仙台市民が向き合ったトランセンド

あれから13年…いや、もういいだろそんなこと数えてめちゃくちゃ騒ぐの。
こっちは忘れたいくらいなんだから、忘れたいのに嫌でも思い出せるんだから。
結局お前らは「あの地震は酷かった」と騒いで一体感を得たいだけのクズだろ?
公共の電波や紙面で「寄り添いますよ」という姿勢をちょっとだけ見せて、
あとは福島の原発についてボロクソ言っても良いと思ってるんだろ?
だから「絆」って言葉は嫌いなんだ、
「日本国民全員のつながり」じゃなくて、
「フクシマから自分達を守るためのつながり」にしか思えないから。
サンボマスターくらいのことしてなきゃ「絆」なんて言葉使ってほしくない。

そんな東日本大震災を…市街地の職場でとは言え、経験した身として。
どうしても向き合いたい物があった。

※トランセンド育成シナリオのネタバレを含みます。


・仙台市中心部で被災したオタクの生の声

2011年3月、自分は作曲をしていた。
理由は単純、「他の娯楽が少なかったから」。
震災後はテレビをつけてもツイッターを見ても地震津波地震地震津波…。
とにかく「見たくない」を許されなかった。
そうなると趣味か紙媒体か記録媒体に頼ることになる。
録画してあった映画、手元にあった漫画、
そしてパソコン一台とギターで作れる音楽。
どうしようもなくつまらなかったから、曲を作るしかなかった。
そして、自分が返せるのは音楽くらいだったから。
当時は病院で派遣の医療事務として働いていて、
どこからかはともかく、支援物資がしょっちゅう届いていた。
そうやって直接支援を目にしていたことと、
出勤中や帰りに他県のナンバーや他県のガス局・水道局の車を見たこともあり、
支援を肌で感じていたからこそ、やれることをしたかった。

と、いうのも、あの頃はウェブイベントでの楽曲公開とか文化があり、
…今もあるのか?おれの観測範囲で見ないだけか?
ともかく、ウェブイベントという文化があり、それが開催されたので、
そこに一曲出そうと考えた。
あの頃は花見からフェスまで、ありとあらゆるものが「不謹慎」と言われ、
どんなにめでたいことがあったとしてもお祝いは許されず、
「被災地の為に」と正義を振りかざして気持ちよくなりたいバカが溢れ、
特に娯楽は「飢えも乾きも満たせない」とゴミの様に扱われた。
そんなわけがあるか。
自分は制作中に他のことを考えてられる、
娯楽を奪われた誰かは一曲分の時間は自身を忘れられる、
そんな曲が集まるイベントがある。
これ以上に素晴らしいことは無いと思ったから。
以下の文章は、当時そのウェブイベントに投稿した時、
投稿者コメントとして地震発生直後の状況について書いた部分。
誤字もあるけどまぁ当時のものということで。
原文はコチラ


'11年 3/11 午後3時前
ちょうど仕事中でした

職場の先輩の「アレ?揺れてる?」の言葉の後、地響きと共に地面が揺れ、辺りが騒然としました

自分はすぐ傍にあった机の下に隠れました
揺さぶられながら机の外に目をやると、ペンなどの物が棚や机から落ち、揺れが続く中で電気が消えました
予備電源があったのですが、予備電源による電力復旧直後、再び停電、予備電源が地震の揺れにより機能しなくなったのです
上から落ちてくる天井の塗装とも棚の上の綿埃とも思えるゴミに怯えつつ、ひたすら揺れが収まるのを待ちました

揺れが収まった頃に全員の無事を確認しました
携帯のワンセグでニュース速報を確認すると、「絶望」としか言えない情報が飛び込んできました
ありとあらゆる物を飲み込む津波の映像、地震の震度と規模、火災の様子、更に窓の外を見ると、3月前半の南東北では珍しく無いのですが、このタイミングでの降雪、少しづつ暗くなる外の風景に不安ばかりが募りました

唯一の救いは、家族と連絡が取れたこと、mixiやツイッターでごく一部ながら友人の生存確認が出来たこと、そして信号から街灯まで、一切の灯りの無い街を帰る中で見た、夜空に輝く冬の星達でした


・後追いで競馬を知るからこその出会い

そんな東日本大震災から何年も経った頃、
遂にウマ娘のゲームがサービス開始となった。
それを受けて競馬好きがどう動いたか、ご存知の人もいるはず。
ウマ娘を見て元ネタの競走馬を当てるクイズがYouTubeで流行った。
競馬番組関係者の芸人からただの競馬好きYouTuberまで、
色々な人がウマ娘に触れ、その様子にオタクが喜んだ。
自分も競馬後追い・ウマ娘(アプリ)リアタイのオタクとして喜んだ。
そんな中で異色のYouTuberとの出会いがひとつ。
福島県浪江町の、この記事執筆時点で御年70歳の男性、
「まっちゃんねる」のまっちゃんである。
福島の訛りは宮城に近いニュアンスがあって聞いてて心地いいのだが、
それはともかく、それなりの競馬歴のじいさんがウマ娘クイズ、
そんなもん面白いに決まってる、ということで見た。
ついでにチャンネルも登録して数日後、が問題だった。
ウマ娘クイズに続いてテーマとなったのが、
「ウマ娘にしてほしい競走馬について語る動画」、
この動画がグサリと刺さった。

第1位に選ばれた馬の話で、東日本大震災の話題が出てきた。
この後実際に問題のレースを見て、号泣してしまった。
後追いで泣いたのは片手で足りるくらいなのだが…
ステイゴールドの香港ヴァーズ、
オグリキャップのラストラン、
トウカイテイオーのラストラン、
ツインターボの七夕賞とオールカマー…
そして、ヴィクトワールピサのドバイワールドカップである。

「あの時、知らないところで頑張ってくれてたのか」
そう思うと涙が止まらなかった。
それ以来待ちわびている競走馬が何頭か…
ステイゴールド…はみんな待ってるべな。
地方競馬の星、メイセイオペラ。
新潟直線1000mのレコードホルダー、カルストンライトオ。
そして、ヴィクトワールピサ。
その2着だった馬が、ワンツーフィニッシュのもう一頭が…トランセンド。

・あの時同様前触れなく「その時」が

基本的にぱかライブは見ない。
いやなんというか…声優さん達だけできゃっきゃしてる放送なら別にいいかなって。
FGOみたいに「演者が最前線のオタク」ならいいんだけど、
運営の「女性声優集めてきゃっきゃさせときゃえぇやろ」みたいなのがどうも。
ただ、周年配信の終盤は別、新ウマ娘のことが気になるから。
で、見てて、ひたすらにたまげた。
オルフェ、ジェンティルドンナ、クラブの解禁、
JBCスプリント地方馬制覇のイグナイターの親父、
そして…トランセンド。

トランセンドが実装される、それだけでもヴィクトワールピサが一歩近づく。
そこまでは、良かった。

3/11、ひたすら「それの話題」ばかりの正午、
ガチャ更新で発表されたのは…トランセンド育成実装。
ここまでも、良かった。

3/12正午、ガチャ更新告知に合わせてひとつの告知があった。
「トランセンドのシナリオには地震が絡む」

実装告知の時は「ヴィクトワールピサといつか並べたい」と思った。
天井まで絶対回すと決めた。
それが24時間で、違う形で同じことをするという決意に変わった。
「被災地のオタクが向き合うべき物だ、絶対に迎える」
そして仕事が終わって帰宅して諸々済ませた夜、
天井を迎える前に無事引き当てて、ピース目当てに天井まで回した。
その後、他のソシャゲをやりつつストーリーを読んで、
3/14、遂に育成シナリオを読んだ。

・フィクションが伝えるリアル

今はタイムリーなことに、大規模災害が発生した後の世界である。
能登半島地震、東日本大震災と同じくらいの衝撃を元旦にカマされた。
嫌なことだが、「慣れてしまった」ので、自分はひたすら情報を無視した。
ツイッターを見ず、ヤフーのトップを見ず、テレビを見ず、
ひたすら自分が楽しめる物だけを見ようとした。
これはとても大事なことで、悪いことばかり考えると自分がダメになる。
そうならない為には、必要以上の情報から距離を取ることが大事、
津波の映像を繰り返し流すテレビを見てはいけない、その文脈。
では、見続けた人はどうなってしまうのか…?
多分、シニア級3月後半からMCS南部杯までのトランセンドがそれ。
現地に居ないから状況はわからない、でも情報は入る…
ショッキングな発生当時や被災直後の情報が繰り返し。
そんな人間がそれまでの生活に「はいどうぞ」で戻れるはずがない。
実際、中国嫁日記のジンサンがそうなったってネタにしてた覚えが。
だからこの立ち直りの物語はあくまでゲームのシナリオではあるが、
とてつもないリアリティと生々しさでぶん殴ってくる物でもある。

その証拠に、「その日、世界は色を失くした」を読み返してほしい。
揺れを感じた瞬間、シンボリルドルフが大きな地震であることを感じ、
「全員伏せろ」と叫ぶ。
これはルドルフがしっかりした人間(?)だからではないと断言したい。
何故なら冒頭で引用した被災直後のおれの文章の通り、
いざ大きな地震が起こると、人間は隠れられる場所に入り込むし、
それができないならかがんで頭を守る姿勢を取る。
市街地の屋内で被災した人間が言うんだから信じてくれ。

そして能登半島地震でも散々騒ぎになったボランティアの話、
これも「民間人よりプロが先に入るべき」というところをしっかりおさえている。
被災直後の帰宅、あの時間は本当に恐ろしい体験だった。
「男手が欲しいから」となかなか帰してもらえず、
多分余裕で夜8時くらいまで職場に留められてたはず。
病院という特殊な環境だったこともあり、
病棟から必要な物を1階の広いスペースに持ってくる手伝いをして、
暗い階段を携帯の画面の柔らかい明かりで照らしながら、
おじいさんが安全に階段を降りれるように先導したのを覚えている。
こういう現場は素人もプロも関係なく人手が必要だが、
諸々終えて外に出てからは違った。
街頭も信号も消えた夜の市街地、
そこを自転車に乗りながら走るが…ライトがまぶしすぎる。
そのくらい外は暗くて、いつ何が飛んでくるかわからなかった。
そして当たり前に通っていた交差点も信号は点いてないのだが、
通る車がそれぞれ譲り合って、思いやりによる秩序が生まれていた。
あっちが通ったらこっちが通り、あっちが右折したらこっちも右折…
そんな中をなんとなく雰囲気で通った覚えがある。
そんなやばいとこになんとなくで素人が「ボランティア様」として来たら…。
ぶん殴ってでも帰らせたい。

そしてトランセンドは迷走する中で、
「自分が走る姿を楽しみにしている人達がいる」
こんなかつての日常を取り戻したい被災者の気持ちに触れる。
これもまた生々しすぎて辛い。
これにトランセンドが気付いてからは泣かされた。
当時競馬は観ていなかったけど、Hi-STANDARD復活とか、色々あったから。
どうしても被災地に関する情報は、特に酷いところの情報に偏る。
自分が住んでいる中心部に近いところはかなり余裕があったが、
余裕が無い地域はたくさんあった、沿岸部やら福島やらと。
それでも、ある程度日常生活を構成する要素が戻ってくると、
足りなくなってくる物は「娯楽」なのだ。
いや、なんなら被災直後から不足している一番重要な物が「娯楽」かもしれない。
被災直後の職場の病院、集まった患者とその家族、
その集団から子供の声が聞こえてきたのを覚えている。
子供はたくましかった。テレビも何もアテにならない暗い病院の中で、
結んで開いてか?歌を歌って必死に耐えていた。
それを横目に見ながら上司とあーだこーだしていた自分がずっと考えていたこと。
「たばこが吸いたい」
ヤニ切れ?バカこの(©カミナリ)
その時非日常の中にあった自分の手元の、数少ない「日常」、
それがMP3プレイヤーとたばこだった。
ただ、たばこを吸いに抜けるわけにもいかず、
隙を見て「今だ、帰れ」と上司に言われるまで帰れなかったので、
帰る途中で…いつもは1本のところ、3本くらい吸ったはず。
あの頃は「試しに吸ってみたい」と言ったゴールデンバットを、
ライブのおひねりとして何箱も頂いていたこともあって吸っていたが、
わかばをいつも吸っていたので、わかばが吸いたくてたまらなかった。
それでも、「日常」をちょっとだけ与えてくれたたばこの味は格別だった。
そんなたばこを吸いながら見上げた空が、とても綺麗だった。
プラネタリウムでも見てるんじゃないか、
そのくらい、普段見えない星まで見える、すごく綺麗な夜空だった。

・外野にできる最大の復興支援とは

言ってしまえば、能登半島地震に関して、自分は外野である。
現地にいる人間以上に状況に詳しい人間はいないが、
現地の状況を聞けるほど親しい関係の誰か、そんなのは居ない。
遠くからテレビやネットニュースで知るしかない、それは外野でしかない。
そんな自分ができる支援には限りがあるが、
大事なことは多分これ。

金を使う
余計なことを言わない
バカを黙らせる


無駄な現地入りはダメだと言わないといけないし、
チャンスがあれば義援金出したり石川県産の何かを買ったりして、
現地の人の声に対しては「酒飲みてぇ」レベルでも黙る…
さすがに贅沢が過ぎるようならアレだけども。
とにかく、余計な事をしない様に考えるのが最大の復興支援につながると思っている。

そういうことを、トランセンドの育成シナリオで思い出した、というだけの話。

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