残暑の中で
皆さまご無沙汰しております。6月以来の投稿になります。
「ああ、あいつ2回ぐらい投稿しただけでもう連載飽きたのか」と思われた方もいるのかもしれません(誰も気にしてねーよ)。
そもそも里を抜けられるのは月に一度という里長との約束の中で、7〜8月はボーイが怒涛の病気ラッシュになりまして練習に行くどころではなく、ようやく8月の終わりになって練習に出れました。いやしかし凄かった。仕事中、着信画面に「XX保育園」て出た時の絶望感。毎週毎週。。
アデノウイルス→突発性発疹→リンゴ病→手足口病とそこそこなフルコース。
一部の病気は大人にもうつりますから迂闊にウロウロも出来ず。
までも気を取り直して練習に参加だ!と朝出かける前にコーヒー準備してたらドリッパーを盛大にひっくり返して雑巾掛けと掃除機かける羽目になって出かけるの30分ぐらい遅れてそこからもうメンタルはボロボロ。
再度気を取り直して出かけようと思ったら「え、楽器は?(持っていかないのお前?)」と里長に指摘される始末。
なんかこう、日々ポンコツになっていく様をじわじわと感じますね。(元からだよ?
再々度気を取り直して、よし今日こそ3プルからの景色を書こう!って行ってみたら上パートが自分一人ということで1プルに。また書けない。
俺いつ書けるの?もうデタラメ書いちゃおっかな(何のために?)。
指揮なし合奏と指揮の意義
ということで一曲以外コンマス席でやることになりました。
しょうがないので今回は指揮なし合奏と指揮者の意義みたいなのを行ったり来たり、ほぼ味のないカルピスぐらいの内容の薄さで考えてみようと思います。1リットルのカルピス風味の水ですね。文字だけ多いけど中身ないやつ。
さてそれにしても、ほぼ3ヶ月ぶりに参加して思ったのは、楽器が弾ける弾けないうんぬんもそうですが、自分のアンサンブル能力が著しく落ちててビックラこきました。前回も前々回も指揮があったのであまり気づかなかったけど(意識低い系)、今回はボスいなかったので如実に分かりまして。
※ここで皆さんは、筆者の、まるで前は能力があったかのような書きっぷりに盛大な疑念を持つ必要があります
もうどうやってアインザッツを出すか逡巡して全然決心できず。合わなくてY島くんに殺されるんじゃないかなと思いました。今考えたら指揮だったらどう振るか考えればもっとシンプルに答え出せたなぁと反省してるところです。
アインザッツも、普通に息とる時に体を持ち上げるというか姿勢伸ばす人も(時も)あれば、逆に沈み込むように出す人も(時も)あるし、アインザッツも研究のしがいがありそうですね。あんま考えたことなかったけど、それも一興。嫌々コンマス席に座ってやったかいは多少あったかもしれません。まぁこれから研究ほんとにやったらだけど。
一方で指揮がいれば超楽なわけですよね。
それってなんでかって、指揮者はその場その場で必要なことを具現化・可視化してくれる。それが何より大きいと。
一発でわかる(指揮者によるけど)。
奏者だけだと基本はアイコンタクトになりますよね。体も使えるけど、指揮者よりは大分制約がありますと。弾きながら・楽器持ちながらの可動範囲になるから。
なので指揮者のメリットってのはとても大きいかなと思います。でもそう思う反面、指揮者の指示に乗ってだけいて、ただただ闇雲にそれを実現し続けるだけになるリスクはありますよね。
要は指揮者はガイドなわけですが、何にも考えずにただガイドについて回って、そんで回り切れたとして、そこに自分というものがちゃんとあんのかと。そもそもガイドの中にはある起承転結みたいなものを理解した上でガイドについて行ってるのかと。
なんも考えないで楽についていくだけだと、自分の中から出るものとか、中に残るものが薄くなるのかもなぁと思ったりします。
指揮は全然居ていいんだけど、極力イーブンを目指して(我々の場合はボスがプロだから無理ゲーだけど)、自分でもスコアを読んでどうしたいか考えて、その上でガイドと一緒に歩くようなイメージですかね。もちっと色々考えようがあると思いますが、まぁ今回はあまり練らずに書いてるのでご容赦ください。
久しぶりの指揮なし練に出て思ったのは、やっぱり指揮あり練が続くとあんま奏者として考えなくなりそうだなぁというところでした。特にうちのボスは奏者から引き出す力が強いし、正しいから正直ついてくだけが楽だし楽しいですが、それはお互いに本意ではないと思うので。別に指揮あり練が続いたって自分の姿勢一つでどうとでもなるとは思うのですが、ついね。楽しくそのままついてっちゃうだけになりがち。。
ただただ指揮者に引き出されるだけのATMみたいな奏者にはなりたくないですよね。
俺のチャクラを貸してやるぐらいの尾獣なノリで行きたいですよね。完全にコントロールされてたまるかってばよ(※てばよ君はコントロールした方)。
ワーストケースは指揮者が場当たり的に振って奏者もあんまなんも考えずに場当たり的について行った時に出来上がるものは何か?って時ですかね。だから指揮者も奏者もどっちも良く考えなくちゃいけない。これは絶対に指揮者だけの仕事じゃないですよね。
指揮がなくても、やれば出来るはずなんです。こないだの練習でも最初出来てなかったところをこうしようって言ってみんなで合わせたら凄く良くなったし。だけど音楽の流れの中で、気をつけなくちゃいけない全てのことをいちいち意識してみんなで都度全てをアイコンタクトで、とかはやってられないし、ある程度は自動運転で出来るようにしておいた上で(ココが大変!)、そうして余力を持っておいて、そんで本当に大事なことをその場でみんなで合わせていくってのが良いかなぁと思っています。
今回はちょいとした記念ということで二部は全部指揮が入る予定ですが、来年はまた指揮なし入れたいなぁと思いました。
なんてな事を考えてた中、若手の何人かは自分達で団体を作って、指揮なし合奏やるみたいです。
いいですね〜
ちなみに回し者ではありません。
何も知らないっす、SNSからの情報。
無断で今宣伝してます。ありがた迷惑の可能性もあります。
でも是非。
色々実験してみて、全部成功しなくてもいいと思うんすよね(おい縁起)。
ちょうど今、畑村洋太郎さんという東大の名誉教授の方の本を読んでまして、工学系の方なんですけど「失敗学」というジャンルの研究をされてる方です。
こう書くと結局月並みかもしれないけど
「自分で考えて答えを出すためには失敗はつきもの」
「失敗は当たり前に起こるものだというマインドセットを持って、失敗を嫌いにならない」
ことが大事ですと。
もちろん失敗しないように一生懸命やるんだけども、それでも起きた失敗についてはそこからまた学べば良いわけで。
そうやっていろんな経験がたまっていけば良いんだけど、でも、またその経験がものいわなくなる時もくるだろし、そうなったらまた一から学んでいけばいいと。
イチローさんですらフォームがずっと少しずつ変わっていってるわけですしね。経験も活かしつつ、だけどそれにこだわり過ぎずにその時その時の最適解を考えてモデルを更新する作業をやってくと。
私のことで言えばもはや練習に出れる回数とか練習時間が全く以前と変わってしまったので、これまでの練習の仕方とか臨む姿勢を変えなきゃなぁと思う次第です。その前に練習時間の作り方からして考える必要もあるけど。
来月は練習行けるのか不穏ですが、行けたら更新したいと思います。行けるとしたら合宿かなぁ。
ではでは。突然涼しくなってきたので、皆さまも風邪などひかれぬようご自愛くださいませ。
健康にして練習も本番も目一杯楽しみましょう!
(花)