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漢方逸話② あの高麗(朝鮮)人参 栽培の歴史

 前回より漢方の逸話「人参」について紹介しているが、今回はその生薬の人参の栽培についての歴史を紹介しよう。

 高麗人参は約2,000年前に編さんされた薬物書である『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』に、内臓全部を補い、継続的に服用すると寿命が延びると記載されている。

 高麗人参が日本に伝わったのは奈良時代と言われ、現在でも当時のものが正倉院に保管されている。

 江戸時代に入り平和な時代が続くと、高麗人参の需要は高まったが、国内で栽培はうまくいかなかったようだ。よって、一般の市民に出回ることはほとんどなかったといわれている。水戸黄門で有名なあの水戸光圀も栽培に挑戦したが、成功には至らなかったという。8代将軍吉宗は国内栽培を強く推し進め、その結果、ついに人参の栽培に成功する。

 こうして国内で栽培に成功した種子は各藩に分配され、日本各地で栽培がおこなわれるようになった。幕府(将軍)から種を賜ったので「御種人参(オタネニンジン)」と呼ばれ、これが現在の局方名、正式生薬名となっている。安定的な栽培により価格が安定し、輸入品よりも安価になったことで、一般市民も高麗人参を買えるようになったとのこと。

 人参の漢方的な薬効としては、胃腸を整えながら、「気(エネルギー)」を補う作用があるとされている。

今回はここまで。
読者の方に少しでも興味が生まれ、漢方に触れるきっかけになれたなら嬉しく思う。

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