息子が浪人したから気づけたこと
息子の高校については、前の記事で紹介しましたが、今回は息子の高校生活と浪人生活、大学受験について記事にしてみました。
高校時代の息子
まさかの不登校
高1の夏休み前には部活を辞め、家で過ごすことが多くなりました。
休日や長期休みには、一日中家に引きこもるように。
高2になると徐々に勉強への意欲がなくなり、3学期には学校を休むことが少しずつ増えていきました。
そして、高3で不登校。
頻繁に起こる腹痛で、過敏性腸症候群と診断されました。
志望校変更
高3の成績は、学年順位で言うと最後から数えた方が早いくらいまで落ちました。
ところが、なかなか志望校の変更をしようとしませんでした。
志望校を下げることが負けとか妥協と感じ、そういう選択をする自分が許せなかったのか、何かしらの葛藤があったのかもしれません。
初めての大学受験(2020)
夏休み前には、このままだと卒業は難しいかも、通信制の高校に転校しなければならないかもと先生から言われる状況でした。
不登校と同時進行で進んでいく大学受験の準備。
ようやく志望校を変更すると息子の口から聞けたのはよかったのですが、大学を探す気が全くなく、先生から言われたところを受けようかなぁという適当さで、願書の取り寄せや提出は全て私がやりました。
大学に行かなくても、高校を卒業できればいいと私は思っていました。
息子にも伝えましたが、それでも大学受験をすると言うのです。
確かに、受験しませんと言える雰囲気は高校にはなく、親としてやれることはしようという気持ちにもなり、最初で最後だと決めて協力しました。
思い返すと、自分が目指していた大学以外の願書を取り寄せられるほど、まだ息子の心の整理はついていなかったのかもしれません。
でもそれは、私が余裕をもって息子のことを考えられる今思うことで、その当時は同情さえできず、息子に振り回される日々に疲れていました。
そして、国立・私立とも全落ちして浪人が確定したわけです。
浪人時代の息子
大学進学を再び目指す
息子と話し合った結果、また大学進学に向けて頑張ることになりました。
そして、また第一志望は国立です。
私立のための受験勉強をしてこなかったというのが理由です。
高3で不登校になり授業についていけなかった息子が、国立に入れるのかと疑問でしたが、本人が決めたことなので口出しはしませんでした。
予備校とコロナ
大学受験をするなら、予備校に通うことが私の条件でした。
引きこもっていたので、外で勉強をして欲しかったのです。
ところが、コロナの影響で6月くらいまで予備校が始まらず、家でゲームをする日々になっていきました。
大手の予備校でしたが、ようやく始まったと思ったら、今までやったことのないオンライン授業のため、様々なトラブルが絶えず、授業がスムーズに受けられるようになるのに時間がかかりました。
そして秋ごろになると、通学かオンラインのどちらかを選択できるようになり、引きこもりがちの息子は、もちろんオンラインを選択するわけで、家から一歩も出ない毎日になりました。
2回目の大学受験(2021)
いよいよ志望校を決めなければならない時期が近づくと、息子は大学を調べ始め、私に相談してきました。
自分で願書を取り寄せ、受験料を払い込み、受験のスケジュールを紙にまとめて壁に貼ることもしていました。
受験生なら当たり前のことですが、1年前の息子からは考えられないことでした。
難関大学を目指そう!という高校の雰囲気に飲み込まれることなく、自分のペースで自分なりの努力で大学受験に挑んだように感じます。
浪人という期間で気づけたこと
心血を注ぐことだけが正解ではない
息子が必死に勉強をしていたなら、どこかの旧帝大には入れたかもしれません。
中学も高校も、勉強した分は成績にしっかりと反映されていたからです。
でも、高校生活の中で、高い目標に向かって頑張ることに疲れてしまったのか、そもそも必死に努力することが苦手だったのか、何らかの理由で勉強に対する意欲がなくなりました。
世の中は、目標に向かって諦めずに努力をすることが美徳とされ、親は子どもに、その大切さを伝えることがあると思います。
テレビで紹介される著名人の成功までの苦労話やオリンピックメダリストの努力する姿に感動し、一度きりの人生、どんなことでもいいから夢を持って頑張って欲しいと思ったりします。
でも、時間の経過や心の成長で乗り越えた人生、好奇心からたどり着いた人生、ある人との出会いから見つかる人生もあって、夢や目標に向かって、誰もが認めるほど心血を注いだ人生じゃなくても幸せな人生はあります。
頑張りたいタイミングも人それぞれ違うだろうし、頑張れた人だけが後悔のない人生を送れるわけでもない。
他人から羨ましがられる人生じゃなくても、自分が心地よく毎日を過ごせていたらOK。
自分らしく生きられる道を自分なりの方法で見つければいいし、違うと思ったら軌道修正をしていけばいい。
大学生になった息子が友達と楽しそうにしている写真を見ながら、改めてそう思いました。
子どもを「見守る」ということ
娘の時には、「見守る」なんて意識をしたことがありませんでした。
娘には頑張りたいことがあって、それに向かって努力もし、挫折しても自分で乗り越え、高校・大学と進学しました。
だから、息子にも娘と同じ距離感でいたらいいのだろうと思っていました。
しかし、それができませんでした。
子どもに心配事があるほど、「見守る」ことが難しくなることを実感しました。
学校に行かせること、生活習慣を整えること、お弁当や食事を作ること、成績を把握しておくこと、大学進学について一緒に考えること・・・。
関わっている中で問題があれば気を揉んだり口を出したくなるのです。
しかし、浪人生になって、私の気持ちに一区切りがつきました。
大学を目指そうが、落ちようが、別な道に進もうが、息子の人生だから好きにすればいいと心の底から思えたのです。
お願いされればサポートするけれど、決して諦めや投げやりではない「好きなように生きてください」という気持ち。
スマホ代と予備校代は息子の貯金から。
(息子のお金なので、スマホの使い方や予備校について口を出さない。)
通院の付き添いや薬の管理をやめる。
(不登校でメンタルの心配もあり、高校生までは付き添うと決めていた。)
私がいない時の息子の食事を気にしない。
いろいろと関わりを少なくしたのです。
そうしてみたら、息子のことが気にならなくなり、口を出すこともなくなりました。
そして、息子の人生を手放した感覚があり、清々しい気持ちになったのです。
一人の人間として尊重しながら子育てをしてきたつもりでいましたが、心配が続くうちに、いつしか私の人生の中にある息子の人生を心配していたのかもしれません。
息子が高校生のときに、そういう気持ちになれていたら、どんなに楽だったかと思いましたが、体調や不登校の問題から、ほったらかしに近いような「見守る」をすることが難しかったのです。
親の人生から子どもの人生を切り離して考える。
関わりを最低限にする(子どもに任せる)。
子どもが求めたときだけサポートをする。
心配事があるときほど難しいことですが、それでも、そういった意識を持って子どもと関わることが大切だと感じました。
大学に行く意味
そもそも、私が子どもたちに大学に行って欲しかった理由は、勉強して欲しいとか、学歴が大事だと思っていたからではありません。
モラトリアム期間が大切だと思っていたのです。
けれど、息子の大変さに振り回されて忘れかけていました。
なぜ、大学に行くのか。
なぜ、子どもを大学に行かせたいのか。
子どもにも、親にも、いろいろな考え方があると思いますが、その考えを親子で共有し、受験という大波に巻き込まれても、その考えを見失わないことが大切ですね。
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息子との関りを少なくした結果、私がやっていたことを息子が全てやろうとすれば、息子の負担が増えるわけですが、もちろんやるはずがありません。
浪人の1年間、どうだったかと言うと・・・
病院に一度も行かず、大量の薬を飲まなくても、面倒臭がって夕飯まで食事をしないことが度々あっても(一日一食)、息子は死なずに元気でした。
そんなものなのです。