13時間50分のフライトの退屈だ。
私は、飛行機が大嫌いだ。
高所恐怖症であるのもそうだが、幼少期にアンビリバボーや番組名は忘れたが、
鶴瓶師匠とSMAP中井君が司会していた番組で、飛行機に関する事故などの映像を見過ぎたことも原因だろう。
そして、仕事が好きな私が、飛行機が嫌いな理由は、他にもある。
そう、今こうして、NOTE用の文章を綴るように、Wi-Fiがないので、十分な
仕事ができないことだ。
14時間余りの時間があれば、どれだけ有意義に使えただろう、仕事ができただろうと、
貧乏性の私は、勿体ない気持ちと罪悪感でいっぱいになるのだ。
とはいえ、本を読むことや映画を見ることも好きな私にとって、
強制的に仕事をシャットダウンしてくれる飛行機に、時々感謝する時もある。
そこで出会わせてくれた映画は、
“すずめの涙”。
あれは、人の親であれば、見てほしい映画の一つだ。
涙脆い私にとって、あの映画を飛行機で見てしまったのは、失敗だった。
隣のティーンエイジャーから、“Are you Ok?”と声をかけられ、心配されるくらい号泣してしまったのは、飛行機の経験でも後にも先にも無いとだろうと信じたい。
さて、そんな前置きが長くなってしまったが・・・
今回は、この退屈で憂鬱な13時間50分を使って、
私の考えを皆さんにも共有してみようと思った次第だ。
「“良い選手”のとは」
について、私なりの考え方を今回書き綴っていきたいと思う。
私は、明確に“良い選手”というのがある。
皆さんもあると思う。
足が速い選手?
がむしゃらにハードワークして、味方を鼓舞する選手?
いつも冷静沈着で、チームを指揮する選手?
スタジアム全体を煽って、チームのスピリットを体現する選手?
まさに十人十色。
そこに、正解不正解、良い悪いも何もない。
ロマンであり、エンタメであり、とても素敵な議論がいつだって生まれる。
それもすべて含めて我々が愛すべき“フットボール”の一部。
話しは変わるが、
私は三谷幸喜の作品が好きだ。
両親が三谷幸喜の作品の一つ、“やっぱり猫が好き”というドラマが好きだった影響もあり、
小さい頃から、“やっぱり猫が好き”をたくさん見ていた。
それがきっかけで、三谷幸喜の作品が好きになった。
三谷幸喜の作品は、必ず“三谷幸喜らしい”作品になるし、
おそらく三谷幸喜が作った作品だということを私自身が把握してなくても、気が付けると思う。
フットボールにも近しい感覚を覚える。
ジョゼ・モウリーニョが監督なら、“ジョゼモウリーニョらしい”作品になるし、
ロベルトデゼルビが監督なら、“ロベルトデゼルビらしい“らしい作品になる。
フットボールの監督はある種、アーティストに近い感覚があるのではないかと、
勝手に想像している。
それは選手にも言えることだ。
どんなチームでプレーしても、“その選手らしいプレー”を魅せる選手、
どんな監督であっても、作品の世界観は崩さずに、遊び心を出して、“自分らしいプレー”を魅せる選手もいる。
それはまさに普遍的で、いわば「選手の代名詞」をどの作品でも表現できる選手に強烈に惹かれる。
私が、“良い選手”考えるのは、そういう選手だ。
作品が変わると、その作品に染まることも多いだろう。
フットボーラーでいうならば、
チームが変われば、フォーメーションや味方選手のタイプや愛称、チーム内の約束事、全てが変わる。時として、その変わった環境、つまり作品に染まりすぎてしまい、
「選手の代名詞」を表現しなくなる、できなくなってしまう選手も少なくないと感じる。
とてもつまらない。
もはや悲劇。
せっかく“誰よりも鮮やかで、澄んだ青”を表現できるのに、
「作品で青は使わないから、でも近い“緑”が必要だから、この作品では“緑”を表現することをしてほしい」と、要望があるのも、良くある。
すると、最初は、“緑”を表現することに、新しさを感じ、ポジティブに捉える。
しかし、本来、唯一無二だった“青”を表現力が段々と濁ってきてしまう。
私は、“緑”も最低限表現しながら、実は、作品を良く凝らしてみると、“澄んだ青”をしっかり表現し続けることができる精神力と遊び心を織り交ぜることができる、そして、少しずつ“緑”の割合を減らしていきながら、あたかも、最初から要望されていたのが“澄んだ青”だったかのように、正解に変えてしまうようなことができる、そんな選手を私は“良い選手”であると考えている。
最高の作品は、
その与えれた要望をこなすことをしながら、それぞれがその作品の中で、“自分のプレー”を世界観を崩さずに、調和できたときに、生まれる。
三谷幸喜の作品には、たくさんの役者のアドリブが存在している。
そのアドリブを三谷幸喜も役者たちに期待し、役者もそれを理解し、作品で、“自分のプレー”を表現できるからこそ、最高の作品が生まれるのだ。
真面目でストイックで、
プロフェッショナルな姿勢を持つ素晴らしい選手たちがたくさんいる。
戦術や監督の意図、狙い、味方との調和やバランスなど、
たくさん考えることができる選手たちもたくさんいる。
加えて、Jリーグでは、本当に難しい。
なぜなら、“作品”が意思決定権のある人間たちで、必ずしも一緒ではないからだ。
最低限の“作品”すら選手たちに提示できてないことも少なくない。
そして、毎年、“作品”を作り直すことも多々。
由々しきことだ。
不憫なのは、いつだって選手たちだ。
だからこそ、
あえてフットボーラーの皆さんに言いたい。
「これやってみちゃおうかな?」っていう遊び心忘れてないか?
「これやらないと監督が使ってくれないから」という感情で、
チームの約束事にとらわれすぎてないですか?
フットボールはどこまでいっても結果論。
だって、エンターテインメントの一つ。
“正解”に変えちゃいましょうよ。
ここまで読んでいただいた方々、そうでない方々もありがとうございます。
拙い文章にて、読みづらい、分かりづらい表現が多い中、お付き合いいただきまして、
重ねて感謝申し上げます。
また、皆様の暇をいただけますと幸いです。
最後に、
弊社では映像編集、分析スタッツのアルバイトを募集させていただいております。
経験は不問、サッカーを愛し、将来的にスポーツ業界で働きたい、プロサッカーチームのアナリストを目指している、代理人に興味がある、スポーツマネジメントに興味がある、などなどなど、ご興味ございましたら、
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それでは失礼致します。