバーで、プロデューサーのクルーズ・ダーティジェイダは、『自分という人間を理解するために、たくさんの本を読み、観察し、音楽の歴史と進化を研究し、自分のスタイルを作り上げることに時間を費やしたんだ。俺の音楽を自分の中で成熟させて、爆発的に開放する準備が整うのを待っていた。』とスウェーデンのヒップホップコミュニティ・WHOAのインタビューで語っていた。政治や陰謀論などのテーマを探求し、暗い現実を暴露する彼らの音楽は、社会の不公正やシステムの弱点に対する痛烈な批判として、鮮明かつ残酷に浮かびあがらせている。MCであるマッド・マックスの言葉はまさにゲリラ戦術の如く、聴く者を戦慄させるとともに、その言葉に乗せられたある種の責任感が、売春や人身売買といった、暗いテーマの背景に潜む屈辱と苦悩を描き出しているようにも感じられる。「The Invasion」は、革命家の魂が宿る、生々しい音楽の守護者として輝きを放ち、ヒップホップという大世界(ダスク)の奥底で今も静かに燃えつづけているに違いない。
11 . Illuminati Congo & Anahata Sacred Sound Current - Siddha Gita
MCのジャーン・ダ・バプティストとプロデューサーのニック・ザ・グラデュエイトからなるイルミナティ・コンゴと、世界各国を旅しながらビートメイクを手掛けるアナハタ・ビートスピーカーがタッグを組んだ今作。
*¹グノーシス的ラスタファリズムの哲学を背景に持ち、豊かな人生を送ることに関する動機付けの音楽的マニフェストを提示しながらも、喜劇的で、コミカルな戒めを含んだジャーンのリリックが、リスナーに深い洞察と広大な視野を提供している。ヒップホップの文化的美学と、レゲエや南アジアの流動的な意識の流れを巧みに融合し、リスナーを一種の音楽的涅槃(ねはん)へと導く、そこに電子音楽の要素を加えたニックのプロダクションは、光と闇の狭間で揺らめく意識と無意識の境界線を表現するスペクタクルだ。イルミナティ・コンゴは、ヒップホップの境界線を越えた芸術的挑戦を続け、その斬新さと普遍性によってカルト的な人気を得ており、今作も新しい音楽の地平へと導く一つの道標となるだろう。
12 . Lnychpin - Lnychpin
このアルバムは、NYアンダーグラウンドを知るための専門書といえるだろ。Karma kids, Reservoir Sound, Backwoodz Studioz, Uncommon, Smoker's Coughなどの、ニューヨークに拠点を置くレーベルやクルーに所属する16人のMCと7人のプロデューサーが参加したコラボアルバムであり、キュレーションはエルティ・ヘッドトリップとウィリー・グリーンが担当している。ニューヨークの地下シーンは、断片的な様相を呈(てい)しながらも、その中で鋭気溌剌(えいきはつらつ)な新人から宿将までが集い、独創的なオリジナリティを発揮してきた。ヒップホップで最も革新的なシーンにスポットライトを当て、凄絶(せいじつ)なプロダクションを通じ、何にも縛られない自由への渇望を、まるでクロード・モネの「サン=ドニ街 1878年6月30日の祝賀」のような、烈(はげ)しくも緻密(ちみつ)なタッチで描き出している。
ニューヨークの文化的側面や、裏陰から見える社会的な視点から生まれた今作は、何世紀もかけて昇華してきた芸術の極致を示域するとともに、ヒップホップの新しい可能性を示唆した傑逸な選華だ。
13 . MHz - MHz Legacy
活動休止していたメガヘルツは、元メンバーであるカム・タオの三回忌である2011年にメガヘルツ・レガシーに改名し復活。その翌年に改名後としては開作となるこのアルバムをリリースした。グループとしての苦難や闘いを、彼らのアイデンティティを損なうことなく表現し、天蓋への脱出を試みようと奮起している姿が、容易に理解することができる作品だ。メンバーのテージ・フューチャーがThe Real Hiphopのインタビューで語っていたように、アメリカの中西部は多種多様なサウンドが存在する。西よりであればファンクに影響されたグルービーなサウンドになるかもしれない。東よりであれば、メリハリがある硬派なサウンドになるかもしれない。歴史という型に嵌らないからこそ様々な影響を融合させることが、彼らの音楽的アイデンティティの構築に繋がるのではないだろうか。日本であまり知られていないのが私としては寂しいが、是非ともこの創発的スーパーグループを聴いていただきたい。
14 . Dr. Monokrome - All Things Considered, That Was a Long Time Ago
今やNYのみならず、世界中にいるコアなラップファンを熱狂させているレーベル、バックウッズ・スタディオズ。まさにその始まりといっても過言ではないのが、この作品だ。インタングルで実験的なプロダクションの上でマイクを握るのは、プリヴィレッジとビリー・ウッズ。モノクロームことスリル・ゲイツとウッズはこの時に出会い、2004年発表の開作・カモフラージュをはじめ、初期のウッズを縁の下で支えていた屋台骨だった。NPRではプリヴィレッジとゲイツ、MADからはウッズとゲイツによるデュオとなっている。*¹NPR(ネットワークパイレートラジオ)では色彩豊かなサンプルと、探究的なプロダクションで魅せるインダストリアル・ヒップホップを軸に、プリヴィレッジのスキルが栄耀栄華の如く光り輝いている。一方で、*²MAD(相互確証破壊)では一気にトーンダウン。ミニマルなビートを多用しつつ、より精悍な仕上がりで、哈哈鏡(わらいかがみ)の表裏で交わる世界を行き来しながら、時間を超越する二人の神による争闘は、宛(さなが)らビックバンと同等の威力を誇る。私が、”アンダーグラウンド・ラップってどんな感じなの?”と聞かれたら、間違いなくこのアルバムの名前を出すだろう。それほど、このアルバムが持つ意味というものは計り知れないものがあるのだ。
15 . Moor Mother & billy woods - Brass
真語とラップの融合、ホラーコア、スピリチュアル、秘儀的。
ビリー・ウッズとムーア・マザーのコラボアルバムは、陰鬱な寓話と宇宙的な予言が平行的に調和し、新たな周波数へと到達した作品だ。幽玄で歪状なサウンドは、先駆的に感じられる一方で、実用的で使い古された古物のようにも感じ取ることができる。このアルバムを聴けばわかる通り、永続的に終わらない人種差別や、帝国主義、貪欲の横行がもたらす抑圧や反抗、神話や西洋にも目を向けた重層的なリリックが、まるで一種の呪いのように全身を侵食していくと同時に、ムーア・マザーの人知を超えた才能に腰を抜かすことになる。それだけではない。深淵を覗けば、アルケミスト、プリザベーション、チャイルド・アクター、メシアー、スティール・ティップド・ドーブにウィリー・グリーンがプロデューサーとしてその手腕を振るっているのだ。ムーアは今作を、”闇に葬られた黒人の過去を取り戻し、未来を多様化させるための手段”として創り上げ、ビリーはそこに”金で全てを賄うという物質主義的メンタリティの本質”を簡潔に要約する。
入神の出来栄えとは、このアルバムのために作られた言葉なのではないかと錯覚してしまうほどの傑物っぷりであり、私が愛してやまない大大大名盤だ。
16 . Q Prodigal - The Wind Behind Me
このアルバムは、近年のアート・ラップを代表する作品だろう。アール・スウェットシャツを彷彿とさせるフロウと韻の運び方、カレブ・ジャイルスやネイビー・ブルーのような内省的なサウンドプロダクション、90年代ニュースクールのような独創的でユーモラスな背景を維持しながら、マイクのようなエキセントリックなスタイルも持ち合わせている。それらはすべて彼自身のアイデンティティであり、決して模範から得た偽造的なものではない。
他とは異なるマインド・思考を持つからこそ、キュー・プロディガルにしか出すことができない深みを音楽に与え、普遍の真実へとたどり着くことができるのだ。黒人文化に根付く階級格差・宗教問題・人種差別、それらを包み込む愛・それらを跳ね除ける情熱、そして家族や友人など。彼が心の中で感じ取った人間としての本質、そのすべてに付随する根本的な感情に焦点を当て、表現的思考の極致へと1歩ずつ邁進していくオプティミスティックな作品だ。
17 . Ruby Yacht - 37 GEMS
ラップ・フェレイラ率いる詩人集団であり、歪才揃い踏みのレーベル、ルビー・ヨット。フェレイラは自身のレーベルについて『人生そのものにしか興味がない愛ある変態集団』と評し、その語り口からもどこか独特な空気感を漂わせている。主要メンバーとしては、フェレイラをはじめ、エスビー・ザ・ムーア、サファリ・アル、エルドン、ピンク・ネーブル、ヘムロック・アーンストにケニー・シーガルと、全員知っているからこそなのかは分からないが、聞いただけで鳥肌が立つアングラ界の変態たちが、ものの見事に集結している。勿論良い意味で。文章を書くのが面倒くさくなったとか、そういったわけではないが、このアルバムに関しては言葉で伝えられることが少ない。もうとりあえず、こんな文章見なくていいから聴いてほしい。みなさんの価値観のもと、このアルバムがどれだけ異質なのかを感じ取ってほしい。
そして聴き終えたら、またここに戻ってきてほしい。皆さんが今まで聴いてきたヒップホップの概念は覆され、私が文章を放棄した理由が理解できると思いますから。
18 . Sole - Selling Like Water
エイリアスを筆頭に個性的なアーティストが顔を揃えるアンチコン。そのアンチコンからリリースされた数多くの作品の中で、”最強格の名盤”と称されているのがこのソールの代表作である。制作陣にもエイリアスをはじめとしたアンチコンの面々が参加しており、メランコリックで無機質な音像を縦横無尽に、まるで何かから解き放たれたかのように作品全体に行き渡らせているのが印象的だ。時にはジャングルのように目まぐるしく、時にはドローンのように一定の空気感を保ちながら静まり返っている。ヒップホップのみならず、電子音楽にも力を入れているアンチコンならではのサウンド・プロダクションが随所に垣間見えるのも聴きどころの一つだが、勿論サウンドだけではない。ソールのラップは、ノイジーなサウンドに絡み合いながら、一小節韻を踏むごとに強度が増し続けている。勢勁(せいけい)で独個(どっこ)なフロウと*¹実存主義的なリリックは鬼神が宿るか如く、圧倒的な威厳を見せつけてくれるとともに、ソールというラッパーがどれほど特異な人間なのかを再認識させられる。総じてこの作品は”恰好が良すぎる伝説的な名盤”であり、今も、そしてこれからも街の片隅で語り継がれることになるであろう必聴作品だ。
19 . Sunmundi & Āthmaan - Midnight Oil
現在のアンダーグラウンドシーンでもっとも稀有な存在といっても過言ではないのが、マイクを握るサンムンディだ。マッドな黒を基調としたオーバーサイズのパーカーにフードを被りながら、2020年中盤に地下シーンへと足を踏み入れた鬼才は、カナダの新星プロデューサ・アートマンとタッグを組み、2023年最も怪奇で玄妙な作品を創り上げてしまった。カーとアニモスによる伝説的デュオ、ハーミット・アンド・ザ・レクルーズを彷彿とさせる妖妙な質感は、気味が悪くなるほど肌触りが良く、暗鬱なシンセによる流動的な音の流れとそこへ音もなく滲んでいくサンムンディのフロウが、不吉な笑みを浮かべながらリスナーを深淵へと引きずり込んでいく。ホラーコアとも違うどちらかといえばダーク・アンビエントなのだが、それでもあまりしっくりはこない。私はこのアルバムを聴いているとき、新たな怪物がこの世界に産声を上げてしまった瞬間に立ち会ってしまったと、独り、誰にも告げぬままひっそりと目を丸くしていた。感情という感情が揺り動かされ、思考という名の時の流れが止まったのだ。もはや”音楽”という枠ではくくり切ることができない。最後には語彙力も失われ、残るのは未知なるものに打ちのめされ呆然と宙に浮かぶ自分自身の魂だけである。
20 . Unsung - Hand Painted Model Trains
この作品は20年のキャリアを誇る孤高の天才・アンサングが自身の父に捧げた作品であり、自分が感じている不安や個人的な人間関係を何の戯れ言もなく映した、美しくも何処か儚い彼自身の物語である。ダウンテンポでミニマルかつ、音の断片で幻覚的な浮遊感も感じ取ることができるが、それは決して浮上することはなく、光の届かない海の底でただゆっくりと浮遊しているようで、何か感じたことのない心地よさのようなものを感じた。ヒップホップ~スポークン・ワードの境界線上を底流に身体を預けながら穏穏と行き交い、メランコリックなサウンドスケープとともに、優しく、とにかく優しく、言葉を並べていく。自省的なリリックによる”個人的なストーリーテリング”に心酔し、アンサングに対して親近感を抱いたのは私だけではないだろう。人としての在り方が変化し続ける現代において、自分という存在を如何に表現できるかを改めて客観的に見つめなおさなければならないのだと、このアルバムを通じて気づかせられたように感じた。
最後に
如何でしたでしょうか。
入門編・中級編・上級者編とそれぞれ20枚、計60枚のアルバムをご紹介させていただきました。
私としてはまだまだ伝え切れない部分があると感じます。そのため、近々本を出したいと思っております。いつになるかは分かりません。
今年かもしれないし、来年かもしれないし、10年後になるかもしれない。
アンダーグラウンドの魅力を伝える身として、これだけは必ず実現させます。
乞うご期待ということで。
長い記事でしたが、最後までご精読のほど有難うございました。
三部作ここにて完結!!以上!!