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旧エベレスト旅行記#02 Shivalaya

 この旧エベレスト旅行記はネパールの旧道を歩いた当時の日記を、ほとんど原文のまま書き出し、内容の理解のために不十分と判断した箇所に加筆をしている。
 コロナ禍に感じた焦燥と安堵、期待と落胆は、コロナ禍以前にネパールの旧道で感じたことそのものだった。当時の日記からその理由を思い返す。

9月24日 Katmandu-Shivalaya

 朝5時に起床し、すぐにオールドバスパークに向かった。バスが見つかるか不安だったが、「ジリ、ジリ!」と叫ぶ人がいてすぐに見つかった。6時発だと思っていたが、5:45には出発していた。席にはかなり空きがある。
 カトマンズの街を走っていると次々と人が乗ってきた。停留所のようなものがないので、乗っている人はこのバスを使い慣れた人だろうか。そのうち車内に立つ人も出てきたが観光客などはおらず、トレッキング客も自分1人だった。途中4回ほど休憩を挟み、昼は食堂に乗客全員で入りダルバートを食べた。バスの中は揺れがひどく、ネパールミュージックが大音量で響いていて、乗り心地は悪い。道中で運賃の750ルピーを払い、頭を何度も天井にぶつけ、ジリに着いたのは出発から9時間後の15:00だった。

ジリは小さな町だった。ここで一泊するか悩んだが、バスの運転手に聞くとシバラヤへは歩いて1時間ほどで行けるということだったので、シバラヤに向かうことにした。
歩きながら程なくして、トラクターのような大きいタイヤをつけた車が後ろから走ってきた。車が目の前で止まり、運転手に話しかけられた。どうやらシバラヤまでなら乗せてくれると言っているようだった。席は運転席しかないので、体を半分車体からはみ出してしがみつく格好になるが贅沢は言えない。ありがたく乗せてもらった。
歩いて1時間のはずのシバラヤは、トラクターで2時間走っても着かなかった。私はどこかに連れ去られているのではないかと不安を感じないでもなかったが、歩いている人を見かけると必ず「乗っていくか?」と聞き、それに応じて乗せてもらう人々と運転手の関係性を見て、大丈夫だろうと考えていた。
 17:30、ついにシバラヤに着いた。無事に着いて運転手の優しさがすごいものだと始めて感じた。礼を言って降りると、そのまま男は走り去って行った。

アマダブラムロッジのダルバート。
ネパール人は毎日必ず食べる。

 今夜は「アマダブラムロッジ」という1泊200ルピーの宿に決めた。アマダブラムロッジは小さめの宿だが、綺麗で居心地のいいところだった。茶でも飲もうと2階の部屋を降りてロビーに行くと、女性が1人でお茶を飲んでいた。机は2つ並んでいるだけなので隣に座るしか選択肢はないのだが、一応声をかけると「ダー」と返ってきた。「ダー」?
 聞いたことあると思ったら留学中教えてもらったロシア語だ。「ルースカヤ(ロシア人)?」と聞くと、強めの「ダー(Yes)」が返ってきた。夫婦でエベレストベースキャンプを目指しているらしい。少し話していると旦那らしき人が来た。50歳ぐらいで体格がいい。胸元に南極のワッペンがついたフリースを着ている。あれ、これも見覚えがあるぞと思ったら、男は元南極越冬隊でロシア・ミールヌイ基地の医師をしていたと言う。何という巡り合わせか。元南極越冬隊員の村上さんによってヒマラヤが現実のものとなり、南極という新たな夢ができた。そしてそのヒマラヤには南極越冬隊を経験し、ヒマラヤに憧れた人がいた。この偶然に感謝したい。夕食を一緒にとり、その後も話は尽きなかった。最後にメールアドレスを交換した。

 明日は6時に起きて少し頑張ってSeteまで行こうと思う。たくさん歩くぞ!

シバラヤの町並み


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