夫婦円満のために労力を投資するということ

行動経済学では、親しい人がやってくれたサービスへのお礼や支払いに金銭で払うと、その人のとの関係はこじれるという。

それはごもっともで、ある既婚の男が、義理のお母さんにディナーに招かれて、大変美味しくいただき、感謝の言葉を述べながら、「お礼をしたいので、いくら払ったらいいですか?」と財布を出したらその後地獄のようになるのは明白である。

これは社会規範と市場規範という二つの概念に基づいている。義理のお母さんと男は社会規範に基づいて関係を築いている。しかし金銭取引をすることで社会規範は追い出されて、市場規範、つまり、レストランと客の関係になってしまう。そんな金儲けをするつもりではなかった義理の母は怒るのは当然である。

金銭を出すくらいならプレゼントをするほうがまだマシなのだ。そうすることでやりとりを金銭が絡まない不明瞭なものとなる。この不明瞭さが社会規範に基づく関係には必要らしい。

プレゼント以外のものとして、労力の投資が、金銭と無料の中間に位置しているらしい。無料ほど申し訳なさを感じないが、金銭を払うほど無礼なことにはならない。これらは実験でわかっていることだ。

これは結構わが夫婦間でやっていることだ。いや、一般的にもよく夫婦で行われていると思う。

どういうことかというと、例えば休日の午前中に趣味のためにひとりの時間を貰うとする。その間、妻には子供の面倒や家事を任せることになる。それに対する妻へのお礼は何がいいか?

金銭はNGだ。妻は、午前中の自分の時間を金銭換算してしまってトラブルを生む。そして払う夫もこれで払ったらいいでしょ?という気持ちになる。そうなると夫婦間は地獄になる。妻は家政婦ではないのだ。

ではプレゼント?いいかもしれない。しかし少し大袈裟かもしれないし、少し金銭よりの方法だ。

一番良いのは何か重労働などの労力の投資が一番いいだろう。午後は普段妻が手の届かないところを掃除したり、得意料理を作ったり、自分しかできない内容で時間と労力を投資してお礼をする。

これって結構お互いの気持ちが一番満足する、つまり社会規範を追い出さずに取引ができるということではないだろうか。これらはよくあることだが、行動経済学的には理にかなっているのだなと思った。

参考文献『予想通りに不合理』ダン・アリエリー


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