推しから手紙が返ってきた話
推しから手紙が返ってきた話。
時は大SNS時代。
いわゆる"推し"の姿はSNS上で追うことができるうえに、リプライやダイレクトメールを送って、直接意思表示ができる大贅沢時代。
憧れの対象から返信やいいねがくることも稀ではないなど、アーティストとファンとの距離がぎゅっと縮まった現代で
手紙という古典的な手段によって、幸せをいただいた話。
わたしには大好きな人がいる。
noteを公開するにあたり、ジャンル・性別等諸々伏せるが、数年来追い続けている"推し"である。
以下推しの名前はAさんとする。
以前から、Aさんが出演するイベントには度々足を運んでいた。コロナ禍でしばらくAさんを生で見る機会がなかったが、先日、運良く地元に来てくださると聞いて、約1年ぶりに生での姿を拝見した。
ああ、この人は変わらずここにいる。私の大好きなまんまで。感動で胸がいっぱいだった。
その後、Aさんにとっての大きなイベントがあり、感極まった私は思いの丈を文章化してファンレターに纏め、Aさんの事務所へと送った。
自分が何者であるか、イベントの感想、応援、好きな気持ち。
何度も何度も推敲し、丁寧な字で、たっぷりと時間をかけて記した。
このとき、あわ〜い期待を込めて返信用の封筒も同封した。
しかしここで、返信用封筒の中に便箋を入れ忘れる致命的な失態をしてしまう。
送ったのちにそのことに気づき、激しく後悔したが、自分の感情さえ伝わればいい、読んでもらえればそれで万々歳だ、と自分を納得させた。
手紙を送ってからは返信が来ないかどうか毎日ポストをチェックした。淡い期待、伝わればいいといいつつも根は強欲である。図々しいやつだ。帰ってきたら手紙が来てるかも!の気持ちだけで1日を生きていた日もあったくらい。
そんな習慣も忘れかけていたある日、部屋で課題をせっせとこなしていると
カラン
軽い、乾いた音が玄関から聞こえた。
私の家はドアの内側にポストがついているタイプなので、部屋からポストの中身が少しだけ見える。
真っ白な、虹色のラインに囲まれた封筒。私があのときAさんへの手紙に同封した封筒だった。
推しから手紙が返ってきた。
課題はもうどうでもよくなった。玄関ポストから急いで手紙をとり、震える手で開ける。
封をしてあるテープはなぜかビニールテープだった。Aさんらしいな。開けづら過ぎる。
中には自身を模したキャラクターのメモ帳が2枚。
1枚にはサインと下ネタのイラスト
もう1枚には10行にわたる文章が記されていた。
私の夢に対する激励と、イベントを訪れたことへの感謝、体調への気遣いのことば。
封が開けづらいなどと考えた自分を恥じた。喜びと、失礼をしてしまったかもしれないという申し訳なさとでぐちゃぐちゃになりボロボロ泣いた。
お忙しい日々の中で返信をくださったこと、そして手紙をちゃんと読んでくださったと此方がわかるような丁寧な内容が記されていたこと、本来であれば私が用意するはずだった用紙をわざわざご自身で用意してくださったこと。
Aさんの優しさが、手紙を開けたと同時に溢れ、私の中へと染み込んだ。
まあるくてふにゃりとして、まるで踊っているかのような字は、人懐っこくてあたたかくて、けたけたと楽しそうに笑うAさんの人柄をよく表していると思う。
手描き文字はあまりにも素敵だ。一定のフォントの枠を超えた、千差万別、誰とも被らないうえに誰もが平等に持つ表現手段。この手描き文字を貴重だと思える時代に産まれてよかった。
わたしも、Aさんのような人になりたい。
人に丁寧に尽くせる人でありたい。
この人を推していて本当に良かった。
推しは、尊い。
今までも、これからも。
拝啓 Aさん
私、絶対に夢を叶えます。
貴方が手紙に記してくださった通り、はやく偉くなれるように、尽力します。
必ずまた会いに行きます。
本当にありがとうございました。
わたしより
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