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灯りによって暗闇を照らす
十二因縁という教えがあります。
十二因縁は、十二縁起や十二支縁起ともいいます。
我々の迷いの原因や
苦しみの原因とは何かを示した教えです。
①無明→②行→③識→④名色→
⑤六処→⑥触→⑦受→⑧愛→
⑨取→⑩有→⑪生→⑫老死
①の無明であることが原因となって
②の行が生まれてくる
その②行が原因となって
③の識が生まれてくる
というように進み
⑫の老死まで連鎖していきますよ
という考え方です。
我々は生きていると
様々な苦しみに遇います。
様々な苦しみに遇い
最終的には⑫老死として示されるように
老いて死んでいきます。
その原因を辿っていくと
①の無明まで行き着くと捉えるのが
この十二因縁です。
①の無明というのは無知と同じで
真実を知らないということです。
真実を知らず迷っているということです。
「明」が「無い」ということで
無明といいますが
これが智慧の光によって照らされることで
「明」に変わります。
暗闇の中にいると何も見えませんが
そこにろうそくの火が灯ることで
一気に明るくなります。
それと同じように
無明という暗闇の中で
智慧の光によって
それを明るくすることができます。
すなわち、十二因縁において
無明が迷い苦しみの根源とされますが
その無明の状態が明の状態へと変わることができれば
迷い苦しみから解放されるのです。
教えを知らず迷っているままだと
①無明→②行→③識→
という形で連鎖が進んでいき
そこから抜け出すことができません。
抜け出すためには
教えを学び、あるいは修行を積んでいく必要があります。
この十二因縁の
もう少しわかりやすいところでいくと
⑤六処というのは我々の感覚器官のことです。
⑥触は感覚器官と外部との接触のことで、
それによって⑦の受という
様々な感受作用が生まれます。
好ましいという感覚もあれば
不快だという感受作用もあります。
その次に
⑧の愛という物事への欲望が生まれ
さらにそれが⑨の取という執着が
生まれてくると考えます。
このような心の作用の連鎖が起こると考えます。
この流れを止めようというのが
仏教修行の大きな目的となります。
①無明を明に転換することは
非常に難しいので
まずは、自分自身の心が
どうなっているかを見ることです。
⑧愛⑨取で示される
欲望や執着が起っている時には
それにしっかりと気付くことが大切です。
そしたら、それらの原因が
外部との接触(⑤、⑥、⑦)にあることに
気づきます。
心というのは常に揺れ動き
欲望や執着にあふれています。
ただ、欲望や執着の状態に気づくことができれば
その原因に必ず外部の物事との接触がある
という気づきを得ることができます。
この連鎖を止めることができれば良いですが
簡単にはいかないので
まずはそれにしっかりと気付くことが
できれば良いのです。
心を養っていく修行は
地道なものであります。
暗闇であってもマッチに火を付ければ
一発で明るくなるように
無明が一気に明に変わるというように
考えられる可能性もありますが
それでもやはり修行は段々に進んでいくものと思います。
地道に修行していく中で
あるときパッと灯りがともることも
あるかもしれません。
いつかそのような
灯りがともることを祈りながら
日々精進していくのが
仏教的なあり方であろうと思います。
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