子育ての終わりを実感した時に流した涙の理由
子どもの自立とは
保護者の援助なく生きていけるようになった時に、子どもが自立したと実感する親は多いと思います。
私は、学生のうちに「親元を離れる」ことも、子どもの自立への第一歩だと考えていました。
私自身、高校卒業とともに実家を出て寮生活を送りましたが、親から離れたからこそ分かったことや成長できたことがたくさんあったからです。
学費や仕送り等、援助できる金額の限度はありましたが、子どもには自宅から通える大学ではなく、やりたいことが学べる大学を探して欲しいと伝えましたし、家を出て暮らすことを勧めました。
「空の巣症候群」は他人事ではないかもしれない
息子の高校では、多くの保護者が参加する毎年人気の講演会がありました。
その講演会は、卒業生の保護者から受験の話を聞くというものでした。
進学校ということもあり、優秀な子どもの大学受験の話が聞けるのです。
私は、東大や北大などに合格する子どもの親って、どんな人たちなのだろうという好奇心から参加をしました。
ところが、そこで思いがけない話を聞くことになるのです。
それは、子どもが家を出た後の母親の話でした。
息子が家を出てから何もする気が起きなくなったというのです。
自然と涙が頬を伝っていることが多くなり、心が空っぽで孤独を感じる毎日になったそうです。
洗濯物をたたんでいるとき、息子の物がないことに虚しくなる。
食事を作るとき、息子の分を減らさなければいけないことに虚しくなる。
どんなことをしていても、息子がいないという現実を突きつけられ、苦しい気持ちになっていったそうです。
そんな日々が続き、このままではダメだと自分に言い聞かせ、趣味や習い事など、やりたいことを見つけて過ごしているというお話でした。
話を聞きながら思い浮かんだのは、「空の巣症候群」のことでした。
子育てだけに全力を注ぎ過ぎたからなのではないか、子どもの自立についてちゃんと考えてなかったからなのではないか。
そう思っていた私は、「空の巣症候群」について、どこか他人事のように思っていました。
でも、実際に話を聞くと、そんな思いはなくなりました。
そのお母さんが「空の巣症候群」になったと言ったわけではありません。
ですが、似たような症状になるくらい、辛い状態になることも理解できたのです。
そうならないような子どもとの関わり方もあったと思います。
ですが、そんなことよりも、息子を遠い地に送り出し、寂しさに耐えながらも遠くから応援する母親の姿に、頑張ったねと拍手を送りたい気持ちになりました。
参加していた保護者の方々も共感する方が多く、ハンカチで涙を拭いながら話を聞いていました。
そして講演会が終わった後、私は不安に思うわけです。
他人事ではないな。
私も同じようになる可能性があるかもしれない、と。
息子が家を出て行った後
いよいよ、息子が大学進学のために家を出ていくことになりました。
スーツやパソコン・生活用品を一緒に買いに行き、荷造りを手伝いました。
私も今まで行ったことのない場所にある大学。
一緒に新幹線で向かい、ご当地グルメを食べ、数時間だけ旅行気分を味わい、大学近くの寮の前で息子と別れました。
息子は、「じゃあ」という一言だけで背を向け、さっさと寮に入っていきました。
あっけない別れでしたね。
でも、寂しいというより、自分も同じように親と別れた日のことを思い出したり、その時には分からなかった親の気持ちを感じたりしながら、感慨深く思う方が大きかったです。
帰りの新幹線でも、自分が上京した時のことを思い出していました。
帰宅してからは、断捨離を始めました。
ある程度は息子が自分の物を整理していましたが、私が懐かしさで捨てられずにいた息子の物(小さい頃に遊んでいたおもちゃや洋服など)をいよいよ整理しようと思ったのです。
社会人になった娘が自宅から通勤していたこともあってか、息子がいなくなっても、私は寂しくも虚しくもなりませんでした。
むしろ、息子の洗濯物や食事を気にしなくていいので、楽だなぁと感じていました。
私は大丈夫みたい。
あのお母さんとは違うのだ。
次の日も、また次の日も、なんとなく自分の気持ちを確認し、片付けをしました。
息子とは、もう一緒に住むことはないだろうという思いで、いろいろなものを整理しました。
1週間ほど経った頃には、娘の子どもの頃の物も整理していました。
整理をしながら、私の子育ては終わったんだと徐々に感じていきました。
そして、シールの入った箱を整理していた時のことです。
娘の小学1年生の時の写真が1枚だけ出てきたのです。
それは、笑顔でピースをしている写真でした。
それを見ているうちに・・・
!!!!
勝手に涙が流れてきたのです。
もう止まりません。
いつの間にか、声を上げて号泣していました。
自分でもびっくりです。
可愛いなぁと笑顔で娘の写真を見ていただけなので。
私は、なんで泣いているのだろう。
息子ではなく、娘の写真だよ??
自分の涙に混乱し、自問自答していました。
そうそう、可愛いって思いながら写真を見ていただけじゃない。
それで、娘の子どもの頃のことが頭に浮かんできて・・・。
楽しかったな、幸せだったなって思って・・・。
・・・もう、この時には二度と戻れないのか。
そうだ、そういう思いで心が苦しくなったのだ。
子どもと一緒に過ごした、あの楽しい時間には戻れないということを思い知って悲しくなったのでした。
その日は一日中泣いていました。
でも、悲しい感情だけではありません。
その二度と戻れない時間を私なりに子どもと大切に過ごしてきたよね、楽しかったよね、と思えたからです。
(やり直したいことはたくさんありますが、それは今の私が過去に戻れたらの話。(^^ゞ)
子育ての終わり=新しい人生の始まり
一日中泣いた翌日、私はすっきりした気持ちになっていました。
さぁ、新たな人生の始まりだ!
自分のことを優先して考えていいんだ!
やりたいことをどんどんやっていこう!
それから1年が経とうとしています。
息子が出て行った数か月後には娘も出て行ったので、今は自分だけの時間を満喫しています。
今、大変な思いをしながら子育てをしている人たちがいると思います。
でも、子どもはいつまでも子どもではいてくれません。
だから、大変な中にも笑顔になる思い出をたくさん作って過ごして欲しいなと思います。
そして、子育てが終わったと実感した時、喪失感や虚無感・孤独を感じることもあると思います。
そう感じるくらい、子育てを頑張ってきたということです。
よく頑張ったね、お疲れ様と自分を労って欲しいなと思います。
きっと周囲には、その気持ちを共感してくれる人がいると思います。
心身に不調が出るくらいまで辛い気持ちを溜めこまず、誰かに話してみてください。
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先日、とあるショッピングモールに数年ぶりに行きました。
そのショッピングモールは、息子とたくさんの時間を過ごした場所でした。
娘のピアノ教室が自宅から遠かったので、毎週(時には週2)車で送迎し、レッスンの間は、そのショッピングモールで息子と時間を潰していたのです。
約7年くらい、そんな日々を送っていました。
久しぶりに行き、急に息子のことを思い出して愛おしくなったので、「大好きだよ💗」とハート付きでLINEを送ってみたのです。
「どうした?余命宣告でも受けたのか?」
息子からの返事です笑。
地震も戦争もコロナもあって、今日、生きていられるのは当たり前じゃないのだと日々思います。
余命宣告は受けていないけれど、そういう心持ちで、感謝と愛は、伝えたいと思った時に、どんどん伝えていこうと思っています。