座禅会をとうして受戒をうけいれる
【娘の葬儀が終わり、上田和尚の座禅会に行くことになり、それが縁になり修証義にであう】
私なりに生と死を明らかにしていくうちに、
すべてはつながりのなかで
生きていることがわかってきた。
いろんなものを含め、
支えられているのだということが、
ようやくわかってきたのです。
のちに私は受戒を受け、
仏教徒になった。
戒名は「慈海宏舟」
これは、
「私がいま生きているなかで最大の指標であり、宝物でもある。
亡くなった娘が私と妻のなかに居て、ともに生きている。生命は永遠である」
といった想いが込められている。(俗名 宏美)
私は、自分が子どもを死なせた、
殺したと思ってきた。
その思いは、いまでもある。
上田和尚は、娘に与えられた寿命だったと言われます。
(つづく)