"何者"かになりたい同志達へ
※最後に重要なことが書いてあります。
結局、"何者"にもなれない。"普通に優秀"な奴にもなれない。
2019年を評するのであれば、この一言に尽きると思います。
2019年の前半は就活を通じて、自分はこの世界においてどういう唯一性を持った人間になりたいのか、すなわち"何者"になりたいのか、に向き合ってきました。そして、一定の解は出ました。この解に対する納得度は今でもかなり高いです。しかし、
『平凡すぎる自分にとっては背伸びしすぎなのではないか』
そんな、実感に基づいて自分が作り出した言葉の棘が奥深く刺さってなかなか抜けず、むしろ自分から傷口に塩を塗り始める。そんな後半半年だったような気がします。そして、それは今も、これからもずっと、自分自身でやり続けることでしょう。
この1年で改めて発見した、おそらくあと数年は変わることがないであろう自分の特性があります。それは「自分で自分を常に否定し続け、自分自身を鍛え続けることによって、自分や自分が関わる対象の価値を最大限引き上げる」ことに自己充足感が満たされる傾向があることです。若干良い方向に脚色して表現すると、ストイックとでも言うのでしょうか。
「自分の成果物は、ある点においてアレに劣っている。誰かがすでに考えていたのも聞いたことがある。またある点においては、自分自身でほんの少しではあるが納得いっていない。じゃあこの成果物はダメだ。もう一回作り直そう。」
そんな問答を、自分や自分の成果物が誰かの前に出るときは、頭の中で超高速で繰り返します。それは思い返せば大学生活だけではなく、幼少期からそうだったように記憶しています。最低限自分自身の履行不足によって責められることを防ぐために、未完成な状態で誰かに見られ評価されることをとても恐れていたからなのかもしれません。
こうして、内面とても気弱なのにも関わらず、努力すれば全員統一の分かりやすい尺度で高く評価される時代において一定の成果評価を得てきていたため、外観上は"普通に優秀"な強そうな人間として映る、自分が出来上がりました。
話を2019年に戻します。そんな裏と表の顔を持った自分は、大学生活で貴重な仲間に肯定されながら、自分の"裏"を正確に認識しこのように表現できるまでに至りました。しかしながら、簡単に特性は消えません。事実、"普通に優秀"な強そうな人間として映るのは、この学歴のおかげか、せいなのか、分かりませんが、変わらないのです。そしてそんな印象を持たれている自分の裏を出すことは、自分自身の"未完成な部分"を見られ評価される感覚があり、恐怖心は未だ取れていない自覚があります。
そして時代は酷なもので、個の時代と呼ばれる現代においては、尺度が統一されていない「他の人と違う"何者"か」であることが求められるようになってきています。今まで統一された尺度でまだ"強そう"に見えていた人間は、もはや強そうでもなく、ただの内気な小心者に成り下がったのです。実質的にも、強そうと思われていた尺度において、自分よりも上な人間はたくさん会ってきましたし。
さらにここに冒頭の言葉の棘がトドメを刺してくるのです。普通に優秀な奴でもなくなり、本質的には"何者"にもなれない自分は、どう生きていけばいいのでしょうか。
(↓わかりやすく、その時の感情をTwitterの自己紹介欄に記してしまいました。『取り柄のない平凡な努力家東大生。』と書いてあります。笑)
"何者"かになりたい情熱への自信
でも、そんな自己肯定感の低いメンヘラが気づいたことがあります。そうした"何者"にならなきゃいけない、何か世の中に価値ある行動をして"何者"として認知されたい、そこへの情熱・コンプレックスには揺るぎないものがあります。
それにはある経験があります。2019年12月、一旦内定者インターンも辞め、最後の学生生活を謳歌しようと、強制的に暇な時間を作りました。旅行したり、バスケしたり、はたまた学校の勉強にのめり込んでみたり、今までしてこなかったゲームにハマってみたり、浴びるように酒を飲んでみたり。
その時は楽しいのですが、朝起きると猛烈な不安に襲われます。一体、何を目指してこれをしているのか。目的は何なのか。社会では常に誰かが誰かのために動いているのに。
暇が怖くなりました。自分は自分の掲げる目標や課題に常に飢えていないとダメになってしまうことに気がつきました。それが良いことか悪いことかは置いておいて。すなわち究極的には常に"何者"かになるという大目標のための小目標を見据えていたいという。
そして非常に抽象的であるけれど、なんとなくどういう"何者"であって、どういうことをしたい"何者"なのか、については一定の解が出ています。何をすればその"何者"であるのかは分からないけれど。実力が全く伴わない無力すぎる自分ではあるけれど。
"何者"かになるための一旦の解
そんな12月。自分を見つめ直す時間という意味も込めていたので、上記のようなことをつらつら考えていました。そして一旦の解を見つけます。
"何者"かになりたい情熱を絶やさないこと。
"何者"かは自分が決めることではないのかもしれません。自分が一番心地よいありたい・やりたい方向に愚直に突き進んでいくと、自然と世の中から評価されるものな気がしています。また、そんな自分がありたい"何者"と評価される"何者"が違ったり、"何者"自体が変わったりしたら、その都度チューニングしていけば良いのかと。
一番怖いのは、この情熱が消えて、世の中の日の目を浴びず、"誰か"で終わることかと。ここは個人の価値観が入りますが、"何者"として評価されるには、遅いより早い方がいいですし、影響度や規模は小さいより大きい方がいいですし、評価の持続性はないよりあった方がいい、と思っています。そのためにはその情熱を元に誠心誠意、自分と自分が影響を与えたい対象の社会に向き合い続けることが最低条件な気がしています。そしてそれは前述の僕の特性から苦ではないことでもありますし。
"何者"かになりたい若者が集うアツいコミュニティを作ります in 2020
情熱を絶やさないためには、誰かとその感覚を共有し、刺激し合うことが一番でしょう。ですが、社会人になると、こうやって若い時に思っていたアツい気持ちは、目先の本質・非本質を問わない様々な業務に忙殺され、ひっそりと消えていくことでしょう。実際にそうなった人生の大先輩たちをたくさん知っています。
そこで2020年はそうした若者が集うコミュニティ的な何かを作ろうと思います。最初は自分のためにしっぽり作ろうと思っていました。しかし、変化を予測できないこの社会において、自分たちが生きる何十年後の社会、それから自分たちの後に生きる何百年後の社会を、想像し、憂い、何か行動を起こそうとする、だけど何をしたらいいか分からず、五里霧中な自分や社会で溺れそうになっている若い同志達が徐々に増えてきたように感じています。そうしたZ世代と呼ばれるみんなを集めた割と広くOpennessな大きめのコミュニティにしていきたいと思っています。(特にアイセックに所属する人間は同じことを思う人が多い印象です)もちろん最初はスモールスタートで様子見ですが。
目的は、世の中に対して何らかのインパクトを残し"何者"かになりたいと切望する情熱を絶やさず大きくしていくことはもちろんですが、そういう次世代のリーダーの集合体として熱を世の中全体に伝播していくエコシステム的コミュニティになり得たらと思っています。そうすることで、より下の代を感化したり、あるいはもっと上の代の若かりし頃の熱を掘り起こしたりして、日本・世界を活性化していこう、なんてデッカいことを考えています。
対象は、今のところUnder30の社会人を考えています。変更ありです。一定の審査を設けて、同志足り得るかどうかを判断する可能性がありますが、基本的には門戸を広くするつもりです。軌道に乗ってきたら、クローズドでハイエンドなコミュニティなども作れたら面白いかもしれません。
活動内容やコミュニティ連絡網、その他細かいところを含め、今はまだ上記くらいのふわっとした感じで考えています。もし調べていくうちに同じことをやっているコミュニティが既にあれば協働するかもしれません。あるいは意義なしと感じ、やめてしまうかもしれません。その辺を諸々踏まえて、ちょうど僕が社会人になる2020年4月にコミュニティ発足の意思決定をできたらと考えています。これも仮です。
こうしたコミュニティ作りに少しでも共感してくれる方がいらっしゃいましたら、一緒に作りませんか?
この時点では別にUnder30かどうかは問いません。どういう関わり方ができるか明確でなくても結構です。僕もまだまだ固まっていないので、ざっくばらんにお話ししながら、本当に作りたいものが一致するかどうか、なども議論できたらと考えています。もし興味を持って頂いたら以下のフォームに回答頂けると嬉しいです!
さて2020年は。
若干怪しい宣伝記事になってきていますがw、戻って年始なので、2020年の抱負を述べたいと思います。
漢字で表すなら『根』かと。根気強く、泥臭く根っこの部分で自分の"何者"かにいつかたどり着くためにストイックに働き、残り80年弱の根となる基礎体力・人脈を構築していきたいと思っています。文字通り、鍛錬の年となるはずなので、新しい環境にはなりますが、今まで仲良くしてくださった方々は定期的にご飯行きましょう。
もっと詳細にはたくさんやるべきことを洗い出したのですが、長くなりすぎちゃうのでこの辺りで今回は締めたいと思います。お読みいただきありがとうございました。
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