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旧エベレスト旅行記#00 Tokyo

はじめに

 これは2019年、コロナウイルスが猛威を振るう以前の世界での旅行記である。

 ネパールの山々を歩き続け、時には停滞した1ヶ月間の日記には、焦燥と安堵、期待と落胆が入り混じっていた。日記を読み返していくうちに、これはコロナ禍で私が感じたことそのものだということに気がつき、その理由が何なのかを私なりに考えてみた。それは恐らく「制限」によるものではなく、「変化」がもたらしたものだったのだろうと思う。

 この旧エベレスト旅行記はネパールの旧道を歩いた当時の日記を、ほとんど原文のまま書き出し、内容の理解のために不十分と判断した箇所に加筆をしている。
 日記を公開するというのは正気じゃない感じもするが、カトマンズからルクラ、あるいはナムチェまでの陸路の記録というのは、それほど詳細な記事が多くないと思うので、旅行者などには参考になることがあるかもしれないと公開を決めた。
 日記であることに加え、素人文なため読み難いところはあるだろうが、ご容赦いただきたい。


令和1年 9月19日(木) Tokyo

 東京に着いて5日が経った。友人宅で居候させてもらいながら準備を整えている。出発は3日後だ。不安は海外のサイトで予約した航空券が問題なく使えるかということだけだ。
 2年前、大学2年の頃にインドからネパールを目指した時は失敗に終わっている。期間をもう少し長く設けていれば行くことはできただろうが、鉄道事故でメインのルートが潰れたのであのまま行っていたら帰れなかっただろう。今回も予定通りとはいかないと思う。

 いつも目的などは特にない気ままな旅行をしてきたが、今回は違う。ありきたりではあるがエベレストをカメラに収めたいという目的がある。大学に入ってから読むようになった冒険家らの本には必ずと言っていいほど出てくる山だ。色々な形容をされる山だが、まずは自分の目で見てみたい。5000~6000m級の山を目指し、そこからエベレストを見上げたいと思う。
 それからもう一つ。ヒマラヤでのトレッキングというと、ルクラという飛行場のある街からエベレストベースキャンプまでのトレッキングが一般的である。その辺りはシーズンになると常にトレッキング客で賑わっており、そのエリアには興味が湧かなかった。
 しかし、一般には空路を使う首都カトマンズからルクラまでの道のりには、旧エベレスト街道と呼ばれる、空路ができる以前から登山隊に使われていた一方で現地の人が生活に使う道が存在する。今回はそこを歩き、山間部で昔から続く生活を見たいと思っている。

 ここに至るまでの経緯をもう少し整理しておきたい。しばらく眠っていたヒマラヤへの想いを再び起こしてくれた2人の人物がいる。村上祐資さんと門谷優さん、この二方がいてこの旅行を始めることができる。
 昨年10月、友人に誘われて「TEDx SAPPORO」というトークイベントのボランティアスタッフをした。その時登壇していたのが村上祐資さんで、話の内容は宇宙関連のことで難しい話だったと記憶している。ただその時に少し映ったヒマラヤの写真と、毎年いろいろな人を連れて行っているという話が強く自分の中に残った。帰り際、村上さんに話しかけると、そこからはとても忙しくなった。だがそれはまた別の話である。
 ともかくその村上さんを通じて、自分が知らない極地世界にたくさん触れた。あのような環境に身を置いては、もっと知りたいと思うのは当然だったかもしれない。

 また、そんな時に出会ったのが門谷優さんだった。ネパールを中心に世界各地で写真を撮離続けている門谷さんはとても気さくな方で、新宿の喫茶店で初めて会うと「ネパールに来れば現地でガイドしてあげよう」と言うのだった。休学中でしばらく戻る予定もない私は、その場で行くことに決めてしまった。それが3月のことだったと思う。

 その後、門谷さんは仕事の都合でこの時期の予定を合わせることができなくなったが、今思えば必要なのはきっかけだったのだと思う。自分1人でどこまで行けるか確かめてみようという思いがすぐに浮かんだ。必要な道具を揃え、この夏は富士山と南アルプスに3か月間入った。どんな結果になってもいい。今はただ楽しみだ。

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