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修証義にであう
[自宅で、突然の娘の死に打ちのめされ、葬儀をすることに、、、、]
上田さんが何から何まで面倒をみてくださったお陰で、
無事、娘の葬儀を執り行うことができた。
ホッとしたのも束の間。
私は仕事が手につかず1ヵ月ほど会社を休んだ。
妻もひどく落ち込み、まるで抜け殻のような状態になった。
そこから地獄のような日々が続いたのです。
ほどなくして、上田さんが座禅会をやっていることを知り、
私たち夫婦は参加するようになった。
そこで私は人生を好転させた、たった一つの言葉と出会うことになる。
それは、このような言葉だ。
「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」
これは曹洞宗の道元禅師の言葉だという。
「生まれること、生きているということ、死ぬということは何なのかを明らかにすることこそ、仏教者として最も重大な因縁である」
このような意味があるそうだ。
仏家一大事の因縁とは、「仏教者として、ただ一つの大事なこと」といった解釈となる。
ようするに、生まれ、生き、死んでいくとは何なのか。
一生かけてその意味を明らかにしていくことが、
仏教者として生きる上で最も重要だという意味である。
生も死も、どちらも同様に尊い。
そもそも、生まれてこなければ、
わたしは妻や子どもたちと出会うことはなかった。
そして、娘を亡くすことも。
(つづく)