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#2|批判的合理主義について

こんにちは。
第二回、大変遅くなってしまい申し訳ございません。期末試験期間中だったので(というか今も期間中ではありますw)、どうにも時間が取れなかったのです。
では、なぜこんなタイミングで書くのかというと、一つ試験を撤退したからです・・・。(撤退しても大丈夫な試験なので安心してください。)残りは民法の試験だけです。撤退した分、来年度ちゃんと単位取りきれるかな・・・。めんどくさい・・・。

そんな前説は置いておいて、ちょっと期末試験の勉強中に気づいたことを含めたnoteを書こうと思います。

題して、批判的合理主義についてです。笑


目次
1. そもそも批判的合理主義とは…?
2. 新R25「田端信太郎氏のプレゼンの極意」
3. 両者から得られる示唆


1. そもそも批判的合理主義とは…?

批判的合理主義…。漢字が7個も…。
って僕もこれを現代政治理論っていう授業の試験対策プリント(東京大学法学部では試験に向けて全員で協力してプリントを作成します。あまり詳しく書くとヤバい…気がするのでここら辺で。)で見たとき思いました。

ちょっと前提知識を自分なりにまとめてみます。

そもそも合理主義ってなんや。って話ですよね。分かります。
合理主義とは簡単にいうと「合理的に推論を重ねれば真理に到達できるとする」主義のことです。特に17C〜18Cの宗教による支配を批判する形で流行った考え方です。非合理な意思決定を排除しようとしたわけですね。
しかしながら、この合理主義は有名な独裁者たちに悪用されます。つまり法律によって支配を認められた者であれば何をしてもいい(プラトンらの包括的合理主義)、と勘違いするわけです。これによって、いわゆる全体主義が勃興します。かの有名なドイツのヒトラーイタリアのムッソリーニなどですね。戦前の日本も近い形でした。

まあこの合理主義を過度に期待した全体主義を批判する形で生まれたのが、批判的合理主義です。名前の通り、合理主義に端を発しています。
しかしながら、その主張は面白いです。具体的には、反証主義とも言われていますが、「反証可能性のない命題でなければ、科学的命題ではない」というのが端的にまとめた主張です。イギリスの哲学者カール・ポパーが代表的な主張者ですね。

すなわち、世の中の批判にさらされながら(これを「開かれた社会」と呼ぶ)、常にある一つのテーゼが偽であると反証されることを許し(これを「反証可能性がある」と呼ぶ)、それを反論していくことによって作られるそのテーゼこそが最も高い合理性を持つ、とするのです。
これによりポパーは、全体主義のような抑圧的な政治ではなく、開かれた社会による民主的な政治を擁護する主張を立てました。

以下に、それぞれを図式します。


2. 新R25「田端信太郎氏のプレゼンの極意」

一方、ちょっと現代の話に戻ります。
テスト期間中に以下の記事をTwitterで拾って読みました。

note#1で書いたように、今年は発信力を大事にしたいと思っているのですが、その意味でもプレゼンっていう所には非常に注意しています。実際苦手なので…。

個人的にはこれを読むまで、「誰にもツッコミどころのない完璧な拍手喝采のプレゼンがいいのではないか」と思っていました。なので、提案書などありとあらゆるプレゼン資料は図式を完璧にし、とにかく綺麗にお手本通り行うことを意識していました。(…A説)

この記事では、以下のように書かれています。

>ツッコミどころのない完璧なプレゼンをされると、聞いてる側は手のひらで踊らされてる感じがして面白くないんだよね(笑)。
>やるべきなのは論破じゃなくて、「誘導」。連帯感や仲間意識を感じてもらえるように、相手をこっち側に誘い込むの。

つまり、ツッコミどころを増やせ!というのです。(…B説)
確かに…。言われてみれば、発信側としては完璧にしたがりますが、受信側としてはなにかしら言いたい気分で自分の意見でもっと精度上げてやりたい!って気分なんですよね。結果説得力というか、プレゼンの本来の前提である、聞き入ってもらうってところがクリアできます。

実際自分の経験でも、1年前アイセックのプロジェクトでイベントを企画した際、企業の方に協力願いをしにいったものの、結果その場で企画を滅多打ちにされフィードバックをたくさん頂きました。最終的にはイベントにも協力してくださり、今でも交流があります。
当時の企業の方にとってはツッコミどころ満載やないかい!って嬉しくなって学生と一緒に企画を作りたくなり、結果参加するまでに至ったんだと思います。(もちろん一定の理念共感など土台がある前提ですが…)


3. 両者から得られる示唆

さて、1と2。似たような部分があったのに気づきましたでしょうか。

すなわち、2のA説(ツッコミどころなし)は、1における包括的合理主義に近くて、2のB説(ツッコミどころあり)は、1における批判的合理主義に近いと思うんです。あえて式で書くなら以下のような形です。

包括的合理主義≒ツッコミどころのないつまらないプレゼン
批判的合理主義≒ツッコミどころがありある意味で説得的なプレゼン

1では政治論というマクロ的な視点で議論が展開されていたのに対して、2では個人to個人のミクロ的な視点で議論が展開されています。しかしながら、両者には通ずるところがあると感じました。

人間の、「ある対象の反証可能性を突くことによって、せっかくなら自らが主体的にその対象を作っている感覚を生みたい」という本能的な欲求に着目した面白い話だなとしみじみ思っています。笑

ある種人間の奥底にある心理を読み解ってそこにfitさせるやり方です。他にも色々ありそうですね。人によっては「醜いなあ…もっと正々堂々と…」って思われることが多いこういう技巧テクニックですが、時と場合をわきまえればより魅力的な人間に自分を発信することができます。マーケティングも似たようなものだと思っています。

これからは超個人主義の時代。そういった技巧テクニックなどを駆使しつつ、かつ実質的な実力も兼ね備えた人が頭角を表していくのではないかと思っているテスト前日でした。(以下はそれ関連のツイートです)

では、また近いうちに更新します。

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